プロフィール

・昭和31年(1956年)生まれ
・昭和56年3月 東京大学法学部卒業
・昭和56年4月 司法研修所入所(第35期)
・昭和61年4月 前川法律会計事務所を開設
・平成 9年3月 セントラル法律事務所を開設
・平成 9年4月 名古屋弁護士会(現、愛知県弁護士会)副会長

現代の大富豪経営者も京都・南禅寺エリアがお好きという記事を見ると、庭だけに興味が限定されるわけではないが、自分は次の世代に何を渡していくのかを考えさせるきっかけとなる。

その意味は、これまでの価値観だけでなく、そこに何か新しいものを付け加えることができるかどうかという問題提起である。
経済的な価額だけの問題ではなく、そのもの自身の価値を認め、その1部なりを維持しているという意識は、重要だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月17日 | Permalink

「徳川秀忠」小和田哲男

誰々を徳川家康になぞらえ、誰々を徳川秀忠になぞらえて、こうあるべきなんだというような議論をするつもりはない。
親子関係、先輩後輩など、誰もが徳川家康であり、また誰もが徳川秀忠になり得る。
こうした観点に立って、この本を読んでみると、色々と気がつくことが多い。
1 家康も秀忠も、それぞれチームで行動していると考えるべきだ。
歴史の本では、家康が〇〇したと描かれるが、それはチーム家康が〇〇したと言うことだ。
2 家康も秀忠もチームとしてできる事は何でもやっているということだ。
家康の立場からは、いつになっても後継者のために色々と配慮を続けている。
家康のブレーンを秀忠のブレーンにする場合も、犬猿の仲の関係の者達をつけている。ここにも配慮はある。
家康も秀忠も、多くのブレーンがあり、そのブレーンをうまく利用して行動していると思う。
3 こうした家康と秀忠の最後の接点でのやりとりは参考になる。
家康も、いよいよ最後のときが近づいたことを観念したものか、枕元の秀忠に、「わしが死んだら、天下はどうなると思うか」と聞いている。それに対し、秀忠は、「天下は乱れると思われます」と答えているのである。家康はこの答えに満足したらしく、「ざっと済たり」と一言いって、心地よげだったという。この「ざっと済たり」という言葉は「そう考えていたらよい」といった意味だったものと思われる(148頁)。
秀忠の言葉は、覚悟を示したものだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月09日 | Permalink

アーティストとして社会に向かうときの基本

刑法の理論にもあるように、1 構成要件、2 違法性、3 責任、と考えることは基本だと思う。2の違法性は、客観性のことであり、3の責任は、主観性に属することである。
アーティストの多くは、自分の個人的な考え方で作品を作ってしまう。
しかしそれは、3の責任に相当することを最初からしてしまうことだ。
先ずは客観性を考えるべきだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年04月18日 | Permalink

企業が考えるべき2つの行動

ある会社の社員総会を見て思うことは、社員の心情に訴えるメッセージは必要だということだ。
わかりやすい言葉で語り、社員の側も、それほどの意味はない反応であったとしても、盛り上がる形も必要だと思う。
しかし、同時に、すべての社員に理解できるような形でないものも必要だと感じる。
会社の将来を見据えたときに、どのような課題があるかということは、すべての社員が議論できることではないだろう。こうした問題提起は、スタートの時点は、一握りの意識がある人で行う必要があるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年04月11日 | Permalink

真に利用できる茶室

「マンションをリノベーションしたり、オフィスやカフェに設置したり。心安らぐ上質なおもてなしの場として茶室を求める人たちが増えている。」という記事がある。
この記事を見ていると、新しい茶室といっても、昔からの特徴をどこかでそのまま受け入れようとする傾向があるようだ。
路地に見立てたベランダにあるつくばいで手と口を清めること
器や窯や掛け軸等についての会話
にじり口の設置
こうした特徴を備えていないと、茶室とは考えにくいのかもしれない。こうした特徴があって、お茶に満足することができるのかもしれない。
これに対して、茶室は、茶人が自分の好きなお茶を楽しむために自分の好きなようにつくったものとする人もいる。
さらに移動式の茶室を作り、自分がいま座っている場所を感じてほしいとする人もいる。
書画を掛ける代わりに茶室から見晴らせる空間そのものを絵画と捉えた人もいる。

茶室を作った人は、月にどれくらいの頻度で利用するのだろうか?
茶室を作るのに要する費用と利用頻度を比べたとき、成り立つものかどうか疑問も出てくる。
このような茶室をめぐる様々な変化の中で、トポロジーの感覚で、そこで変わらないものを取り出してみることは有効だと思う。
これをすることにより、真に利用できる茶室は見えてくると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年04月05日 | Permalink

格差社会といっても、身体的な違いはさほどないと思う。

心臓に問題があるとか、目が全く不自由とか、こうした格差があるときは対策を考える必要があるだろうが、多くのケースではないだろう。
むしろ、美男美女であることによる経済格差はあるかもしれないが、そのことが問題とされることはあまりない。
このことは、こうした格差は、自分の美醜以外の能力などで克服していくということが求められているからだと思われる。
結局、経済的な格差が問題とされていて、それはそれで深刻な問題かもしれないが、自分としては、その経済的格差を自分の能力で克服していくということが求められているのだと思う。
自分の能力で克服できない格差があるのだという主張もあるだろうが、社会全体としてその格差をなくすることは、相当に困難なことだと思う。またその格差をなくする方策は、逆に平等性を害することにもなっていくと思う。
歩きスマホをしながら横断歩道をのろのろと歩いている人も多いし、信号無視で自転車で突っ込んでくる人も多い。
こうした人たちを見ると、それぞれ自由に生きているのだから、それはそれで良いと思える。
皆が自由に生きていることは、非常に大事なことで、その中で格差が喧伝されることに惑わされない方が良いと思う。これが事業主の心得だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年03月28日 | Permalink