いつまで紙の教科書を使わせるつもりなのだろう?

小学生にとって、重い教科書を、これまた重いランドセルで運ばせて、大人は、何を考えているのだろう?
私もランドセルを買ってもらった一人だが、それがかさばり、重いことから、早々に、ビニールのナップサックに切り替えたことを思い出す。

1967年頃、アラン・ケイによって、パーソナルコンピュータが作られたことがある。アラン・ケイは、長年にわたって、ダイナブックの構想を持ち、それを追い続けた。
その後、ダイナブックは、東芝のラップトップの商標になってしまい、その本来の姿が追い求められなくなってしまった。

現在のスマホが、ダイナブックなのかもしれないが、今一度、ダイナブックの精神に基づくマシンが考えられていいと思う。

教科書も一生使えるように収められるマシンがあるといい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年01月22日 | Permalink

自分の欲望を、さらに突き進めるために、どうするか?

民間人の月旅行が話題になっている。
費用は明確にされていないが、月旅行の宇宙船の全席を押さえたのは、話題の人だ。

現実の体験は、イマジネーションでの体験を超えるものがあるので、月旅行は、わくわくする体験だろうと思う。

しかし、どれだけお金があっても、ものを買ったり、体験するだけであれば、それほど大きな満足の違いがあるものでもないと思う。
せいぜい目立つことの違いくらいだ。
 
こうなると、イマジネーションでの体験を、さらに突き進めるしかないのではないかと思う。
それは、内面的なもので、知的であったり、感覚的なものであったりする。

そのためには、何らかの方法で知覚する必要があるだろう。
本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりすることになる。
また、作品を見たり・作ったりすることになる。
さらに、実験したりして、新しい世界を切り開いていくことになる。

これは、実は、誰でも日常的に行なっていることだ。
受け身ではなく、自分としての追求だ。

自分の欲望を、さらに突き進めるということは、結局、こうしたことだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月09日 | Permalink

安室奈美恵の引退

安室奈美恵の引退について、多くの記事が出ている。
その多くは、引退を惜しむものであるが、反対の意見も当然あるだろう。
しかし、その取り上げ方は、私には、踏み込みが足りないように感じてしまう。  

「ミュージックステーション ウルトラFES2018」で、安室奈美恵の初出演からの全出演を短時間にまとめていた。
全体をコンパクトにまとめることで、振り返りがしやすくなる。

小室哲也のグループから離れた(?)ことで、CD売上枚数が減ったことがはっきりしている。
CDの時代が変化していったという面もある。

安室奈美恵は、若い頃の大成功を足場に、努力を続けた人であることがわかる。引退という判断も、その努力がいつまで続けられるかという判断によることが伺える。

マスメディアは、どうしても感傷的な取り扱いになってしまうが、それとは別に、自分自身で、安室奈美恵の歴史を数字でとらえると、違った見方ができるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月21日 | Permalink

街を歩いていると、外国人が多くなっていることに気がつく。

日本人と似ている外国人も多いだろうから、外国人の数は、見た目よりも多いだろう。

外国人だからというだけで何かを決められるものではない。
 日本人も、いろいろな人が増えてきたと感ずる。

こうした状況では、人を見る目が大事になってくるだろう。
 価値観のばらつきが大きくなると、その見極めが不可欠だ。
  例えば、結婚に関しては、昔は結婚相手を親が決めていた時代もあった。
  しかし、それができたのは、価値観のばらつきが少なく、実際の姿もばらつきが少なかったからだと思う。

人を見る目が大事だとなると、ある程度の期間、多くの人を見る必要があるだろう。
一人の人を判断する場合でも、価値観のばらつきが大きく、いろいろな人が増えてきた状況では、ある程度の期間が必要だろう。

今の時代は、人を見る見習い期間が、だらだらと続く時代だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月19日 | Permalink

本とどのように付き合うか?

