親子関係
人間は、自分の子供に対しては、目一杯強いことが言えるが、他人の子供に対しては、それができない。
この違いは、自分の子に対する愛情ではあるが、その表現によっては、子を傷つけることになる。
人間は、自分の子供に対しては、目一杯強いことが言えるが、他人の子供に対しては、それができない。
この違いは、自分の子に対する愛情ではあるが、その表現によっては、子を傷つけることになる。
長崎県の平戸に寄ったとき、鄭成功の生誕400年のがを見つけた。また、鄭成功の銅像まであった。
鄭成功は、世界史の本で、名前ぐらいは記憶していたが、海賊の親分ぐらいの認識しかなく、なぜ平戸にポスターが貼られているのか分からなかった。
これをきっかけに、調べてみると、鄭成功の母が、平戸出身の日本人だということを知った。
また、グラバー園を見学したとき、トーマス・ブレーク・グラバーの果たした役割についても新しい発見があり、さらに調査しようと考えるきっかけになった。
平和公園のアート作品に見つけた言葉。
冬を胸に 春は希望に満ちる
ある程度、人生経験を積んだ後であると、鄭成功やグラバーの人生を、学生時代よりは深く実感できるように思う。
本だけでなく、文章はどこにでも展開され、動画もあまりにも多い。
その全てを理解することは困難だろう。
したがって、自分に許された時間の範囲内で、情報に接して、その中から見つけられたものを味わうしかない。
AIが、こうした自分に代わり、目指すものを探してくれると考えることもある。
しかし、AIがまとめてくれるものも海のようであり、平凡で形式的にも感じられ、自分で探すことにこだわってしまう。
本を保管するスペースを広く確保することができたので、多くの本を購入してきた。
こうして集まった本をどうするかについては、振り返るといくつかの段階があることに気がつく。
本棚が十分あるということとは別に、もう読むことがないであろう本は、整理のタイミングで売却・処分してきた。
他方、これまでに読んで注目する点には、付箋を貼ってきた。こうした本は、例えば歴史年表にまとめている原稿のどこかに記入したり、別の原稿の1部に記載したりしてきた。
しかし、自分の原稿に全て移し替えているわけではなく、中途の形で、本に付箋を貼ったままのものも多い。
こうした付箋を貼った部分については、どこかで自分の原稿に落とし込む必要があるだろう。
特にテーマは決まっていないものであれば、日記の形式の原稿に落とし込むこともできるだろう。
本の読み方としては、いろいろな場所を紹介する本など、辞典のように使える本もある。
こうした本は、出かけるごとにラインマーカーでチェックしたりして、いつでも取り出して、読み返すことができる。
一戸建てよりもマンションを選ぶ傾向があるようだ。
高いセキュリティシステムを完備。
管理体制が充実している。
立地条件が良い。
庭は手間がかかる。
しかし、マンションが良いのは、老齢になり、夫婦2人だけになる場合などに限定される気がする。
マンションでは、広さを求めることは、容易ではない。価格がかなり上がるだろう。
広さは、保管できるものが多くなり、自由度が上がると思う。
広さがあることにより、多くのものを購入し、使ってきた。
広さがあれば、後世に伝えるものを残すことができる。
庭は、それがあることにより、自然に親しむことができる。
庭は、自分の所有物なので、自由に作り替えることができる。
これを読んでいると、文を交わすときに、結ぶ枝とか、梅の香りとか、植物の記述が多く出てくる。このとき、その植物を見たこともなかったり、触ったこともないときは、実感として、その記述を理解することはできないだろう。
庭仕事をしていると、植物に対する経験は増える。
自分の競争相手がどこにいるかは常に考えている必要がある。
多くの人は、自分の目の前にあるものしか競争相手として浮かばないようだが、本当の競争相手は、この世の中は広いのだから、見えないところにいると考えた方が良い。
これができるためには、自分の活動範囲を広くする必要があるだろう。
自分の生まれた場所しか知らない場合は、もっと別の世界があることを想像すらできないために、本当の競争相手の所在がわからないことが多い。
また、競争相手は、自分と同時代を生きている人だけでなく、歴史的にも広く見て、見つけても良い。
競争相手がある程度見つかれば、その人がやっていることをつぶさに研究すれば、必然的に自分がやらなければいけないこともわかるだろう。
もちろん相手がやってることだけを考えて真似をしているだけでは、着手に遅れた分だけ自分の方が不利である。
人の話を聞いたとき、その人が、その一族や企業の歴史を背負っていると感じたときは、素晴らしいと思う。
豊かさを知るためである。
明治維新のとらえ方としても、これまで武家社会が抱えてきた武士に対する必要最小限の支払いを止めて、国家のために必要なものを購入したことが、日本の革新に役立った。