ものに意味はあるか?

世間では、ものは少ない方が良いという発信が強いように思われる。
確かに、自分の空間をすっきりさせることの意味はあると思われる。
そのような中で、情報を紙ベースで持つことは、意味があるのだろうか?
電子化できるものは、全て電子の中で処理するべきだという考え方は、強いだろう。
情報を紙ベースに置くことで「もの」となる。
ものは、人間が体で触れることができ、そのことにより頭の中だけの作用に限定するよりも、効果的な使い方ができる場合があると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年06月22日 | Permalink

スペースを持つことの価値

ものを持とうとすると、それを収めるスペースが必要となってくる。スペースを持つ費用を考えると、できる限りものを持たない生き方は有効に思える。
しかし、ウェブ空間のみで十分に創造的な作業ができるのかという問題はよく考えるべきだ。
自分自身を考えても、本を収める棚以外に、9本の棚を利用している。
この棚に収めるものは、先祖から伝わるものであったり、自分が集めたものだ。
こうしたものを収めるスペースを持つことは、振り返ると有効であったと考えている。
こうしたスペースを十分に持っていたことで、ものを簡単に捨てられなかったというマイナスも確かにあるが、ものを集積することによって気がつくことも多く、その効果は大きいと考えている。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年06月07日 | Permalink

謹賀新年

 コロナ禍は、自分の人生の中でこのような事態に遭遇するとは考えておらず、驚きました。しかし、1722年にイギリスで出版された記録文学である「ペスト」を読むと、人間の対応はあまり変わっていないとも感じられ、落ち着いてとらえる必要があると考えています。
 コロナ禍の影響で、いろいろなことが生じました。  マスクの着用、Web会議(交通機関の利用の減少)、持続化給付金などの各種支援金(税金の投入)が私にとっては大きな変化でした。この変化は今年も続きます。65歳になる今年は何らかの区切りの年だと考えていましたが、状況をよく観察することが必要だと感じています。

2021年 元旦


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年01月05日 | Permalink

古典を、現代語訳でよいので、もっと読むべきだ。

学校の授業は、古文の場合、古語にこだわりすぎていると思う。漢文の場合も、読み下しに力点が行き過ぎている。
現代語訳でよいので、もっと古典の全体を読むべきだ。そうすることにより、古典から得るものは多いと思う。
古典の一部分を、古語の意味や品詞の分解に気をとられて読むのは、結果的に、全体を読むことができなくなり、興味を失うのではないかと思う。こうした読み方は、もっと専門化した立場の人でよい。
全体を読むことにより、作者の根本の考え方をとらえた方が、身につき、役立てることができる。日本の文献であれば、日本の根本を知覚することもできるだろう。漢文であれば、当時の中国の考え方も理解できる。
お経も、本来、内容を理解するべきだと思う。声による響きを味わっても良いが、内容を理解してからだろう。
西洋では、宗教改革で聖書についてドイツ語訳が行なわれたように、日本でも、現代語訳が行なわれる必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2020年11月18日 | Permalink

教科書は、どうあるべきか?

教科書を一生使えるものにするためには、今のような紙ベースの本では使えないだろう。
紙ベースでは、そもそも重すぎて運べない。
これ以外にも、欠点が多い。
文章を自由に切ったりくっつけたりする加工ができないこと
他の情報と連結することができないこと
特に写真や絵を加えることができない
教科書は、大人になってからも、いつでも見たり考えることのきっかけとすることができることが必要である。

小学生になる時期が来ると、マスコミではランドセルを選ぶシーンが出てくる。
しかし、ただでさえ重いランドセルに、いっぱいの本を詰め込んだ重さを考えると、子供たちに酷なことを求めているとしか言えないだろう。
私は、小学生の時は、ランドセルを買ってもらったものの、重く、かさばることが嫌いで、すぐにナップサックに変えてしまった。ナップサックは、中に入れる物の大きさに合わせて形が変わり、便利に感じたものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2020年07月02日 | Permalink

労働保険申告書は、これで良いか?

