「とんびが鷹を生む」

平凡な親が優れた子を生むということわざがある。
他方、「子は親を映す鏡」ということわざもある。
この違いは、どこから来るのだろうか?
長年、教師をした人から聞いた話では、「それは、お祖父さん、お祖母さんですね。」ということであった。3世代以上の大家族で暮らしていたときは、祖父母の影響が大きかったようである。
これに対して、現在は、核家族といわれ、親子のみで暮らす家族が多い。したがって、現在は、子の躾に問題が多い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年03月07日 | Permalink

祖父母の立場

 こんなことを書くと、婿や嫁の立場の人から総スカンを食らうかもしれないが。
 子育ては、親が行うのが基本だと思う。実子・養子を問わず、親子の関係は、法的にも現実においても、直接的なものだと考える。
 ただし、子が親元を離れると、親子と言っても対等になっていくだろう。
 それでは、祖父母の立場から見たとき、孫育てはどうなるのか。孫育ては、親(祖父母の子)の責任だから、祖父母は、孫を可愛がれば良いという考えもあるだろう。
 しかし、教育の重要性から、孫育てに積極的に関与していく道もあると思う。祖父母としては、父母(祖父母の子とその配偶者)の協力を得て、孫育てをすることは十分可能だろう。企業において、組織が大きくなれば、多数の人の協力を得て事業を進めていくのと同じことだと思う。
 多数の人の協力をいかに得るかという問題はあるが、親子の間でも同様である。
 父母の立場として、子育ては、初めての経験であり、また、その期間は、仕事をかかえて第一線にいるという大変さもあり、思ったようにはできないものだ。子育てを経験して、後になって分かることも多い。
 祖父母の立場になったとき、子育ての経験は十分に活かされるべきだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年02月15日 | Permalink

先祖への報告

 核家族化した現在、祖父母への報告は、もっと重視されて良いと思われる。また、お墓参りという形で、亡くなったご先祖様への報告も、もっと考えられて良いだろう。仏壇も、ご先祖様との接点を作ってくれると思う。
 子は、親に認められたい(ほめられたい)という心情があると思われるので、ご先祖様への報告も自然な流れとして実現できるように思われる。
 もちろん、世の中では親子の対立もあり、対立があるから全て悪いわけではなく、逆に、対立の中から新しいものが生まれてくるとも考えるので、何が何でもご先祖様に良い報告をせよ、と強制する必要はないだろう。
 しかし、ご先祖様との交流が、いろいろな場面でできる方が、子孫にとっても満足度は高いと思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年01月06日 | Permalink

孫の養育

 人は誰しも孫はかわいいと思うようだ。
 これは、孫の養育について、一番の責任者は、その親(子)であるからだろう。祖父母は、自分たちのできる範囲で(もっと言えば好きな範囲で)孫とかかわれば良いから、気が楽なのだろうと思う。気が楽だから、余裕もあって、かわいいと思うのだろう。
 しかし、経験も余裕もある祖父母になったならば、ファミリー(一族)の一員として、どのようにふるまうのか考える必要がある。
 祖父母の経験は、ファミリーの文化という点で重要であることは、別に述べた。ただし、自分の経験(成功体験)にしばられるのではなく、現在を自分(祖父母)なりに理解して、その現在に合ったものにしなければならない。伝統なのか因習なのか、その判断は、かなり高度なものだろうと思う。
 また、逆に、新しい提案をするにしても、単なる思いつきではなく、相当な調査が必要だろう。
 このように考えてみると、年をとっても、それなりにやるべきことは多いように感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月27日 | Permalink

祖父母、父母、子(孫)の関係

 縄文時代は、大変な文化力を認めることができる。
 これは、定住してムラを営むことができるようになり、老人が動き回るような生活をしなくてもすむようになったことから、「おじいさん、おばあさんから孫へというメカニズム、仕組みができあがった結果」であるとされる(「縄文人の世界」梅原猛編、角川書店 28頁から32頁)。
 働き盛りの若い時は、一生懸命、外で頑張っていて子どもの面倒はなかなか見きれないため、親から子どもへというのは、文化はあまり伝わらない。親は、子どもの育て方について、初めての経験の場合、必ずしもうまくできるものではない。これに対して祖父母の場合、どのようなやり方をすれば良いかわかっていることが多い。
 この点については、自分の経験に照らしてみても、子どもが1人で生活するようになった現在の自分の年齢・立場になってみると、実感として理解できるところである。
 したがって、祖父母の役割は、人間社会の成り立ちに根ざしたものであり、現代においても、その必要性は認められると思う。
 ただし、自分が親(父母)として子を育てているときは、祖父母の役割をそれほど認識していたものではないため、祖父母として口をはさむときは注意が必要だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月21日 | Permalink

