人生100年時代のパフォーマンス(行動)の例(ランダム)

自分は何をするか?ということに尽きる。
自分の行動を少し広げてみることは、いいのではないか。

子どもが巣立ったら、自宅を処分して、コンパクトで便利な場所に住む。

書棚の本を、いろいろな基準で並べ替えてみる。

塩野七生「ローマ人の物語」から、自分に似た皇帝を探してみる。

旅先で見つけた気に入ったもの(落ち葉など)を集めて、箱の中に構成してみる。

おもしろいと感じたペーパーを集めてファイルして、絵本にしてみる。

東京などで売り出されている不動産を検索して、現地に行ってみる。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」を、自分なりに膨らませてみる。修正してみる。

自分のすべての経済活動をエクセル表に落とし込み、キャッシュフロー一覧表にまとめてみる。
そのエクセル表を加工して、自分の未来の姿を表わしてみる。

これまで本などを読んで大事だと感じた個所を、年表に落とし込んでみる。
時間軸に落とし込みにくい個所もあるかもしれないが、それを落とし込める物事の見方を考えてみる。
こうしてできた年表は、これまでの歴史年表とは全く違った流れになり、歴史のとらえ方を考え直してみる。

昔、持っていたもの・気になっていたものなどをネットで検索して、入手してみる。

明かりをつけないで(電気をつけないで)お風呂に入る。

焼物の産地ごとにコーヒーカップを集めて、比べてみて、それを使ってコーヒーを飲んでみる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月28日 | Permalink

世の中では、とんでもない値段を見ることがあるが。

旅行、食事、時計、美術品など、高額な値段を見ることが多くなった。
高額でも買う人がいるということだ。

そのものの価値と値段は、あまり関係なく、「価値があるから値段が高くなる」のか「値段が高いから価値がある」のか不明だ。

この現象は、人は価値だけでは、それが見極められず、満足して生活できないということを示していると思う。
世の中、マネーがあふれているので、金額だけ見れば、それが積み上がっているという面もある。

しかし、このような時代だからこそ、価値を見極める生活をしたら、コストを過大にかけないで満足できると思う。

価値の見極めでは、その道の達人とか専門家があふれているが、自分の感覚で生きていけばいいだけだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月26日 | Permalink

文章と絵画・写真

文章は、概念を組み立てたもの。
読むのに時間がかかる。

絵画・写真は、統合された知恵。
一瞬で全体を見ることができるが、意味の理解ができているかどうかは、別問題として残る。

西洋と日本の違いに似たところがある。

文章は、絵画・写真を見るように、一瞬で全体を見るようにとらえるべきだろう。
絵画・写真は、文章を読むように、概念で組み立ててみてもとらえるべきだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月19日 | Permalink

収入が支出を上回ることだけが、望みか?

収入の範囲で生活をしなさいと言われることが多いだろう。

給与生活者で、給与の高望みをしないで生活することに満足している人も多いだろう。

しかし、中小事業者の場合、収入が安定せず、そもそも給与生活者の感ずる安定など、はるか先のことだと感じている人も多いだろう。
こうした中小事業者にとって、収入が支出を上回ることだけが、望みとなってしまうこともある。

こうした望みを感ずるとき、中小事業者であるならば、その望みを振り払い、チャレンジャーでありたいとも思う。
こうした気持ちの揺れは、いつも感じているものだろう。

中小事業者は、こうした気持ちの揺れに耐えながら(できれば楽しみながら)、したたかでいたいと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月13日 | Permalink

相続で残しておいて欲しいもの

財産的価値があり、換価しやすいものは、多くの人が残してほしいと考えているだろう。
現金、預金、上場株式

換価しにくいものでも、財産的価値があるものは、残してほしいと考えるだろう。
不動産
 残された人が使いにくい大きさ、間取りであると、敬遠されるが、処分してしまえばいいとも言えるだろう。

絵画
 残された人の趣味に合わないときは、処分されてしまうだろうが、金額の問題だろう。

非上場株式
 今後も会社を支配していきたい人・それを支援していきたい人にとっては、重要なものだが、そうでない人にとっては換価に困るだろう。

財産的価値があるかどうか分からないものは、困るだろう。
書籍、資料、写真、記録など
 こうしたものは、残された人が困るから、生前に処分するべきだという意見もある。

 しかし、実は、こうしたものこそ、これからは大事になると考えている。
  処分されてしまうと、残された人にとって、再現できないからだ。
  戦争をしてはならないのは、こうしたものを残し、歴史を伝えるためだ。

歴史を伝えることが、これからの戦略として非常に重要だ。
この観点から考えると、動産も、何を・どのように残すかはよく考えられるべきだ。
残せないのは、多くはスペースの問題があるからだ。スペースがある限り、残していき、将来の世代に、始末の仕方についての判断を待つのがいいと思う。
将来の世代にその判断を求めることは、余分な労力をかけることになるという意見もあるだろうが、何もないことでも将来の世代は困るだろう。

動産は、ただ残されても、その意味が分からなければ、将来の世代は困る。何らかのコメントも同時に残すべきだろう。
形見分けがあるように、亡くなった人が使っていたものは、その歴史が残っていると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月10日 | Permalink

