福翁自伝でのエピソード
福沢諭吉の福翁自伝で、「神様の名のある御札を踏んだらどうだろうと思って、人の見ぬ所で御札を踏んでみたところが何ともない。」とか、「お稲荷様のご神体を見てやろうと、こっそり社を開け、まつられていた石を別の石とすり替え」などを、福沢が行なったとのことである。著者(100分de名著11頁)は、その福沢の行動を「仮説・実験・検証」という実証科学のプロセスと重なるものだとする。そして福沢諭吉という人物の根底には、徹底した合理主義があるとする。
しかし、神様の存在をどのように理解するかという問題意識からは、その判断過程は的を得ていない。
神様の名のある御札や社の石は、それそのものが神様であると考えるよりも、世の中全体に満ちた神様について、その1つの方向性を示す目印として考えるならば、福沢の行動で何かその合理性が示されると考えるのもおかしなものではないかと思う。