子は親の言うことは聞かないものだ。

 子が親の言うことを聞かないならば、聞くように断固とした方法をとるべきだと考える人もいるかもしれないが、私なりに見たところ、あまりうまくいかない。
 よく、子供の勉強を親が見て教えるということがある。我が家では、これはうまくいかず、第三者に任せるしかなかった。その方が親子関係は良かった。
 逆に「うちでは、子は親の言うことをよく聞きますよ。」と言う人もいるかもしれないが、なぜ言うことを聞くのか、注意してよく観察するべきだと思う。

 自分自身、親のやり方を批判的に見て、自分のやり方で今日に至っていると感じているので、子も自分と同様に進んでいっても不思議はないと思う。
 したがって、子は親の言うことは聞かないという前提で、親はいろいろ考える必要がある。親のねらい通りに子がなれば、それは親がうまいということだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月16日 | Permalink

中高一貫教育の是非

 中高一貫教育は、大学受験に向けた体制として評価されてきたものと思う。
 ある程度の能力のある生徒を集め、6年間のカリキュラムを前倒しで進め、最終年は受験に向けた万全な準備をすれば、相当な成果は出るだろうと思う。
 
しかし、日本の一流大学と呼ばれる大学に入学することの意味は、各家庭ごとに考え直してみるべきだろう。
 大学に入学すること自体ではなく、そのプロセスで身についたガッツの方が意味があるのではないかと思う。また、大学受験で身につけた能力は、本当に使えるものなのかも検証されるべきだろう。自分の経験で振り返ると、文章作法やノートのとり方といったものは役立っていると思うが、コミュニケーションのための英語という点では課題が大きいように思う。

 逆に、中高一貫教育の難点は、中学受験があるということである。
 小学校高学年から中学受験のために夜遅くまで塾に通うのは、子供の健康面で弊害が大きいように思う。
 


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月07日 | Permalink

日本の大学をきちんと出た方が良いか。

 今の社会では、学歴で判断することはよくあると言える。
 また、学歴で判断できる要素も十分にある。例えば日本語の正確な文章は、学歴と相関関係が高いと思う。
 日本の大学を卒業することにより、自分の立ち位置を明確にできるという意味もあるだろう。大学ごとに結束を強める機会も多い。
 友人関係という点では、大学で得られるものは非常に多いと思う。

 このように考えてくると、日本の大学をきちんと出ることは、意味があることだと思う。
 しかし、それが全てかと尋ねられるならば、そうではないと思う。むしろ、自分にはないキャリアに憧れを持つ。
 このように述べると、結論があいまいに感じられる方もあるだろうが、いろいろな道があるということであり、それぞれが成長しながら、自分の道を進むことが大事だと考えている。どの道が、より幸せかとか、より楽しいかという判断ではなく、状況に応じて進んでいくということが大事だと言いたい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月30日 | Permalink

高校生時代の新しい取組み

 留学を検討することは別に述べたが、それ以外にも考えるべきテーマはある。
 日本語の理解という点では、高校生時代は、難解ではあるが論理展開や視点のすぐれた文章に取り組む時期だろう。
 難解な文章が良いとは思わないが、難解ではあっても避けてはいけない文章もあると思う。
 いろいろな文章に取り組む中で、自分なりの言葉の使い方、展開ができてくるだろう。
 ただし、日本の国語の授業は、文学的要素を重視するからかもしれないが、特殊な文章を対象とすることが多く、ビジネスの中で使われる標準的な題材が少ないと思われる。このため簡潔で正確な文章や、論理展開のきちんとした文章を書く訓練が、正面から取り組まれていないように思う。こうした訓練は、各自が自分でやるべきこととされているように感ずる。
 いろいろな人が社会にいる以上、読む文章は多様となる。しかし、書く文章については、少なくとも文章作法を系統的に教えるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月19日 | Permalink

高校生時代は、もっと広い世界を見ても良いのではないか

 高校生交換留学プログラムが、財団法人AFS日本協会によって運営されている。
 「高校生という時期は、言語取得だけでなく、新しい環境に容易に適応できるだけの柔軟性を備えた、一生のうちでも限られた特別な年齢」であり、「交換留学1学年間の体験は、大人になってからのどんなに長い海外生活よりも、その国の暮らしや文化を理解するのにきわめて有効である」とされている。  実際にAFSで交換留学された人の話を聞いても、その人の人生に大きな影響があったことは間違いなく、その体験は貴重であり、有益だと思われる。
 したがって、高校生時代の留学は、十分に検討される必要があるだろう。交換留学という1学年間にするのか、高校卒業まで視野に入れるのかは、その後の大学生活も考えて決められる必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年08月17日 | Permalink