自分は自分という生き方

 南蔵院、林覚乗さんの「心ゆたかに生きる」の中に、次の記述があった。

「ドジャースの野茂英雄投手が大活躍しています。四番打者のボンズが日本人記者から『ノモを見て、だれを想像しますか』とたずねられ、『ノモはノモにしか見えない』と答えていましたが、その通りです。
 ところが、日本人一般の見方は、そうではないんですね。例えば、ノーラン・ライアンを思い出したとか言いがちです。長嶋二世とか、王二世とか、落合二世とか、すぐだれかのイメージをダブらせて比較します。」

「人と比べることのない『自分は自分という生き方』は、今ある自分に喜びも悲しみも含めて感謝することです。」

 自分を振り返ってみると、学生時代(特に初等の時期)は、人との比較の中に置かれていたこともあり、「自分は自分という生き方」からは遠かったように思う。
 しかし、年とともに自分の生きる場が決まってくると、潮目が変わり、「自分は自分」と考えざるをえなくなったと思う。むしろ、孤独すら感じて生きることもあるのではないか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年05月14日 | Permalink

ファミリー規約

 ファミリー規約と書くと、「家族なのに大げさなことだ」という印象をもたれるかもしれない。しかし、どのように呼ぶかは別として、ルールとして確立する必要がある。
 多くの場合、暗黙のルールの状態かもしれないが、どこかで明確化することが必要だと思う。
 自分のファミリーを見つめ直すことで、何がルールかを考えると、新しい発見もあると思われる。また、ルールの順序、体系を考えると、そこに考えた人の価値観も表れてくる。こうした価値観を示すことは、一族(ファミリー)の設計にあたっては不可欠だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年04月28日 | Permalink

本家と分家

1 本家は、一般に、昔から続くものを継承する立場にあると考えられている。
 その結果として、一族の出身地から離れず、旧来の仕事を維持する傾向がある。
 継承する財産があるため、それを担保として利用し、資金調達するには、有利な立場にある。
 しかし、本家は、昔からのものを維持しようという思考が働くため、思い切った転換、投資ができないことは、よくある話である。
 
2 分家は、どこに拠点を置くかは、本来自由である。しかし、不動産を主要な財産ととらえると、不動産の所在地に影響を受ける。場合によっては、本家と分家が隣同士ということもある。
 分家がどのような仕事につくかは自由である。
 日本の高度成長期は、長男は田舎に残り、農業に従事し、二男以下は、分ける土地がなければ都会に出て、サラリーマンとなった。
 時代の変化により、どのような仕事が日当たりがいいかは変遷する。このため一族の本業が悪くなることはよくあることである。
 仕事内容による差も当然にあるが、大きいのは地域差だろう。
 ロスチャイルド家は、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに分家している。分家の盛隆は、地域差による影響が大きいと思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年04月22日 | Permalink

年をとるにしたがって変わってきたこと

 年をとると共に関与している案件が増えてくるためか、1つの案件に投入できる時間が減ってくる。
 判断のスピードは、経験を積めば速くなるため、投入時間が減ったとしても、仕事に支障になるものではない。
 しかし、ある時、仕事を離れて、じっくり味わいながらやってみたいことに取り組んだ時に、その持続時間が短くなったように思われた。先を見てしまうためか、悩みながらとか、考えながら続けることができなくなっている。息が短くなっていると感じる。
 このことはやむを得ないことなのか、どこか改めるべきことなのか、自分としてはよく分からない。しかし、自分に生じた変化として、注意することにしている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年04月16日 | Permalink

銀婚式

私事で恐縮ですが、実は、銀婚式を迎えました。

銀婚式をどのように祝うのかは、いろいろだと思いますが、私たちは、北海道の銀婚湯という温泉へ行きました。函館から車で1時間半のところにあります。良い温泉でした。
私は、ここ3年くらい、秘湯めぐりにはまっていまして、日本秘湯を守る会の宿を中心に、回っているのですが、その中に銀婚湯があったため、知っていたものです。

銀婚湯と名前をつけたのは、温泉を掘り当てたときが、大正天皇の銀婚の佳き日にあたり、温泉を掘り当てた初代の銀婚式も重ね合わせたところからと聞いています。
発案は、初代の奥さんであり、ここが重要だと感じました。銀婚式の年齢であれば、まだ動けます。日本全国から銀婚式の人たちが訪れます。おかみさんは、頭のいい人だと思いました。

銀婚湯では、銀婚式の前後2か月の宿泊では、祝い膳を出していただけるということであり、そこを狙って行ったのでした。あまり深い目的とか、なかったのです。

祝い膳では、大根をうまく使い、立ち姿の鶴が作られていました。そして、一緒に、「祝銀婚」と筆で書かれた、木でできたプレートが渡されまして、そこに毛筆で、自分たちの書いた言葉(原稿)を、達筆で書いてもらえるということでした。見本も見せていただけたのですが、まさかそのようなセレモニーがあるとは考えていませんでしたので、本当に悩みました。食事が終わる頃には、原稿をお願いしますと言うことでした。

