増税社会の姿

 政治は、自分ではコントロールできない要因だと考えているので、どうあるべきだとは言わない。むしろ政治の変化を前提(外部要因)として、将来の社会の姿について、素人の予想をしてみようと思う。
 消費税が10パーセントになる道筋はできたが、それで止まらないことは明らかだろう。また、それ以外の税も上げていかざるをえないと考えられているだろう。

 税金が高い社会は、社会階層の流動性が落ちる社会だと思う。階層が、現在よりも固定化すると思う。その理由は、手元のに残ったお金から、税金として出さなければならないお金が大きくなれば、成長に向けた投資ができなくなるのだから、現有の設備で回していこうとなるからだ。

 家は、新しく作るのではなく、今ある家をリフォームして使おうということになる。
 収益性のある資産を持つのにハードルが高くなる。
 逆に、収益性のある資産からの収益は、汗水たらして得たものでないならば、払う税金は増えるけれども、残りは投資に回していくことができるだろう。
(もちろん、ここで述べることは、税金の設定の仕方で、いくらでも変ってくるから、大雑把なものだ。)

 したがって、今の自分の階層を乗り越えていこうという野心を持っている人ならば、増税の前が、資産を拡大する最後のチャンスだと思う。もちろん、増税後も成長はできるから、悲観する必要はないと思うが、成長は今よりも大変になるということだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年10月30日 | Permalink

キャッシュフローのみを見ていると、投資に消極的になるきらいがある。

 自社・自家のお金の流れを、大きく区分けしてとらえると、特色がわかる。弁護士の立場として、いろいろ気がつくことが多い。
 区分けの仕方は、いろいろ考えられるだろうが、
収入として、事業収入(給与収入)、投資収入(資産収入、金利・配当収入)、
支出として、人件費、人件費以外の経費、支払利息、税・社会保険、消費(家計費)、投資(元金返済)、
くらいに分けてみる。
 事業者と給与生活者では、違いもあるだろうが、比較の仕方は共通に行うこととする。
 「収入の範囲で生活する」という世間一般に言われている原則は、そのとおりだとは思うが、この原則だけで生きてきましたというのは、野心に欠けるだろう。残ったお金は貯金するだけで、投資収入(資産収入、金利・配当収入)を考えないという生き方は、社会に対する見方を狭めるのではないかと思う。
 しかし、投資収入(資産収入、金利・配当収入)を考えようとしても、その実現は簡単ではない。また、急ぎすぎれば、リスクは高くなり、破綻することもある。
 ここに記載した区分けの項目のバランスを考え、何を増やし、何を減らすのか、その変化はどの程度かをチェックすると、自分の置かれた立場が分かるだろう。
 その結果、投資(元金返済)が、いかに大変かを痛感するだろう。デフレ期は、特にそうだ。キャッシュフローのみを見ていると、投資に消極的になるだろう。投資よりも、先ず生活なのかもしれない。
 しかし、何かを実現しようという野心があるならば、1人になっても、投資(元金返済)を進めようという決意をするべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月13日 | Permalink

日本をいつ脱出するべきか?

 円資産の価値の暴落を想定して、海外への資産移転を勧める論者が2000年頃からよく見られるようになり、既にある程度(あるいはほぼ完全に)実行された方も多いと思う。弁護士として話を聞くなかでも、そう実感する。
 経済活動の場が日本の枠を越えている人にとっては、海外投資の取得は当然のことだと思う。しかし、主たる経済活動が日本にある人にとっては、海外資産の管理は特別の研究を要する。また、ユーロ危機などを経験すると、資産の安全地帯はないと感じられ、また、分散の必要は理解できる。
 私のように日本国内を対象とした仕事をしている者は、日本を住みやすいと考えていると思われる。しかし、経済活動の場が世界に広がっている人も、日本は住みやすいと考えているだろうと思う。中国が経済的に成長している時期でも、中国で活動するために中国に居住する必要があれば、やむをえないと考えたかもしれないが、中国に住みたいとは思わなかった。
 若者は海外に出てかんばるべきだという論者もいるが、確かに、日本での活動の場を見つけられていない人は、ぐずぐず日本にいるよりは、成長点に出たほうが開けるだろうとは思う。しかし、成長点とは言え、暮らしやすいかと考えると別の判断になる、という人は多いだろう。
 私も、日本で生活することを現在は考えている。しかし、場合によっては、日本を脱出することもありうるだろう。
(1) 日本国内を対象とした現在の仕事をリタイアした場合
(2) 日本人の思いやりの精神が失われたと思えた場合
(3) 日本での税・社会保障の負担が大きくなり、低負担国との比較で住み良さを感じられなくなった場合

 江戸時代の藩が明治時代に県になり、移動の自由が認められてからは、誰もが自分は○○藩の人間だと意識しなくなったように、現在の国は、移動が自由であるならば、○○国の人間だと意識しなくなっていくのではないかと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年03月13日 | Permalink

