タイムカプセルに入れて手紙を保管し、20年くらい経ってから、それを開封することの面白さがよく紹介される。

それは20年前の自分を改めて読み返すことができ、20年間の変化を感じるからだろう。
このように記録は、時間の経過の中で重要な役割を果たす。
私自身はタイムカプセルに入れて、わざと、その自分の手紙を読めないような状態にするのではなく、記録として連続して残していくことが重要だと考えている。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年10月03日 | Permalink

ジブリの大倉庫を見て思ったこと。

展示物は、展示している状態と保管している状態とがある。
その両者を1つの設備に納めることが重要だ。多くの家庭では、それが考えられていないため、整理ができていない状態になる。
保管している状態である倉庫についても展示していることは面白い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年08月16日 | Permalink

文書が、紙ベースだけでなく、電子化された状態でも保管されるようになると、管理の仕方は変える必要がある。

紙ベースだけであれば、ファイルの体系を作り、外からファイルの保管場所を見て、参加者が共有することができる。
これに対して、電子化された状態が混ざってくると、電子化された状態のものを保管する体系をどこかに作り、参加者がその内容を見て保管場所(フォルダ)に入れる必要がある。
問題は、電子化された文書が、
紙ベースで保管するために作成されたものか、
全員のために作成されたものであるが、当面電子化された状態で保管するのか、
自分だけの当面の必要のためだけに作成されたものか、
などによって、保管方法に乱れが生じることである。
この状態の中で、当面の役割を終えて、不要となるものと、役割を終えたが、記録として保管するものとが出てくる。
この場合、必要度に応じて、保管場所(フォルダ)をきちんとしないと見つけにくくなってしまうだろう。
キーワードだけで文章を探すことも可能だろうが、その場合、ある程度の時間がかかり、体系が明確でないため、全体を把握しにくいという問題がある。
他人と共有する場合はなおさらだが、自分だけで文書を管理する場合ですら、保管場所(フォルダ)がきちんとしないことがあるだろう。
このような管理の手法は、自分1人だけでなく、自分の後継者との間で共有する必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年07月19日 | Permalink

ものは、何のために残されるか?

それは、先祖はどのような選択をしたかを知らせるためである。
先祖は何を是としたかを考えることになる。
実際のものに当たって感ずることが大事だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年07月11日 | Permalink

ものとは一体何なのか?

時流に合わなくなった大きなものは、処分していかざるを得ない。
 低いテーブルの付いたソファーのセット
 テレビ台をつけた飾り棚
見てくれだけであったり、使いにくいものは、残すことはできない。
問題は、ご先祖様が購入した人形等の物品だ。
ご先祖様が集めたという点で、後世に残す価値があるかもしれないと思うと、段ボール箱にでも入れて保管することになる。
保管するスペースがある程度あるので、このような形で保管し、後は子孫の判断を待つことにしたいと思う。
結局、ものとは一体何なのか、考え込んでしまう。
趣味や何らかの実用で集めたものは、自分1代限りでしか利用できないのだろうか?
このような悩みが出てくるのは、ものについて、収納場所と展示場所をきちんと決めていないためだと思われる。
収納場所が維持されれば、子孫もその物を保管することができるだろう。
展示するかどうかは、それぞれの人の趣味の問題があるので、すべてを展示に回すことはできないかもしれない。しかし、自分の趣味だけでなく、ご先祖様の趣味と考えて展示してみることはあっても良いと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年02月13日 | Permalink

先祖から残されたものをどうするか(ネット上の議論)

ネット上での議論を見ていると、先祖から残されたものをどうするかと言う議論はあまり見られない。せいぜい写真をどうするか、先祖が個人的に使っていた財布などをどうするか、といった議論くらいだ。
このことは、先祖から残されたものがあまりないことが原因としてあるだろう。スペースの問題があって、多くの場合、使われなくなったものは処分される。
したがって、これから代々続いていこうと考える一族では、物の残し方は、自分たちで考えていくしかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年02月06日 | Permalink

ご先祖様が残した物品の集約

ご先祖様が残した物品については、それを集約して、よく見ることによって、感ずるところが出てくるものと思われる。
使えるものについては、どんどん使い、使わなくなれば、集約した保管場所に戻すというやり方で進めていけば良いと思う。
壊してしまったときは、処分しても良いし、将来補修することも考えて、壊れたまま保管しても良い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年01月31日 | Permalink

現代の大富豪経営者も京都・南禅寺エリアがお好きという記事を見ると、庭だけに興味が限定されるわけではないが、自分は次の世代に何を渡していくのかを考えさせるきっかけとなる。

その意味は、これまでの価値観だけでなく、そこに何か新しいものを付け加えることができるかどうかという問題提起である。
経済的な価額だけの問題ではなく、そのもの自身の価値を認め、その1部なりを維持しているという意識は、重要だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月17日 | Permalink

「徳川秀忠」小和田哲男

誰々を徳川家康になぞらえ、誰々を徳川秀忠になぞらえて、こうあるべきなんだというような議論をするつもりはない。
親子関係、先輩後輩など、誰もが徳川家康であり、また誰もが徳川秀忠になり得る。
こうした観点に立って、この本を読んでみると、色々と気がつくことが多い。
1 家康も秀忠も、それぞれチームで行動していると考えるべきだ。
歴史の本では、家康が〇〇したと描かれるが、それはチーム家康が〇〇したと言うことだ。
2 家康も秀忠もチームとしてできる事は何でもやっているということだ。
家康の立場からは、いつになっても後継者のために色々と配慮を続けている。
家康のブレーンを秀忠のブレーンにする場合も、犬猿の仲の関係の者達をつけている。ここにも配慮はある。
家康も秀忠も、多くのブレーンがあり、そのブレーンをうまく利用して行動していると思う。
3 こうした家康と秀忠の最後の接点でのやりとりは参考になる。
家康も、いよいよ最後のときが近づいたことを観念したものか、枕元の秀忠に、「わしが死んだら、天下はどうなると思うか」と聞いている。それに対し、秀忠は、「天下は乱れると思われます」と答えているのである。家康はこの答えに満足したらしく、「ざっと済たり」と一言いって、心地よげだったという。この「ざっと済たり」という言葉は「そう考えていたらよい」といった意味だったものと思われる(148頁)。
秀忠の言葉は、覚悟を示したものだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年05月09日 | Permalink

紙を使うことを少なくするためには、どうするべきか?

紙はすぐに記入できるため、思考するとき、備忘録などメモをとるときに利用するだろう。
しかし、思考のための場所をTrelloなどに作り、そこを見ながら思考すれば十分だ。
メモ等は音声入力を利用できるスマホを使う方が便利だ。
ただし、音声入力は誰かがそばにいると利用しにくいことがある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年03月18日 | Permalink