現在あるものをどうとらえるか?

現在あるものは、記録として将来に向けて代々受け継いでいくべきものと、その時々に楽しんだり、考えたりするためのものとに、分けていく必要がある。
 その時々に楽しんだり、考えたりするものは、子孫が先祖を振り返るときに必要な場合もあるだろうが、先祖が楽しんだり、考えたりするもの全てを体験することはできないだろうから、どこかで限定する必要がある。
 先祖がその時々に楽しんだり、考えたりするものは、その例示としての意味はある。
将来に向けて残しておくものは、どこに保管するかを考える必要がある。
 できるだけ身近に置かないと振り返ることもないだろうが、身近すぎると、本来必要なスペースを奪うことになってしまう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2025年01月27日 | Permalink

時間をどのように語るか?

時間について語ろうとすると、量子力学の多世界解釈の問題に入ってしまい、難しくなります。
文系の人間として、多世界解釈をどのように考えているかというと、時間は、4次元の世界になりますが、5次元の世界から見たときにどのように捉えるかという問題です。時間というものが、過去から未来にわたって筒のようになると思います。ですから、時間が進行するというよりも、1つの巨大な物体として存在するイメージです。
したがって、時間がゆっくり進行するという捉え方が良いかどうかはよく解りません。
あえて言えば、時間という筒の中をさまよう感じでしょうか?


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2025年01月16日 | Permalink

謹賀新年

事業の承継の問題は、関心が、所有するものの相続に向いたり、親子などの家系に向いたりすることが多いように思います。
しかし、大事なことは、事業がうまく成り立っている根本にある考え方の承継にあります。
私どもの法律事務所も、こうした承継を進めていかなければなりません。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2025年01月07日 | Permalink

話を聞いていて分かりにくいとき

話を聞いていて分かりにくく、苛立つことが、時々起こる。
その原因を考えると、その人の話を聞いて、話したいことの全体が構築できない時であることを感ずる。
全体がわかりにくいのは、全体を構成する要素が把握しにくいことにある。
また、その人が、最初に全体を把握してもらおうと話をしないため、その人の話すことをフォローするのが疲れてしまうこともある。
こうした疲れやイライラを感じた時は、全体を把握せずに、バラバラにとりあえず聞くしかない。そのことによって生じる不利益は、その人に振りかかるかもしれないが、やむを得ないように思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年12月23日 | Permalink

創業の理念にどのように向き合うか?

創業の理念といったものに立ち返るのは、創業者の力量が高く、後進のものはそれに及ばないためだ。
しかし、創業者を乗り越える力量のある者は、乗り越えていかなければいけない。
創業者を乗り越えているかどうかの判断は、実は1番難しいところだろうが、どこまでも客観的な力量で判断するしかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年12月09日 | Permalink

本の読み方を改めて考えてみる。

本は、その全部を読むべきものだと考えていたが、それは何らかの刷り込みだったように思う。
また、読むというよりも、眺めるというのが正しいように思う。
美術館で、ある構成を持って美術品が展示されているのを眺めていくように、本も眺めていくという感覚で、今はいる。
美術館で作品を見るということ自身、作品の全てを詳細に検討することは難しく、また接するように見ることもできないことが多いので、むしろ図録で確認することが多いように思う。
本も、理解して終りとするだけよりも、そこから何を得て行動するかが重要であると考えると、本の全てを読む必要もないと思う。
 本の構成がある程度理解されていて、何か気がついたときに、その場所を探し出せればそれで良い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年11月21日 | Permalink

表現の重要性は、常に意識しよう。

表現というのは、文章にする場合もあれば、口頭で述べる場合もある。
文章の場合に明らかになりやすいが、論理の構成を明確にしよう。
1つの文章は、できるだけコンパクトにし、読んで理解しやすい内容にする。その上で、それを受けて、次の文章が来る。その時、前の文章を原因として、次の文章が結果として来る場合(順接)と、前の文章を否定・修正するものとして、次の文章が来る場合(逆接)とがある。
基本的には、順接で文章をつないでいけば良いが、それだけでは広げられないこともあり、逆接で進める必要があることもある。
しかし、逆接を連続しすぎることは、その文章の論理をわかりにくくし、多用するべきではない。

以上に述べたことは、文章の場合だけでなく、口頭で述べる場合も同じだ。
口頭で述べた1つの表現(文章)が、素直に明確であることが必要であるが、人によっては逆の含みも入れたような曖昧な言い方をする人もいる。
しかし、そのような曖昧さは、わかりやすさを遠ざけ、口頭でのやりとりで理解してもらうことには障害となることがある。
口頭での1つの文章は、シンプルであるのが良い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年11月13日 | Permalink

関心・行動を展開し、体系化しよう。

まず何かに気がつく必要がある。
 そのためには、分野を限定せず、むしろこれまで見てこなかった分野を意識的に見ることが求められる。
  新聞の全てを見る。
  本屋の全てのジャンルを見る。
  地図帳の全てを見る。
それについて自分なりに考え、調べ、行動する。
その結果をExcel等で1つにまとめる。
 1つにまとめることで、常に立ち返る場所ができる。
1つにまとめたものを次の世代に見てもらえるように工夫する。
 次の世代に引き継がれることまで考える必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年11月05日 | Permalink

ものの保管場所

ものを保管する場所については、災害があったときの備えとしては、場所を分散した方が良いとは思う。
しかし、ものを楽しもうと思うならば、ある程度保管場所は集中していた方が良い。
この点は、悩ましいところであるが、災害によってものが失われることは、運命であると割り切るならば、ものを楽しむスタイルを取った方が良いだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年10月24日 | Permalink

格差社会になった場合、何に気をつける必要があるか?

母親が子供を産んだ後、幼な子が十分な教育・しつけの環境に置かれないことが指摘された。
 「グラックス兄弟の母コルネリアヤユリウス・カエサルの母アウレリアの最大の関心事は、息子を育てあげることにあった。(中略)それが今や、母親の任務は子を産み落としたら終わりだ。(中略)幼な子は、無教養で下品な女奴隷たちに囲まれ、彼女たちの下らないおしゃべりを耳にし、なるべく怠けようとしてずるく立ちまわる様を観て育つことになる。」
 塩野七生、ローマ人の物語11巻21ページに、歴史家タキトゥスが書き遺した、紀元2世紀のローマの上流家庭での子育て

格差社会では、どこでも均一な環境であることは期待できない。
特に情報化社会でもあると、悪影響から逃れるためには、工夫を要する。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年10月15日 | Permalink