自由を得たとき、何をするか?

収入の安定のため、「寄らば大樹の陰」を選択する人が多い。大樹の陰でも、自由はあるのだろう。

しかし、どこにも依存しない自由は、何物にも変えがたい。
努力の結果として、自由に近づいていける。

そのような自由をほぼ手に入れたとき、どのような感覚となるのだろうか。

どこまで行っても何らかの脅威はあるので、そこからの自由を求めて努力するのだろうか。

時間が余って困るのだろうか。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年12月08日 | Permalink

豊かに生きるためには、質(クオリティ)を問うことになる。

 お金をかけることがすべてではなく、脳の中での作用が必要になる。「物語が必要」というとらえ方も同じ考え方だろう。
 脳の中での作用となると、きわめて個別的な問題となる。
 もちろん「憧れ」が働く余地は大きいだろうから、流行のような、多くの人が同じ趣向を持つことはあるだろう。しかし、他の人からの影響を少なくし、自らが求めるものを追求すれば、きわめて個別的な問題となる。
 個別的な問題として、それぞれが自分の考え方で進むと、そこでスタイルができる。スタイルは、色々となるだろうが、現実には、自分が独自だと考えていても、同じような境地に達する人は何人も出てくる。
 また、他の人からの影響を少なくするといっても、全く影響を受けないことはなく、むしろ良いところは参考にすればよい。
 こうして自分の境地ができた人は、自分と近い人と何らかの連携をとるだろう。質(クオリティ)は、この連携の中でできてくる。
 成熟した社会で生きるということは、こうして生まれる質(クオリティ)を問うことだと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年03月25日 | Permalink

日本の未来

1 日本に悲観的見方がある。
(1) 日本は、人口減のため需要は減り、成長できない。
(2) 国の借金が多く、日本国の財政は、いずれ破綻し、そうなれば円の価値は暴落する。
(3) 日本は勝ち組と負け組に2極化し、中間層が失われ、美徳も崩壊している。

2 しかし、他方、日本の良さを認める見方もある。
(1) 治安が悪くなっているという見方もあるが、依然として安全な国である。
(2) 食品、環境の面でも、世界的に見れば、日本はクリーンな国である。
(3) 日本は、文字の記録が残るものでも、2000年近く歴史のある国であり、すぐに滅亡するものでもない。

3 日本の未来をどのように見るかにより、今どうするのかについても意見が分かれる。
「日本の成長には限界があるのだから、日本以外の成長国へ出て行き、ビジネスを確保すべきだ。円高ならば、なおさら出て行くチャンスだ。」という意見もあるだろう。
「若者は、留学を希望せず、内向きだと言うが、大部分の日本人は日本での生活を望んでいる。阿倍仲麻呂(奈良時代)の歌を見ればわかるように、皆、昔から日本に戻ることを望んでいる。」という反論もあるだろう。

4 私が日本の未来をどのように考えているかについて、ここでは述べない。
 しかし、ビジネスが国際的な展開をし、人の移動も広くなった現在、ファミリーとして日本だけで生きていくことはできないだろう。世界は、豊かさを求めており、これまで発展途上国と言われた国も成長をめざしている。
 この結果、均一化はさらに進んでいるように思われる。その中で、日本の良さをどこに見い出し、それを広めるのかが求められるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年10月26日 | Permalink

「豊かな生活」を送ること

 人生はどうあるべきかと大上段に構えて尋ねられたとしたら、「豊かな生活」を送ることと答えるだろう。
 「豊かな生活」のためには、ある分野において、その人が満足できるだけ十分に究めることが必要だろう。
 そのためには知人・友人と協力することが必要となる場合もあるだろうし、孤独になって何かに向き合うことが必要となる場合もあるだろう。
 「豊かな生活」のために何が必要かと考えるならば、誰にでも当てはまる正解はないだろう。お金との関係について言うならば、それが全くないとしても、「豊かな生活」ができないものではないだろうが、一般的には、ある程度のお金(サム・マネー)は必要だろう。
 しかし、お金があればそれに比例して「豊かな生活」が送れるかと言えば、お金だけでは決められる問題ではないだろう。「豊かな生活」を送ることができるだけの知恵は必要だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年06月23日 | Permalink

自分の「聾瞽指帰(ろうこしいき)三教指帰(さんごうしいき)」

空海真筆である「聾瞽指帰」(またの名前が、三教指帰)を、以前に見たことがある。そののびやかな筆の動きを見ると、その意欲をひしひしと感じたことを記憶している。

空海が、「聾瞽指帰」を記述したのは、自分の歩みと信仰を、親族を含む世の人々に示そうとしたからである。聾瞽指帰は、空海にとって、決意の表明であり、退学の弁明でもあったものである。

法然の比叡山からの下山、親鸞の比叡山からの離脱も、これに類するものである。

こうした「聾瞽指帰」が、自分にあるだろうかと考える。空海と比較することは、おこがましいことかもしれないが、自分の「聾瞽指帰」は、何かを探してみても良いのではないか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年04月27日 | Permalink

人生の目的とは何か

 人生は、祖先から受け継いだDNAの本領を発揮させることである。表現の仕方が科学的に正確かどうかはわからないが、感覚としてとらえていただきたい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年10月09日 | Permalink