労働保険 概算・増加概算・・確定保険料 申告書は、どうしてこんな煩雑なシートにしたのだろうか?
3枚複写になっていて、しかもその3枚共が申告書・納付書部分と注意事項に分かれる。その上、申告書の3枚目は使う必要がないのか、まず切り取ってから申告書に記入するように書かれている。
事業主控えは2枚目になっていて、納付書部分から切り離すことになる。
申告書の全体は、長ったらしい上に、しかも左の部分が適当に糊付けされていて、とても取り扱いにくい。
結局、手書きで書くことが前提となっていて、機械で読み取ることができるようになっている。このため、申告書を折り曲げる場合にはその場所が決められている。
このように、申告書の用紙のあり方は、特殊な上に特殊な形になっていて、全体を正確に記述することは困難だ。
紙ベースでの保管を前提とするのであれば、端的に紙の大きさをA4にそろえ、保管しやすい(ファイルしやすい)形式にするべきだろう。
そもそも紙ベースではなく電子申告するのであれば、この特殊な方式を早く改める必要があるだろう。
昔からある形式を、電子化された時代にも改善することなく、強制してきたといえる。
シンプルな形式にしないと、とても電子申告はできないだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2020年06月23日 | Permalink

いつまで紙の教科書を使わせるつもりなのだろう?

小学生にとって、重い教科書を、これまた重いランドセルで運ばせて、大人は、何を考えているのだろう?
私もランドセルを買ってもらった一人だが、それがかさばり、重いことから、早々に、ビニールのナップサックに切り替えたことを思い出す。

1967年頃、アラン・ケイによって、パーソナルコンピュータが作られたことがある。アラン・ケイは、長年にわたって、ダイナブックの構想を持ち、それを追い続けた。
その後、ダイナブックは、東芝のラップトップの商標になってしまい、その本来の姿が追い求められなくなってしまった。

現在のスマホが、ダイナブックなのかもしれないが、今一度、ダイナブックの精神に基づくマシンが考えられていいと思う。

教科書も一生使えるように収められるマシンがあるといい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年01月22日 | Permalink

自分の欲望を、さらに突き進めるために、どうするか?

民間人の月旅行が話題になっている。
費用は明確にされていないが、月旅行の宇宙船の全席を押さえたのは、話題の人だ。

現実の体験は、イマジネーションでの体験を超えるものがあるので、月旅行は、わくわくする体験だろうと思う。

しかし、どれだけお金があっても、ものを買ったり、体験するだけであれば、それほど大きな満足の違いがあるものでもないと思う。
せいぜい目立つことの違いくらいだ。
 
こうなると、イマジネーションでの体験を、さらに突き進めるしかないのではないかと思う。
それは、内面的なもので、知的であったり、感覚的なものであったりする。

そのためには、何らかの方法で知覚する必要があるだろう。
本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりすることになる。
また、作品を見たり・作ったりすることになる。
さらに、実験したりして、新しい世界を切り開いていくことになる。

これは、実は、誰でも日常的に行なっていることだ。
受け身ではなく、自分としての追求だ。

自分の欲望を、さらに突き進めるということは、結局、こうしたことだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月09日 | Permalink

安室奈美恵の引退

安室奈美恵の引退について、多くの記事が出ている。
その多くは、引退を惜しむものであるが、反対の意見も当然あるだろう。
しかし、その取り上げ方は、私には、踏み込みが足りないように感じてしまう。  

「ミュージックステーション ウルトラFES2018」で、安室奈美恵の初出演からの全出演を短時間にまとめていた。
全体をコンパクトにまとめることで、振り返りがしやすくなる。

小室哲也のグループから離れた(?)ことで、CD売上枚数が減ったことがはっきりしている。
CDの時代が変化していったという面もある。

安室奈美恵は、若い頃の大成功を足場に、努力を続けた人であることがわかる。引退という判断も、その努力がいつまで続けられるかという判断によることが伺える。

マスメディアは、どうしても感傷的な取り扱いになってしまうが、それとは別に、自分自身で、安室奈美恵の歴史を数字でとらえると、違った見方ができるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月21日 | Permalink

街を歩いていると、外国人が多くなっていることに気がつく。

日本人と似ている外国人も多いだろうから、外国人の数は、見た目よりも多いだろう。

外国人だからというだけで何かを決められるものではない。
 日本人も、いろいろな人が増えてきたと感ずる。

こうした状況では、人を見る目が大事になってくるだろう。
 価値観のばらつきが大きくなると、その見極めが不可欠だ。
  例えば、結婚に関しては、昔は結婚相手を親が決めていた時代もあった。
  しかし、それができたのは、価値観のばらつきが少なく、実際の姿もばらつきが少なかったからだと思う。

人を見る目が大事だとなると、ある程度の期間、多くの人を見る必要があるだろう。
一人の人を判断する場合でも、価値観のばらつきが大きく、いろいろな人が増えてきた状況では、ある程度の期間が必要だろう。

今の時代は、人を見る見習い期間が、だらだらと続く時代だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月19日 | Permalink