コレクターのあり方

考えるべき点は次のとおり。

何を選ぶか?
自分の好みで選べば良いとする考え方があるが、他の人の評価も考え合わせる方が合理的だと思う。

第3者から、作品を、無償ないし低額で、譲り受けることは、間々あると思う。
 第3者としては、作品を大事に扱ってもらえれば、それが何よりと考える人も多い。

 こうした場合は、素直に作品を持って、飾り、味わうべきだと思う。
  保管場所を必要とするが、何でも売り払うという感覚では、自分が広がらず、人生を楽しめないのではないかと思う。
 特に、親が持っていた作品は、親の気持ちをよく考えてみるべきだと思う。


いつまで所有し続けるか?
作品管理のスペース・費用を考えると、取得している範囲を限定することは合理的だ。

所持して楽しんだら、手放してもいい作品はあると思う。
 時の経過で、感覚は変化していくものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年11月06日 | Permalink

資産管理会社のあり方は、人それぞれだと感ずる。

自分なりに資産管理会社を持ち、それを試行錯誤で運営してきて、だんだんとその使い方が分かってきたと思っていた。

ところが、当然のことながら、世の中には、資産管理会社を持つ人が多くいて、そのやり方を見ていると、自分と違うことが多いことに気付く。
特に、事実上、これまでは上手くいっているが、法的には問題と考えられるところが多い。

資産管理会社のメリットは、次の点。

1 親族を含め、多人数が関係している場合、紛争を事前に予防できること。
代表者の改廃ができる。
 その仕組を明確にすることで、親族間の牽制ができる。

会社制度を利用することで、意思決定ができる。
 共有のままでは意思決定ができない・ないし困難な場合がある。

2 経費化により、税の支払による流出を減らすことができる。
給与の支払(分散)

個人で所有していたのでは、経費化できない支出がある。それを経費化できる。

こうしたメリットが使えるためには、法的な判断は必要だ。

資産(不動産)は、個人所有のままとして、資産管理会社が賃借を受け、貸し出す形をとるケースがある。
これは、個人所有者が何人かいる場合、管理の一本化をするためであり、給与などの経費化を目的にしている。
しかし、個人所有者は、相続で多人数になっていき、最終的には、管理は困難になるのではないかと考えている。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月31日 | Permalink

紙の本・資料・定期刊行物を、どうするか?

こうしたものは、図書館か、本部かに行けば、いつでも見ることができることが多い。

私は、自分にとっての記録のように保管してきた。
いつか振り返って読むことがあると考えていた。

しかし、さかのぼって見なければいけないことは、ほとんどなかったというのが現実だ。

紙は、検索がしにくいし、朽ちていく。
自分が読んだ本を、自分と同じだけ時間をかけて読んでくれる人は、親族でもいないだろう。

結局、紙の本・資料・定期刊行物は、自分が利用するかどうかがほとんど全てで、自分が利用しないのであれば、捨てるしかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月23日 | Permalink

昔のままの仕組で、やっていないか?

パソコンのソフトは、バージョンアップが急だと、分かっている人は多いだろうが、慣れたソフトは使いやすいものだ。しかし、慣れた人が使いやすいということだと理解する必要がある。

ソフトだけでなく、パソコンそのものも、それが欠かせない分野は変わってきている。

ビジネスの上で必要な機能も、スマホなどが行き渡った現在、何によってそれを行うのか変化している。

こうなってくると、誰かが先頭に立って仕組を作るという形がいいのかも、疑う必要があるだろう。

組織に参加する個人が、自由におもしろく仕事を進めることができればいいのであれば、会社が先頭に立って走るよりも、参加する個人の間で何を使うか決められていくのがいいように思う。

もちろん、全員が利用するものであれば、会社で決める必要はあるだろうが、全員が利用するのは一部でよく、チームごとに分散した形でもいいように感ずる。何が何でも統一するという時代ではないと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月18日 | Permalink

新聞に「国は放置した」という見出しを見ることがあるが、それはどのような意味か?

法令で決められていることを、国が行わなかったのであれば、法令違反だ。
しかし、まだ何も決められていない事柄について、国が行うべきだとの観点から、「国は放置した」というのは、国民が放置したということだ。

何でもかでも国に求める言い方は、発言することは自由だが、それだけでは実現しない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月11日 | Permalink

自分の欲望を、さらに突き進めるために、どうするか?

