この世の中は、物権と債権でできていることを、改めて確認するべきだろう。

マネーという場合、基本的には、債権としての評価だろう。
株式は、所有権の割合的単位であり、物権の変形だと考えているが、細分化している点で特殊だ。

集積されたデータにこそ価値があるという考え方があるが、その活かし方に確立した手法があるならば、それは物権に準ずるものといって良いだろう。

日本の場合、福祉国家を維持するために、多額の国債を発行して、マネーを膨れ上がらせた。
この結果、国債の評価損リスクは、大きくなった。

経営者の報酬が高額化しているが、マネーが膨れ上がっているため、それは当然のことだろう。
美術品に、これまでの感覚では信じがたい値段が付くのも、マネーが膨れ上がっていることの帰結だ。

企業の時価総額を上げることが求められているが、マネーが膨れ上がっている以上、当然の要請だろう。

企業の内部留保が大きくなっていることが問題とされているが、内部留保をどのような形で持つかは、それぞれの会社の判断であり、それは自由だろう。

債権が膨れ上がれば、どこかで物権とバランスをとる必要が出てくるだろう。
このように考えると、物権に投資していくという考え方も出てくるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年05月08日 | Permalink

経済の長期停滞の原因は何か?

経済が長期にわたり停滞している理由について、議論があるようだ。

苦労して稼いでも、税金を通して、稼がない人に渡すだけだと感じている人が、多いのではないかと思う。
苦労しないで稼いだものについては、税金がかかってくることはやむをえないという感覚はある。

ある程度の生活を実現してしまうと、それ以上に稼いでも、さほど豊かさを感じなくなる。
今以上に稼がなくとも、知的側面で満足が得られれば、十分満足できる。
単に物的側面が多少変わっても、それを実現するための苦労に応じた満足は得られない。

お金をかけて派手なことを行う人は、それなりにいるだろうが、人は一般に、苦労して稼いだお金は、派手には使わないものだ。

知的に満足した人が増え、また、お金の分配の効果が感じられなければ、経済は停滞するだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年04月22日 | Permalink

全く違った自分(企業)を考えてみよう。

今の自分(企業)の延長線上にある姿ばかり考えないで、全く違った自分(企業)を考えてみると面白い。
もちろん夢物語だけでは現実味がなくなるだろうが、少なくとも延長線上にある姿とは別のものを考える。

別の姿は、何かしらを気がつかせてくれる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年04月08日 | Permalink

これまで自前でシステムを作り、利用してきたが、時間が経過して気がつくこと。

自前のシステムは、利用しやすいと感じる。慣れてくれば、尚更だ。

しかし、時間の経過と共に、そのシステムは基幹ソフトが古くなる。
こうなると皆が利用する場所に置くことに支障が出てくる。たとえば、クラウド化できない。

世の中は、新しいソフトが次々に出てくる。
多くの人が利用するソフトは、安価で利用しやすい。

自前のシステムに慣れが生じると、新しいソフトの存在に気がつかない。
この結果、慣れて気分がいいところがあるものの、古いままということになる。

慣れることは、自前のシステムに対してではなく、皆が使うシステムに対してである必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年01月15日 | Permalink

値段を忘れて、今持っているものの効用だけで、組み立て直してみる。


食べられる量は限度があり、値段の違いほど差はない。

健康
健康は、何か特別なものでしか実現できないものではない。
むしろ、害のあることをやめればよい。
病気になっとき、お金により治療法の選択が広がることはあるだろう。しかし、それは、限定された場合だ。


たくさん買っても、使うのはわずか。
服や靴をたくさん持っていることがテレビなどで話題になるが、どれほどそれを使ったのか定かでなく、逆に、使っていないのに持っていることで愚かさを感じさせてしまう。

動産
装飾品
高価なものは、基本的に華美で過剰だ。
大きな宝石は、逆に、本物には見えない。

時計
時計は、たくさん所有しても、使うのはわずか。


大きさはピンキリだが、実際に使っている部分は限定される。

移動

こだわりがある人には、大きな違いかもしれないが、現実にはそれほどの大差はない。

旅行
行き出せば、きりがないが、現実には、それほど覚えていない。

教育
塾・学校の費用は、効能をよく考える必要がある。
子どもにとって何が必要かは、時代と共に変わっていき、固定観念にとらわれる必要はない。

娯楽
スポーツ
自分でできることには、限度がある。

知的作業
書籍
理解し使いこなせる量をはるかに超える書籍を、購入することは容易。

美術品
上を見ればきりがないが、自分の余裕の範囲で楽しむことはできる。

人との違い
話題のために何かにお金を使うことはあるが、話題の必要を感じない人も多い。

やってみたいことは、いくらでもあると考える人はいるが、自分の満足のための範囲は限度がある。

美しさ
全ての人は、年齢には勝てない。
年齢に応じた美しさは、健康を考えることで実現できる。

お金
お金は、記録としての意味しかない。

こうして考えてくると、自分は、既に持っているという結論になるのではないだろうか。
何かまだ実現したいものがあるように見えても、ただ、お金を持ったことを、記録したいだけだ。
(もちろん、お金がなくて苦しんでいる人が多くいることは分かるので、ここでの記載を誰にも当てはまると考えているものではない。)


