静かな住宅街に住みたいか?

近時、共働きの夫婦が多くなり、勤務先に近いところを住まいとする傾向が強い。
これは、利便性を重視する考え方だ。
考え方というよりも、そうするしかないという面が強い。

しかし、共働きでない家庭の場合、考え方はいろいろある。

不動産そのものの価値と、そこに住むことで得られる価値、がある。

静かな住宅街の方が、子どもの教育環境には良いと考える人がいる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年07月03日 | Permalink

ご先祖様のとらえ方

柳田国男「先祖の話」によると、先祖という言葉は、2通りの解釈があるとされる。
1 家の最初の人ただ1人が先祖だと思う立場
2 自分たちの家で祀るのでなければ、どこも他では祀る者の無い人の霊、すなわち先祖は必ず各家々に伴うものと思う立場

しかし、この点については、私は、多くの人が具体的に先祖として思い浮かべるのは、2の立場でではないかと思う。

1 実際問題として、自分の家の初代は、探しようがない。
そもそも記録が残されていない。
何代も続く家であっても、家の最初の人ただ1人を特定することはできないだろう。せいぜい何百年だろう。

2 先祖の祭(祀り)は、もとは正統嫡流の人の権利であり、それ以外の人は、たとえ本家の先祖が分かっていたとしても、これを祀らなかったという。

3 資料などで、自分がさかのぼれる先祖までしか、具体的な祀る意識は及ばないであろうと思う。

この結果、「御先祖になる」という言い方が出てくる。
「御先祖様になりなさい。」というのは、新たに初代となるだけの力量を備えているということを受け合った言葉だと言う。


柳田国男は、以前の日本人の先祖に対する考え方は、人は亡くなってある年限を過ぎると、それから後は御先祖さま、またはみたま様という1つの尊い霊体に、融け込んでしまうものとしていたようであるとする。
この結果、家が旧くなり亡者の数が多くなると、短い生涯の主人や、子も無く分家もせぬうちに、世を去った兄弟などは、祀ることもなくなり、大抵はいわゆる無縁様になってしまうが、そのような差別待遇はしなかったことに至る。

柳田国男は、この考え方は、神様にも人格を説こうとする今日の人には解しにくいことだとする。

しかし、私には、以前の日本人の先祖に対する考え方の方が、しっくりくる。
親鸞の考え方に近い気がする。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年05月28日 | Permalink

旅行プランの立て方

関心のあるテーマを選ぶ。
例えば、窯元を、シリーズ本の中から選ぶ。

宿泊地を、自分の関心で選ぶ。
温泉めぐりをしているのであれば、日本全国の温泉紹介の本で、テーマの近くの温泉を選ぶことができる。

料理が目的であれば、ネットで選ぶこともできるが、あらかじめ気になる店を選んでおく必要がある。
 雑誌などの紹介で関心がある店が見つかれば、切抜きなどをして、地域別のファイルに綴じておく。

関心があるテーマ・料理などは、日本全国(海外も視野に入れるのであれば、世界全体)のファイル(地域軸)に綴じて保管する必要がある。

関心がある出来事・法則が見つかれば、自分の歴史年表(時間軸)に記録する。

地域軸と時間軸のファイルは、常にクロスさせながら見ることにする。

経験した旅行の資料は、地域軸のファイルに綴じ、見返すことができるようにする。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年03月12日 | Permalink

子どもは、自分の拡張したところだ。

子どもの幸福感は、自分のことのように感ずるものだ。
子どもが贅沢をすれば、自分が贅沢をしている感覚がある。

私は、このように感ずるが、世の中の人が全てそうとは限らない。

しかし、子どもは、自分の拡張したところだと感ずる方が、いいと思う。
ただし、このことは、あまり子どもには言わない方が、いいとも思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年02月27日 | Permalink

嫁ぎ先の両親との同居?

現在の若い女性の意見としては、嫁ぎ先の両親との同居など、とても考えられないという。
嫁ぎ先の両親が、建物を別にしても、隣にいるだけでも嫌だという。
(お嫁さんの実家の隣であれば、問題はないようだ。)

これは、舅・姑の態度が、これまでよほど悪かったのだろう。
 これからは、この点を注意していく必要がある。

子ども夫婦のプライバシーを尊重して、普段は離れている必要がある。

同居までいかなくとも、両親が近くにいることは、メリットもある。
若夫婦の子を預かることもできる。
舅・姑としても体が不自由になれば、若夫婦の手伝いはありがたい。

隣に住んでくれるお嫁さんは、よくできたお嫁さんなのだということだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年02月07日 | Permalink

人生のラップタイムは、常に意識すること。

物事には、時期がある。
 学校で学ぶ時期
 仕事を始める時期
 家庭を持つ時期
 子どもを育てる時期

こうした時期をあいまいにして、自由に過ごすことは、楽しいこともあるだろう。
しかし、そのしっぺ返しは、必ずどこかで来る。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年08月03日 | Permalink

豪邸

豪邸は、どこか特殊な建物だ。住む人の個性・好みを入れようとする。
 その理由は、権勢の誇示である。

しかし、いつまでその特殊な形で使うつもりなのか、使えるのか、よく考えてみるべきだ。
 売らなければならないときに、特殊すぎると、買い手は避けてしまう。
 豪邸は、ただでさえ大きすぎて高額である上に、個性的過ぎると、買い手は、限定されてしまう。

一族の連綿と続く生活のために、自宅の位置づけを考えるべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年10月26日 | Permalink

相続の紛争を、どのように防ぐか?

相続人の間で遺産分割の仕方について合意できていれば、争いは生じない。

ただし、生前にそのような合意をしても無効とするのが、法律の立場。したがって、生前には合意できていても、それをひっくり返すことはできてしまう。

このため、遺言をする必要があることになる。
ただし、遺言でも、全く自由になるものではなく、各相続人の遺留分を侵害すると、その限度で、もらいすぎた人は返さなければならない制度はある。

これが現在の法制度であるが、本来は、相続人の間で、分割の仕方についてきちんと合意できていることが大事だと思う。親と子らの間で、信頼関係があることこそ重要だ。

そのためには、幼少の頃からの育て方、成人してからの生活態度への注意など、親が考えなければならない。

基本は、
「財産は、自分で稼げ。」
「財産は、子孫のために預かっているにすぎない。」
「親も、自分たちも、兄弟間で比較するな。」
「財産の管理は、能力のある者に任せよ。」


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年10月27日 | Permalink

朗らかに、愛想よく。

こちらが相手方に対して何か配慮しているときに、その相手方が、ぶすっとした態度のまま通り過ぎてしまう、ということをよく経験する。おじさんに多い。

配慮されて当然と考えているのかもしれないが、それが日常になってしまうと、相手方の配慮に対する機敏な返礼ができなくなるだろう。機敏な返礼は、コミュニケーションの1つだ。機敏な返礼ができないということは、コミュニケーションができないということに結びつく。

そうなると、本当にコミュニケーションが必要な大事なときに、それができないことになる。その損失は計り知れないだろう。

日ごろから、意識しなくとも、機敏な返礼ができるように、心がけておくべきだ。少し口角を上げるだけでも、意味がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年10月20日 | Permalink