本や資料の利用
本や資料は、その体系が理解されていれば、必要な個所を速やかに見つけることができるだろう。
こうした本や資料があれば、テニスの壁打ちのように、壁となっていろいろと気づかせてくれることだろう。
本や資料は、その体系が理解されていれば、必要な個所を速やかに見つけることができるだろう。
こうした本や資料があれば、テニスの壁打ちのように、壁となっていろいろと気づかせてくれることだろう。
本の重要な点は、少しであれば一時的に頭の中に残すことはできるだろう。
しかし、多くの本を読み進むにつれて、重要な点だけとはいえ、そのすべてを頭の中に残すことはできなくなってくる。
こうした場合、自分のノートなりに書き写して読み返すということになる。
しかし、このようなノートが何冊にもなれば、読み返すこともできない。読み返すことができる範囲で、自分の生活に活かせれば良いということであれば、その範囲に限定して活かしていけば良いだろう。
しかし、もっと多くの量も、自分の生活で生かしたいと考えるならば、自分の側に何らかの体系を作り、そこに本の記述を紐付けていくことになるだろう。
自分の本を作り、引用として、その本に注記するという形態になる。
保管の体系については、これまでそれなりにまとめてきた。
1 紙ベース記録のファイルの体系
2 電子化された状態で作成された文書のフォルダ
しかし、時間が経ち、見直してみると、
1 紙ベースのファイルは、ある程度、物として把握できるために、体系が頭に残っている。
また、文書も、ぺらぺらとめくって見やすい。
これに対して、
2 電子化された文書のフォルダは、作成される文書が多いこともあってか、フォルダの体系は、なかなか頭に残りにくい。
また、文書を立ち上げないと、内容を瞬時に把握しにくい。
このあたりが、紙ベースと電子化された状態のものとの違いとして、意識する必要がある。
これから、電子化された状態のものがさらに増えることを考えると、関係者全員で利用できるシンプルなフォルダの体系を作る必要がある。
キーワードで文書を検索すればよいという考え方もあるだろうが、多様な文書を連続して読み込むことを想定すると、フォルダの体系はあった方が良い。
1つの苗だけを植えて、それが無事大きく育ちますようにと願っているだけではいけない。
同時にいくつかの苗を植えて、その生育を確認しながら育てていく必要がある。
多くの人は、いろいろなチャンス、選択肢のうちの1つだけをとらえて、それだけで進めようとする。
しかしそのやり方は、リスクが高い。
同時に3から5個のやり方を進め、比較する中で、その優劣が実感としてわかるようになってから、一番良い方法に絞っていくことは良いと思う。
分類は、カテゴリごとに分割していくイメージが強い。
しかし、分類は、分割してバラバラにすることが目的ではなく、全体を統合して把握するために必要だから行う。
私は、いつも、他の人が書く本(文章)が長すぎると感じてきた。
しかし、書く側に立つならば、書くことが楽しければ長くなってしまうと思う。
自分なりに資産管理会社を持ち、それを試行錯誤で運営してきて、だんだんとその使い方が分かってきたと思っていた。
ところが、当然のことながら、世の中には、資産管理会社を持つ人が多くいて、そのやり方を見ていると、自分と違うことが多いことに気付く。
特に、事実上、これまでは上手くいっているが、法的には問題と考えられるところが多い。
資産管理会社のメリットは、次の点。
1 親族を含め、多人数が関係している場合、紛争を事前に予防できること。
代表者の改廃ができる。
その仕組を明確にすることで、親族間の牽制ができる。
会社制度を利用することで、意思決定ができる。
共有のままでは意思決定ができない・ないし困難な場合がある。
2 経費化により、税の支払による流出を減らすことができる。
給与の支払(分散)
個人で所有していたのでは、経費化できない支出がある。それを経費化できる。
こうしたメリットが使えるためには、法的な判断は必要だ。
資産(不動産)は、個人所有のままとして、資産管理会社が賃借を受け、貸し出す形をとるケースがある。
これは、個人所有者が何人かいる場合、管理の一本化をするためであり、給与などの経費化を目的にしている。
しかし、個人所有者は、相続で多人数になっていき、最終的には、管理は困難になるのではないかと考えている。
河合隼雄さんが指摘した「中空構造」は、おもしろい仮説だと思う。
古事記では、3組の3神が登場するが、それぞれの組に、登場はするものの、何らはたらきをしない神(無為の神)が置かれている。無為の神は、他の相対立する2神の力を適当に均衡せしめるモデルだとする。
ドラッカーは、「日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合である」とする(「日本画の中の日本人」35頁)。
対置される西欧が、物事を分解し、詳細な説明を付け加えていくスタイルであるのに対して、日本は、存在するある事柄を、それ自体として把握するスタイルであるという意味であると思う。
この分析は、バランスをもたらす根元であると感ずる。
事業を運営する中で、いろいろな不安が生じる。その不安は、金銭的なものだけでなく、人間関係など非金銭的なものも多い。
しかし、金銭的なものだけでも表計算ソフトで全体を把握していれば、過度の不安に陥る必要はないことに気がつく。
何かの課題をいつ改善すればいつ頃どうなるかを把握していれば、落ち着けるだろう。
そのためには、自分のすべてのキャッシュ・フローを表計算ソフトで一覧にすることが有効だ。
自分のすべてのキャッシュ・フローを落とし込み、自動計算されて、総合計して、いくらプラスかマイナスかを把握できるようにしておくと、ある数値が改善されたとき、総合計に反映される金額がわかる。
また、自分の収益の柱ごとに、キャッシュ・フローを整理し、把握すると良いと思う。
そうすることにより、部門ごとの金額がわかり、自分の直感的把握と比べることができる。
その上で、経費の削減によりキャッシュ・フロー上の効果はどうなるか、資産の売却により借入金を返済することで、キャッシュ・フロー上の効果はどうなるかなど、表計算ソフトで数値を動かしてみると、気がつくことが多いはずだ。
税務・会計的な収益の把握も別途必要であるが、キャッシュ・フローを先ず把握することは重要だと思う。
父母が亡くなったときを思い浮かべ、自分が亡くなった後を考えてみる。あの世のことではなく、自分が亡くなった後のこの世のことである。
自分が一番大事だと思うものは、これまで自分が築いてきた、自分の体系だと思う。自分なりの、世界の理解の仕方など、大事ではないかと思う。
自分の体系を説明するものは、自分の活動範囲を起点として、これまでに経験した事柄として、蓄積されているはずだ。それは自分の言葉で表現されているものは、実際には少なく、購入した書籍・物、撮った写真、受けとった物などの形をとっているだろう。
象徴的には、自分の席に他の人が座ることにより、自分の体系を感じてもらえるだろう。
しかし、自分の席は、いつまでも空けておくことはできない。今生きている人が、利用していかなければならないからだ。すると、自分の体系は、ばらけていくだろう。
こうした点で、自分の記録をクラウドに保管することは、意味があるだろう。父母に聞いてみたいと思ったとき、聞けなくなっていることが、父母の死を一番実感する。
自分の体系は、誰でも理解できるものではないが、一番理解して欲しい人に利用してもらえるように、工夫する必要がある。