充実の次に考えること。

仕事のやり方は、自分に与えられた時間の許す範囲で、仕事を終えるようにする。
こうすれば、自分のなすべき仕事の全体をとられていれば、その中の何かができなくなると言うことはないだろう。
時間が限られているのだから、できなかった仕事もあるではないか、と疑問に感じられる方もあるかもしれない。
しかし、何もできていない形となっても、自分の中では、次に続く形となっていれば良い。
(もちろん、時間の許す範囲で、仕事を終える場合でも、何らかの手当ができていることがふさわしいとは考えているが。)

こうして仕事に取り組み、「精一杯生きている」と感じられれば、充実してくると思う。

しかし、このやり方だけでは、気持ちの面で、足りないと感じられるはずだ。
対応を修正していく必要がある。

では、どうするか?
新しいものを取り込む工夫が必要だ。それを仕組として作るべきだ。

自分のなすべき仕事の全体について、何かをやめてみることも大事だ。
ここからは、必勝法があるものではなく、変化をつけることだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月03日 | Permalink

スマホやパソコンの映し出す世界のみで、いいか?

地下鉄では、8割以上の人がスマホとにらめっこしている。
歩きながら、スマホを見ている人もいる。

スマホが映し出す世界は、刺激的で、想像力に富むものなのかもしれない。

しかし、スマホを見ながら歩く人のそばに咲く植物は、かえりみられない。
現実のものが持つ不思議さ・美しさが、直接、眺められることもない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月29日 | Permalink

マネーは、いつでも価値があるのか?

経済学を専門にする人からは、「何も知らないんだね」と言われそうだが。
また、お金では手に入れられないものがあるという議論からも離れて。

世の中の財物は、いつでもマネーで手に入れることができると考えられている。
マネーの信用が、絶大だとも言える。
この結果、すべてのものは、金銭評価される。すると、財物よりもマネーに価値があるように考えられていく。
 
しかし、そもそも生活を成り立たせているのは、財物であって、マネーそのものではない。
財物に視点を置く考え方であると言ってもよい。

インフレかデフレかといった議論を離れ、財物の組立として自分の生活を考えてみる。
不動産がいくらかといった問題は、この際、関係ないと考える。
人口が減少するから不動産価値は下がると考えるのではなく、人口が減少したときに、自分はどの範囲の不動産を支配・コントロールするかを考える。
金銭評価を意識せず、自分が不動産をどう利用するかだけを考える。

長期に渡り、利用だけを考えていくと、世界は違って見えてくる。
注:利用の中には、賃料を得ることを考えることは、含まれる。

株式は、どのように考えればよいか?
市場価格があり、価格は変動するが、その価格に視点を向けることを重視するのではなく、会社そのものと、自分を中心とするグループとの連携を重視する。
価格変動ではなく、会社そのものを見ることになる。

現金・預金は、どのように考えればよいか?
自分の生活を直接形作るものではなく、仮の姿のものと見る。
キャッシュリッチは、精神的には安定を感じさせるかもしれないが、あくまでも仮の姿であり、その移る先を考えるための道具となる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月26日 | Permalink

「くそっ」と思ったことがあるのは、必要なことだ。

1804年
渡邊崋山(登)(12才)にとって生涯忘れることができない1つの事件があった。
登は、日本橋付近を通行中、登と同年輩位の若君の大名行列を冒してしまった。このため、衆人環視の中で散々打たれたり蹴られたりの辱しめを受けた。このとき、登は、燃えるような発奮が起きた。(「崋山渡邊登」7頁)

1857年
渋沢栄一(1840年生)は、農耕・養蚕のほか、藍玉の製造・販売を営む豪農の家に生れた。代官から御用金の申し付けを受けた際の侮辱・嘲笑に憤慨した話(17歳のとき)(青淵百話)が残されているが、封建制・身分制を笠に着て、経済力・能力に秀でたものに対して理不尽な行為をすることを、心から軽蔑した。(山本七平「渋沢栄一 近代の創造」37頁)

これらは、封建時代に対する近代の感性が生じたとき、ともいえるだろう。
封建制・身分制の中で、血縁により有利な立場に生れた者の中には、相手を侮辱・嘲笑する者もいる。しかし、血縁により有利な立場に生れたというだけで、その者が自分の力で獲得したものではないものを振り回しているだけで、優れた者とは言えない。

こうしたことは、程度の差はあれ、現代でも起こっている。
自分で獲得したものでもないのに(親から譲り受けたと言うだけで)、その格差を誇る人は、どこにでもいる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月19日 | Permalink

現実的に見た会社の姿

1人1人が、会社という場を借りて、自分でビジネスをするという感覚の人が集まる会社が、伸びる会社の姿だろう。①
(もちろん、自分でビジネスをするといっても好き勝手ができるということではなく、成果を上げるために、コントロールは受ける。)

しかし、多くの人は、このようには動けない。あくまで雇われ人の感覚でいるだろう。

また、後輩が働いて先輩に配当するのが、組織の姿だろう。②

①と②により、自分でビジネスをできるようになった後輩が、自分でビジネスをできるようになり、その指導をした先輩に対して、報いていく形となる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月08日 | Permalink