美術の作品は、自分の思った通りに作れば良いのか?
日本の美術教育は、自分で描く・作ることが中心となっている。
これに対して、世界では語ることが中心であると言う指摘がある。「世界視点で読む企業戦略とアート」上坂真人223頁
この影響があるためか、作家は自分の感性で作品を作れば良いという感覚が日本にはあるように思われる。
しかし、日本でも、気がついている作家は、世界レベルで評価を受けるためには、世界の流れを踏まえ、日本の作品の位置づけも考えているように思われる。
日本の美術教育は、自分で描く・作ることが中心となっている。
これに対して、世界では語ることが中心であると言う指摘がある。「世界視点で読む企業戦略とアート」上坂真人223頁
この影響があるためか、作家は自分の感性で作品を作れば良いという感覚が日本にはあるように思われる。
しかし、日本でも、気がついている作家は、世界レベルで評価を受けるためには、世界の流れを踏まえ、日本の作品の位置づけも考えているように思われる。
過去に買った本を、本棚で眺めてみて、関心があるものを1冊手に取り、それを1時間か2時間位で拾い読みする。
本の全体の構造は、目次でつかむようにして、その中で関心があるところを読むという方法になる。
これをすることによって、本の内容に新しい発見をすることができる。
短歌は、短い文章であるところに意味があると思う。
短い文章であることから、意見交換ができることにつながる。
また、自分の行動に結びつけやすい面もある。
短歌は、57577の文字数にこだわるようである。その方が文の調子が良いということだろう。
しかし、字余りとか字足らずもあるようであり、絶対の制約ではないようだ。
むしろ、短文であることが重要だと考える。
やることが遅い人は、やるべきことの全体が分かっていないので、遅いと思われる。
やるべきことの全体が分かっていれば、そのための時間がどうしても不足していることに気がつく。必然的に、やることが速くなる。
こう考えた時、自分は何をするだろうか?
現在の経済情勢等について、新聞やネットでいろいろと調べ、これに対応しようとすることは、変わらないようにも思う。
新聞という言葉が出た時点で、古い人間だと思われてしまうかもしれないが。
世間では、いつもスマホを見ている人がいる。こうした人は何をしているのだろう。
アートの評論家系の人が書いた文章は、抽象に関して言えば、形態にとらわれた表面的なもののように感じる。
なぜ抽象なのかというところが、とらえきれていないと思われる。
このような点を踏まえると、作家は、自分の作品について、何らかのコメントをする必要がある。
本だけでなく、文章はどこにでも展開され、動画もあまりにも多い。
その全てを理解することは困難だろう。
したがって、自分に許された時間の範囲内で、情報に接して、その中から見つけられたものを味わうしかない。
AIが、こうした自分に代わり、目指すものを探してくれると考えることもある。
しかし、AIがまとめてくれるものも海のようであり、平凡で形式的にも感じられ、自分で探すことにこだわってしまう。
本を最初から最後まで1字1句を追って読むという方法は、歳とともに止めなければいけない。
また、本に書き込みをするという方法も、煩雑だと思われる。
本は、そこで何を言いたいのかがわかれば、それで良い。
そのためには、その本の骨格になるところを把握し、全体の構造がわかれば良い。
そこで、その本の骨格になるところに付箋をつけて、全体を飛ばし読みでも良いので、早く一読することが必要だ。
付箋をつけたところを、時々は振り返り、骨格として妥当であったかどうかを見直す必要がある。
こうして一読した上で、その本の全体の骨格がわかれば、言葉でその本の言わんとするところを説明できるようになる。
自分の言葉で表現出来るようになれば、その本に書かれたことを実行することができるようになる。
本は、実行まで進まなければ、無駄に終わってしまう。
本を保管するスペースを広く確保することができたので、多くの本を購入してきた。
こうして集まった本をどうするかについては、振り返るといくつかの段階があることに気がつく。
本棚が十分あるということとは別に、もう読むことがないであろう本は、整理のタイミングで売却・処分してきた。
他方、これまでに読んで注目する点には、付箋を貼ってきた。こうした本は、例えば歴史年表にまとめている原稿のどこかに記入したり、別の原稿の1部に記載したりしてきた。
しかし、自分の原稿に全て移し替えているわけではなく、中途の形で、本に付箋を貼ったままのものも多い。
こうした付箋を貼った部分については、どこかで自分の原稿に落とし込む必要があるだろう。
特にテーマは決まっていないものであれば、日記の形式の原稿に落とし込むこともできるだろう。
本の読み方としては、いろいろな場所を紹介する本など、辞典のように使える本もある。
こうした本は、出かけるごとにラインマーカーでチェックしたりして、いつでも取り出して、読み返すことができる。
医学的に見た健康を、普段あまり気にせずに頑張っている人は、年に一回か半年に一回程度定期検査を受けた方が良いだろう。何か問題があれば、早めに発見した方が良いといえる。
逆に、普段から自分の健康に神経質な人は、定期検査は、かえって、精神的に害になることもあるだろう。
健康は、基本的には確率の問題だと考えている。完璧に良い薬や治療法があるというわけではなく、現在の知見で良い可能性のある(確率的に高い)方法を選ぶことで進むしかない。