美術品をどのように集めるか?
美術品は、好みで集めれば良いという考え方もあるだろう。
しかし、自らの立場を組み上げ、そこから導かれるものに基づいて集めることを考えたい。
自らの立場というのは、価値観であり、その価値観を象徴的に現わすものを入手していくという方法だ。
美術品は、好みで集めれば良いという考え方もあるだろう。
しかし、自らの立場を組み上げ、そこから導かれるものに基づいて集めることを考えたい。
自らの立場というのは、価値観であり、その価値観を象徴的に現わすものを入手していくという方法だ。
現在あるものは、記録として将来に向けて代々受け継いでいくべきものと、その時々に楽しんだり、考えたりするためのものとに、分けていく必要がある。
その時々に楽しんだり、考えたりするものは、子孫が先祖を振り返るときに必要な場合もあるだろうが、先祖が楽しんだり、考えたりするもの全てを体験することはできないだろうから、どこかで限定する必要がある。
先祖がその時々に楽しんだり、考えたりするものは、その例示としての意味はある。
将来に向けて残しておくものは、どこに保管するかを考える必要がある。
できるだけ身近に置かないと振り返ることもないだろうが、身近すぎると、本来必要なスペースを奪うことになってしまう。
創業の理念といったものに立ち返るのは、創業者の力量が高く、後進のものはそれに及ばないためだ。
しかし、創業者を乗り越える力量のある者は、乗り越えていかなければいけない。
創業者を乗り越えているかどうかの判断は、実は1番難しいところだろうが、どこまでも客観的な力量で判断するしかない。
ものを保管する場所については、災害があったときの備えとしては、場所を分散した方が良いとは思う。
しかし、ものを楽しもうと思うならば、ある程度保管場所は集中していた方が良い。
この点は、悩ましいところであるが、災害によってものが失われることは、運命であると割り切るならば、ものを楽しむスタイルを取った方が良いだろう。
ものが残るのは、意識して集めたからだ。
この意識したという点が重要だろう。
実際のところ、ものが多くなったといっても、それはかなり選択した結果だ。ものが多いといっても、管理できないほどではない。
もちろん、保管スペースが十分あるように、前もって予定しておかなければならない。
多くの飾り物(動産)を持つ者として、それをどのように利用したら良いか?
「どうせ死んでいくんだから、ものを持たない方が良い。」と言う人が多く見受けられる。
それに対して、多くのものを集め、整理してきた者として、どのように述べたら良いだろうか?
基本は、集めたものをどのように楽しむかという問題だ。
保管場所を1つに定め、そこから日常生活の場所へ定期的に持ち出すことによって、楽しんでいくことが良いと思う。
ものを持つことの意味として、ものには歴史が積み重なっていくということは重要だと思う。
歴史を持ったものを見ることは、先祖のことを考えることにつながり、自分の立場をとらええ直すきっかけとなる。
ビジネスの承継のためには、管理体系の共有化が必要だ。
管理するものは、本などのハード類もあるが、それぞれの人が作成した原稿等のソフトも含まれる。
管理体系を共有化することで、先代が考えていた体系を後世の人も利用してみることによって、気づきがもたらされるだろう。
文書、動産等の管理の体系を作り、それに基づいて、自分だけではなく何人かで管理・保管を始めたとき、自分の考える体系の中にそのものが収まっていないことがある。このことは、自分だけで管理している体系の中でも起こる。
これは自分自身の注意不足によることもあるが、体系の中で、すぐに探せないことは、ストレスでもある。
こうした場合、あくまでも探し出すことに注力するのではなく、またどこかで出てくることもあるだろう位の緩やかな感覚でいる必要がある。
それは20年前の自分を改めて読み返すことができ、20年間の変化を感じるからだろう。
このように記録は、時間の経過の中で重要な役割を果たす。
私自身はタイムカプセルに入れて、わざと、その自分の手紙を読めないような状態にするのではなく、記録として連続して残していくことが重要だと考えている。