リアリスト
理論だけで割り切って考えれば良いとするのではなく、細かいところへも配慮するリアリスト(現実主義者)となるべきだ。
理論だけで割り切って考えれば良いとするのではなく、細かいところへも配慮するリアリスト(現実主義者)となるべきだ。
鳥海山のふもとにあるブナ原生林の森に、あがりこ大王があるが、その木は、300数十年ほどの時間であの大きさになったという。
それに対して、種から生まれたばかりの木の苗は、5年たってもせいぜい十数センチメートル位である。
しかし、小さな木の苗も少しずつ成長し、他の植物よりも高くなり、葉を茂らせ、太陽の光を浴びることができるようになると、一気に成長するようだ。
このことは植物だけでなく、社会の全般に当てはまることのように思う。
企業であっても、起業した時は小さなものかもしれないが、ある一定時点で安定した収益を得られるようになってくると、その得られた収益をもとに大きく成長していくことができる。
植物だけでなく、すべてのものに当てはまる1つの原則をよく理解し、努力しなければならないだろう。
世の中には、何らかの問題点があると、それが絶対的な大問題であるかのように強調し、問題のある行為をやめさせる動きが起きる。
コロナ禍のときも、ゼロコロナでなければならないかのような発言をし、経済活動そのものをやめさせる動きをしたグループもある。
医学的な問題と経済的な問題とバランスを持って調整する機能が、そもそもなかったと思う。
大阪万博でも、メタンガスが検出されて、その爆発が問題と指摘する声も多かった。
もちろんその問題を全く軽視するしてはいけないだろうが、そのリスクと万博を実施することによる成果等バランスをとって考えるべきだろう。
1人の命は地球よりも重いなどという発言があるが、価値判断を誤っているとしか思えない。
生命の問題があるならば、それ以外のあらゆる事柄は全て実施してはいけないと考えることは、社会的に大きな損失となるだろう。
現代社会は、あらゆるリスクを強調し、ネガティブキャンペーンを行うかのように動くが、そのリスクの確率を考えて、自分が進むべき道を決めていかなければいけない。
逆に、ネガティブな発想だけの人が多ければ、競争は少なくなり、ポジティブな人は楽になるだろう。
大きなビルを作る人がいるのを見るにつけ、そこでのビジネスがいつまで経済的に可能なのかを考える必要があると、少し懐疑的に考えるようになった。
その企業の人が連絡・協議する仕組みは、どのように作り上げられているか?
その企業が対外的にどのように自らを示しているか?
いずれの問題も、IT技術を使わざる得ないと思われる。
そのためには、自分に対して、何らかの揺らぎを起こす必要がある。
その方法
ネットでの検索で意外性を作る。
Google、YouTube
網羅性を自分に課すことで、普段行わないことにチャレンジする。
ある本の中の人物・事項を、あるサイトの中で検索してみる。
「江戸絵画入門」
値が上がり続けていると、どうしても、その基調が続くものと考えてしまう。
特に、不動産、アート作品は、そうだ。
しかし、購入を検討しているものが、現在、必要不可欠かを考えると、そうではないことに気がつく。
また、一品ものでも、同じようなものは、いくらでも出てくることに、どこかで気づく。
すると、自分なりの景況判断に従って、購入できる。
経済学を専門にする人からは、「何も知らないんだね」と言われそうだが。
また、お金では手に入れられないものがあるという議論からも離れて。
世の中の財物は、いつでもマネーで手に入れることができると考えられている。
マネーの信用が、絶大だとも言える。
この結果、すべてのものは、金銭評価される。すると、財物よりもマネーに価値があるように考えられていく。
しかし、そもそも生活を成り立たせているのは、財物であって、マネーそのものではない。
財物に視点を置く考え方であると言ってもよい。
インフレかデフレかといった議論を離れ、財物の組立として自分の生活を考えてみる。
不動産がいくらかといった問題は、この際、関係ないと考える。
人口が減少するから不動産価値は下がると考えるのではなく、人口が減少したときに、自分はどの範囲の不動産を支配・コントロールするかを考える。
金銭評価を意識せず、自分が不動産をどう利用するかだけを考える。
長期に渡り、利用だけを考えていくと、世界は違って見えてくる。
注:利用の中には、賃料を得ることを考えることは、含まれる。
株式は、どのように考えればよいか?
市場価格があり、価格は変動するが、その価格に視点を向けることを重視するのではなく、会社そのものと、自分を中心とするグループとの連携を重視する。
価格変動ではなく、会社そのものを見ることになる。
現金・預金は、どのように考えればよいか?
自分の生活を直接形作るものではなく、仮の姿のものと見る。
キャッシュリッチは、精神的には安定を感じさせるかもしれないが、あくまでも仮の姿であり、その移る先を考えるための道具となる。
多くの文書は、普段から自分の体系に基づきファイルされる。
そのファイルも、時間が経過すれば、大部になり、古くなったものは、ファイルからはずし、資料のみ黒い紐でまとめておく。
新しいものをファイルに残すのは、あとからチェックすることがあり、その可能性が高いから。
黒い紐でまとめておくのは、処分しやすいから。
黒い紐でまとめた資料は、保管期間を経過すれば処分する。
しかし、このとき資料的価値があると判断すれば、永年保管とすることになる。
どのような資料を永年保管とするかは、責任者に任された事柄である。
自分の判断能力に謙虚であれば、多くを保管することになるであろうが、単にルーティン的なものは、思い切って処分しなければならない。
「もの」についてのミニマリストは、必要最小限のもののみ残すのであろうが、その判断はきわめて難しいと思う。自分の判断能力に謙虚であれば、将来の可能性のために、枠を大きめに設定するのではないかと思う。
事業主が、人を雇って事業を展開するとき、雇った人に対して、いかに囲い込みをかけるかは重要だ。
多くの事業主は、工業の時代は、機械制工場を持ち、雇った人がそこで働かざるを得ない環境を作ることで囲い込みをかけた。
しかし、機械制工場があるだけでは利潤が得られないようになるにつれ、雇う人の能力に重きが置かれることになった。雇われた人は、自分の判断で独立したり、転職することができる。事業主は、投下した資金、時間を無駄にすることが起きてくる。
機械制工場だけではなく、パテント、ノウハウなど知的財産を管理する必要がある。重要な技術を守り、それ以外の分野を外注に出すなど、事業主は、管理する範囲を限定することが必要だ。
オートメーション化で、人の変動(人件費の増加、退職)を避けることも必要だ。