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年01月08日 | Permalink

人生100年時代のパフォーマンス(行動)の例(ランダム)

自分は何をするか?ということに尽きる。
自分の行動を少し広げてみることは、いいのではないか。

子どもが巣立ったら、自宅を処分して、コンパクトで便利な場所に住む。

書棚の本を、いろいろな基準で並べ替えてみる。

塩野七生「ローマ人の物語」から、自分に似た皇帝を探してみる。

旅先で見つけた気に入ったもの(落ち葉など)を集めて、箱の中に構成してみる。

おもしろいと感じたペーパーを集めてファイルして、絵本にしてみる。

東京などで売り出されている不動産を検索して、現地に行ってみる。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」を、自分なりに膨らませてみる。修正してみる。

自分のすべての経済活動をエクセル表に落とし込み、キャッシュフロー一覧表にまとめてみる。
そのエクセル表を加工して、自分の未来の姿を表わしてみる。

これまで本などを読んで大事だと感じた個所を、年表に落とし込んでみる。
時間軸に落とし込みにくい個所もあるかもしれないが、それを落とし込める物事の見方を考えてみる。
こうしてできた年表は、これまでの歴史年表とは全く違った流れになり、歴史のとらえ方を考え直してみる。

昔、持っていたもの・気になっていたものなどをネットで検索して、入手してみる。

明かりをつけないで(電気をつけないで)お風呂に入る。

焼物の産地ごとにコーヒーカップを集めて、比べてみて、それを使ってコーヒーを飲んでみる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月28日 | Permalink

世の中では、とんでもない値段を見ることがあるが。

旅行、食事、時計、美術品など、高額な値段を見ることが多くなった。
高額でも買う人がいるということだ。

そのものの価値と値段は、あまり関係なく、「価値があるから値段が高くなる」のか「値段が高いから価値がある」のか不明だ。

この現象は、人は価値だけでは、それが見極められず、満足して生活できないということを示していると思う。
世の中、マネーがあふれているので、金額だけ見れば、それが積み上がっているという面もある。

しかし、このような時代だからこそ、価値を見極める生活をしたら、コストを過大にかけないで満足できると思う。

価値の見極めでは、その道の達人とか専門家があふれているが、自分の感覚で生きていけばいいだけだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月26日 | Permalink

収入が支出を上回ることだけが、望みか?

収入の範囲で生活をしなさいと言われることが多いだろう。

給与生活者で、給与の高望みをしないで生活することに満足している人も多いだろう。

しかし、中小事業者の場合、収入が安定せず、そもそも給与生活者の感ずる安定など、はるか先のことだと感じている人も多いだろう。
こうした中小事業者にとって、収入が支出を上回ることだけが、望みとなってしまうこともある。

こうした望みを感ずるとき、中小事業者であるならば、その望みを振り払い、チャレンジャーでありたいとも思う。
こうした気持ちの揺れは、いつも感じているものだろう。

中小事業者は、こうした気持ちの揺れに耐えながら(できれば楽しみながら)、したたかでいたいと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月13日 | Permalink

充実の次に考えること。

仕事のやり方は、自分に与えられた時間の許す範囲で、仕事を終えるようにする。
こうすれば、自分のなすべき仕事の全体をとられていれば、その中の何かができなくなると言うことはないだろう。
時間が限られているのだから、できなかった仕事もあるではないか、と疑問に感じられる方もあるかもしれない。
しかし、何もできていない形となっても、自分の中では、次に続く形となっていれば良い。
(もちろん、時間の許す範囲で、仕事を終える場合でも、何らかの手当ができていることがふさわしいとは考えているが。)

こうして仕事に取り組み、「精一杯生きている」と感じられれば、充実してくると思う。

しかし、このやり方だけでは、気持ちの面で、足りないと感じられるはずだ。
対応を修正していく必要がある。

では、どうするか?
新しいものを取り込む工夫が必要だ。それを仕組として作るべきだ。

自分のなすべき仕事の全体について、何かをやめてみることも大事だ。
ここからは、必勝法があるものではなく、変化をつけることだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年12月03日 | Permalink