自分が何らかを実行するために、本を読むことが大前提。
 時間つぶしなど、消費のために本を読むことを避ける。
 研究のためだけに本を読むことを避ける。

そのためには、実行することを探さなければならない。

先ず自ら問い・疑問を持つことがいいのではないかと思う。
その問い・疑問を、持っている本にぶつけてみる。

本を持つ範囲は、各人の境遇により様々だが、自ずから限度があると思う。
 多くの本を持つ人がいるが、使えない本を持っていても仕方がない。

本は、最初から読むのではなく、全体の構成を知り、必要なところを探すことができるようになれば、それでばよい考える。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月12日 | Permalink

ドラマで流れる交渉シーンは、あまりにも情緒的で、現実離れしている。

NHKの「西郷どん!」で流れていた薩長同盟締結の場面は、ドラマだと言われればそのとおりだが、交渉のあり方について誤解を与えるのではないかと危惧する。
 あまりにも情緒的で、現実離れしている。

 日本人が、交渉事を誤解する原因が、ドラマにあると思う。

 頭を下げることが交渉だと勘違いしないか心配になる。
 逆に、頭を下げれば、交渉はまとまるもので、こちらが頭を下げているのに、まとめようとしないのは、相手方がおかしいと考えないかと心配になる。

現実の交渉は、いろいろな条件を調整する作業で、多くの事実と見通しの積み上げ作業だ。
 どちらが先に頭を下げるかという単純なものではない。
 感情を抑えて、先に頭を下げることが、感情問題を乗り越えて解決するために、大人の態度といえるものでもない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年08月31日 | Permalink

何を見て考えるか?

考えるときに、何かを見ているものではないという人もいるだろう。
しかし、多くの場合、何かを見て考え始め、そこから目を離しても考え続けるというものだろう。

数字でとらえることは大事であり、それを表やグラフにして、それを見て考えることは多いだろう。

しかし、これ以外にも定点観測するものはあるだろう。それを見つけることは重要だと思う。

見るものは、経済的な事柄だけでなく、それをもっと広げたい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月26日 | Permalink

本は、厚すぎるのではないか?

自分が読んできた本が棚に並んでいるが、その背表紙を眺めながら考えていると、いろいろなものが頭を横切るものだ。

読んだ本の背表紙を見れば、その本の印象は思い起こすことができる。
しかし、細かいところは、あらかた忘れてしまっていることも多い。

それぞれの本で学んだことが、手短に語ることができれば、それで十分なのかもしれないが、語ることができる内容は本当に短いものだ。
語る内容よりも、その本をきっかけとして自分で行ったことの方が重要だろう。

本は、ある程度の量がないと、自分での行動に移せないのだろうか?そんなことはないだろう。
むしろ量が多すぎると、自分での行動に移せないだろう。
 本を読むこと自体を楽しむのであれば、本の分量が多い方が、楽しめる時間も多いのかもしれない。私の読み方とは異なるが。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月17日 | Permalink

不満・不安はどこから出てくるか?

多くの人は、自分の理想との間で格闘・葛藤している。

何もすることがなくて、不満・不安が生じる。

多くを獲得した人を羨み、自分にそれがないことから、不満・不安が生じる。
 しかし、例えば、コレクターのように美術品を多くを獲得したとき、それを見せることに満足感が生じるのかも知れないが、1つ1つの美術品の意味をしっかり理解していなければ、単なる見栄でしかない。
しっかりした理解が、本来の満足だと思う。

このことは、書籍に切り替えると、もっと分かりやすい。
現時点で流通・販売されている世界中の書籍を集めても、特別な本でない限り、その金額は、知れているだろう。
その金額を出して、世界中の書籍を集めてみましたよと、陳列してみても、おそらく意味はないだろう。
その人が書籍の中身を理解しているのか、他の人が書籍を見ることができて役立てることができるのか、などが問われるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月13日 | Permalink

楽しみを掘り出す感覚が必要だと思う。

楽しみは、すぐに見つかることだと考えていた。すぐに見つからなければ、楽しみとはいえないと考えていた。
しかし、自分の知らない楽しみを考えると、掘り出していかなければ見つからないだろう。

それでは、楽しみをどのように掘り出せるのだろう?
人の話、何かの記事が、きっかけということは多いだろう。

しかし、こうしたきっかけは、単発で終わる可能性が高い。
やはり、きっかけを集積していく方法を自分なりに見つけるといいのではないかと思う。
簡単な方法としては、ノートでも何でも、そこに記録しておくこと。そのノートを読み返してみると、何か気がついたり、他のどこかとつながることがあることに気がつく。こうしたことも記録する。
蓄積は、徐々に増殖するだろう。

そのうちに、気がついたことの全体をまとめてみようとすると、抜けている部分があることに気がつく(部分解から全体解へ)。

少し抽象的とお感じかもかもしれないが、部分と全体を行き来すると、大きな楽しみが見つかる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月10日 | Permalink