柔軟なスケジュール感が必要だ。

 仕事をする場合、たとえば販売と仕入があるならば、それができるかどうかの判断だけでなく、いつするのが良いかの判断も必要だ。
 また、できるかどうかについては、世の中にはいろいろな方法があるのだから、どの方法によるのが良いか、その採用について、順位をつけて判断するべきだろう。この順位は、固定されたものではなく、いつするのが良いかの判断において、状況の変化と共に変わるだろう。
 このように、仕事を進めるにあたっては、いつするのが良いかという判断と、どの方法によるかの判断とが絡み合うものであり、状況変化に対応して柔軟に考えることが求められる。柔軟なスケジュール感をもつ必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月15日 | Permalink

部下を見ていると、見えているものを前提にしすぎていると思う。

 ある仕事を進めるにあたり、たとえば、すでに表計算ソフトで作られた表があると、部下は、その作り方に影響を受けてしまい、その発想を前提としてしまうきらいがある。これは部下だけでなく、弁護士としての自分への戒めでもある。
 データの管理が目的であれば、そのために1番重要なことは何かから考えて、表計算ソフトを利用していくべきところ、それができない。その原因は、表計算ソフトでも何でも、道具となるものについて、その基本となる機能をつきつめて考えていないからだと思われる。大部なマニュアルを読み、いろいろな機能を知ることも必要だろうが、シンプルにその道具の基本となる機能を理解し、自分たちのやろうとしている仕事を根源的にシンプルに把握したとき、その機能と仕事が合うものかどうかを考えるべきだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月10日 | Permalink

「ボス(親)が理解しない。」と言うなかれ。

 ボスが理解しないのを嘆くことは勝手だが、ボスを責めることは意味がない。ボスが理解できるように説明できなかったことを重視し、それを反省するべきだ。
 他人(ボス)を責めても、良い結果が出なければ自分の中に不満が残るだけだ。良い結果に結びつくためには、自分に何ができるかを考え、実行するべきだ。
 弁護士として仕事をしていて、このことを痛感する。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月07日 | Permalink

一石二鳥、三鳥

 1つの石で1羽の鳥を得ることも大事だが、自分の能力を更に向上させたいと考えるならば、1つの石で2羽、3羽を得ることも考えていかなければならない。
 一石二鳥というと、そのイメージは単発的な活動となってしまうが、本来は、1つの行動によって多方面への良い影響が及ぶような継続的な活動をイメージするべきだろう。
 塩野七生「ローマ人の物語」のカエサルの巻でも紹介されていたが、いくつかのねらいを同時に実現することは、年齢と共に必要だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月01日 | Permalink

一族設計の立場から事業を考える。

 人生設計より広げて、一族設計をしてみようとする立場からは、事業はどのようにとらえることになるだろうか。
 事業を継続するためには、いろいろな能力が求められる。このため、能力のあるトップを選ばないと、事業は破綻してしまう。
 ただし、事業の内容によって、求められる専門技術は異なるし、外部からの補充が可能な場合もある。したがって、自分の事業の存続のために必要な人材を常に意識し、一族の中で探す必要があるだろう。
 この点は、事業の発展を考えるのと同時に考えられるべき問題だと思うが、自分の命・健康に何らかの変化を感じないと準備が始められないように思われる。
 自分の亡き後まで考えても仕方がないと考える人もいるかもしれないが、弁護士をしていると、考えておく必要があると思う。また、自分の家族状況の変化に応じて考えてみると、また違った発想となると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年01月19日 | Permalink

金持ち父さん貧乏父さん

 この本が出版されて、すぐに読んだ記憶なので、2000年秋口頃だと思われる。まだ、この本がそれほど評判になっていないときだった。そのとき、こう言っては自慢めいて聞こえるかもしれないが、「なんだこれは!自分(私)が考えて実行していることをそのまま本にしているじゃないか!」と感じた。弁護士として、また、不動産の扱いに関与するにつけ、経験として感ずるところだ。
 本として、おもしろく読めるようにまとめられており、まとめ方の工夫はあると思われたが、内容は全編自分の考え・実行そのままだった。
 後に、この本が大変なベストセラーになるにつれ、自分の考えや実行していることを読みやすくまとめればベストセラーにもなるのだとすら思ったものだ。
 ただし、著者であるロバート・キヨサキが、シリーズ本として何冊も出すに至り、この点では自分と大いに異なると思った。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年01月12日 | Permalink

投資家

 「投資は良いが投機は良くない。」とか、「投機だから悪いのではない。」とか、いろいろ言われるが、言葉のイメージで議論しても意味はないだろう。弁護士として、具体的に考える場面に遭遇すると、そう思う。
 投資と投機を明確に区分する基準は、むつかしいと思う。それは、投資・投機の対象だけでなく、その主体の状況にもよるからである。
 投資か投機かは、各人について、個別に判断するしかない問題である。
 


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月15日 | Permalink