我家では、私の家内の発案で、「原稿は、あなたが書きなさい。」ということになりました。

これは、ある意味、司法試験の2回試験に匹敵する、結婚の中間テスト、と言ったものでした。

皆さん、何を書かれますか?
どちらかが、どちらかに、感謝する言葉を書く、我家で言えば、私が家内に感謝する言葉を書くのではなく、主語は、「私たち」とするべきだろうとか、いろいろ考えました。

実際のところ、私は、「25年間、健康に暮らすことができました。」としか書けませんでした。
そして、「息子2人の成長を楽しみに次の25年間を。」と続けました。これしか思いつきませんでした。
そのときは、何とか原稿を渡せたということで、ほっとし、それ以上何も考えられませんでした。

書いてもらったプレートは、書棚に飾り、今でも、何が良かったのだろうと思い返しています。
しかし、このプレートは、我家の歴史の一部となっています。
皆さんも考えていただければと思い、お話させていただきました。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年01月22日 | Permalink

健気(けなげ)

 いろいろな人の姿を見てきて、こちら側でなんとかしなければいけないと感じさせる訴える力があるのは、健気さではないだろうか。
 「健気」という言葉は、辞書では、「勇ましいさま」という意味もあるようだが、ここでは、かいがいしいさま(甲斐甲斐しいさま)という意味で使っている。  
 「伊藤博文」(伊藤之雄著)の中で、「少年伊藤博文は、困難が起こっても努力すれば必ず何とかなる、という楽天的な人生観(中略)を育成していったと思われる」との記述があった(25頁)。このような楽天的な人生観に基づいた生き方は、健気なのではないかと思う。
 三枝成彰氏は、「ベートーベンの音楽は、健気に生きることを肯定する。」と記述されていた(2009年12月29日の日経新聞)。これも納得できる点だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年01月08日 | Permalink

親族の付き合い

 槇原稔さんの日本経済新聞の「私の履歴書」に次の記述があった。

 「当時岩崎一族には私とほぼ同じ年ごろの子供たちが15人前後いた。三菱創業者の岩崎彌太郎から数えて第4世代にあたる兄弟やいとこたちだ。彼らは週末になると湯島の岩崎本邸に集まり、仲良く遊んだ。父の死後、その集まりに私も招かれるようになり、楽しい時間をともにした。」

 岩崎彌太郎から数えて第4世代にあたる兄弟やいとこたちが、週末になると湯島の岩崎本邸に集まり、仲良く遊んだというのは、驚くべきことだと思う。
 当時の日本は、これがよくあったことなのか知らないが、現代の日本で考えると驚異的なことである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年11月02日 | Permalink

ファミリーをどこで感ずるか

 家族は、子供が幼少のときから、独立するときまで、色々な段階がある。したがって、いつも一緒というわけにはいかなくなる。一緒にいるという団欒のみに価値を置くのではなく、家族のいる場所が別だとしても一体として感じられることを考えるべきだろう。

 それでは、家族が一体であることを感じるのはどのような時だろうか。
 各人が自分の役割を理解し、それを果たすことにより、全体として機能していることを実感することが必要だろう。その場合、何かの苦難があり、それに向けて家族が団結している場合もあるだろうが、そうした対象がはっきりしない場合もある。外に苦難があればまとまりやすいだろうが、そうでない場合が難しい。
 しかし、あえて外に苦難を見出す必要はなく、平常時こそ家族の豊かさを実感すべきだろう。
 家族の一員が自分の道を歩み始めることは、家族が新しい段階に入ったことであり、それだけでも豊かさと言って良いだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年10月27日 | Permalink

残そうとする気持ち

 草間彌生の版画集に「かつての愛の億万のきらめきよ 死の静寂のしじまにそれらは一陣の風のように消えてしまった」とあった。草間彌生がどのような気持ちでこの文章を綴ったのか詳しくは知らない。
 人間の命には限りがあることのはかなさを述べたようにも思われるが、それで良いとする諦めの念も感じられる。しかし、その中で作品を通して、少しでも自分の感ずるところを残そうとする作家の姿も、改めて印象づけられる。
 その作品すらいつかは滅失し、忘却されていく運命なのかもしれないが、少しでも残そうとする気概に人間というものを感ずる。
 何も残さなくても構わないと考える人は別として、作品は記録であり、記録によって次の人々は考えるものだと思う。
 自分の仕事も、全て作品であり、記録されていくものだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年07月27日 | Permalink

家族のあり方

 子供が家に帰ったとき、お母さんがいる方が良いといえるか、この点は、賛否両論のあるところだろう。
 男性が外で働き、収入を上げ、女性は家の中を切り盛りするという、従来のモデルは、近頃くずれていると思われるが、意識の中に根強く残るところがある。
 このような問題は、それぞれの家族の状況に応じてどうするか決めるしかないだろう。それが、世の中の多様性というものだろうと思う。
 むしろ問題は、ある人が、自分が家に帰ったときにお母さんがいたことが良かったと思い、自分の場合もそれを無理やりにでも実現しようとすることだろう(またその逆もある)。自分の経験を絶対視しないで、現状をありのままにとらえ、柔軟に判断するべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年06月04日 | Permalink