民間人の月旅行が話題になっている。
費用は明確にされていないが、月旅行の宇宙船の全席を押さえたのは、話題の人だ。

現実の体験は、イマジネーションでの体験を超えるものがあるので、月旅行は、わくわくする体験だろうと思う。

しかし、どれだけお金があっても、ものを買ったり、体験するだけであれば、それほど大きな満足の違いがあるものでもないと思う。
せいぜい目立つことの違いくらいだ。
 
こうなると、イマジネーションでの体験を、さらに突き進めるしかないのではないかと思う。
それは、内面的なもので、知的であったり、感覚的なものであったりする。

そのためには、何らかの方法で知覚する必要があるだろう。
本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を見たりすることになる。
また、作品を見たり・作ったりすることになる。
さらに、実験したりして、新しい世界を切り開いていくことになる。

これは、実は、誰でも日常的に行なっていることだ。
受け身ではなく、自分としての追求だ。

自分の欲望を、さらに突き進めるということは、結局、こうしたことだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月09日 | Permalink

個人事業主から見た、仕事のとらえ方の切り替え

個人事業主が人を雇っている場合、自分の仕事を進めるために、その人を役立てようと考える人が多いだろう。
自分が中心となって人を引っ張るという感覚。

しかし、その場合、不満が多いのではないかと思う。

そこで、雇っている人が力をつけてくれることに尽力し、自分に配当するという形にならないかと考えてみる。
これは、組織のあり方、仕事のとらえ方を切り替えることになる。

雇われている人は、多くは指示待ち族で、個人事業主が、引っ張っていかないとだめだと感じる人が多いかもしれないが、急がば回れという面もあるように思う。

自分の仕事については、人を引っ張るということではなく、人が力をつけるためにどうしたらよいかを考えることになる。

「配当するという形」というのも、それぞれの仕事で違ってくるため、一律には言えないが、自分の仕事では、どういうことかを考えてみるべきだろう。
たとえば、親が子に仕事を継いでもらうことを考えるように、親族関係のない人でも、どのようにしたら「継いだ」といえるのかを考えてみるべきだ。

ただし、世の中の多くの人は指示待ち族だとは思うので、人の採用について、時間をかけて修正していくことになるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月04日 | Permalink

サザコーヒー(SAZA COFFEE)

東京駅近くの KITTE 丸の内店に入ってみた。
パナマ・ゲイシャという銘柄のコーヒーが一杯、3,000円、2,000円、1,800円でメニューに出ていた。
他の銘柄は、もっと安いものが多くあったが、これだけ突出していた。

3,000円、2,000円、1,800円という値段設定が、興味深く、その理由を尋ねてみた。

同じような環境の豆でも、評価された豆は高く、そうでないと安いということだった。
評価されたかどうかの違いが大きいということだ。

評価(お墨付き)があるかどうかの違いを、お店側とお客側とで、それぞれどのように取り扱うかが問題となる。

お店側としては、評価(お墨付き)があることを、安売りの価格競争に巻き込まれないために使うことはあるだろう。
しかし、評価(お墨付き)があることの違いを、どのように説明するか、実際にお客側に分かってもらうか、が大事になるだろう。

お客側の私としては、評価された豆とそうでない豆の違いを追及し、その違いを味わう道を進むのか、ほぼ同じグループのものとして、違いを気にしないでそのグループを味わう道を進むのか、分岐点に立たされた。

私は、評価された豆とそうでない豆の違いが分かるほどの感覚はないと思う。
話の種になるとは考えたが、それだけに終わらせるのも寂しい気がする。
まあ、いろいろ考えたので楽しめたかもしれない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年10月02日 | Permalink

名古屋ボストン美術館 最終展 ハピネス

幸せという観点から作品を見ていくのは、普段そうしていなかったので、新鮮であった。
普段は、作者の意図とか格闘の姿を探していたように思う。

江戸四季風俗図巻(無款 菱川派)は、四季折々の人々の姿が、誇張することなく書かれているだけだが、その姿を見ると自分と近いものを感じ、幸せというものを改めて考えることになった。

琴棋書画図(曾我蕭白)は、俗塵を離れた自然に遊び、4つの風流事を嗜む理想の高士像を描いたものということだが、これも、何か特別なことをしなければ、そこに行き着けないというものではないことを示していると思う。

幸せに安住することを良しとは思わないが、普通の姿でも良いとすることは、よく考えてみるべきだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月27日 | Permalink

安室奈美恵の引退

安室奈美恵の引退について、多くの記事が出ている。
その多くは、引退を惜しむものであるが、反対の意見も当然あるだろう。
しかし、その取り上げ方は、私には、踏み込みが足りないように感じてしまう。  

「ミュージックステーション ウルトラFES2018」で、安室奈美恵の初出演からの全出演を短時間にまとめていた。
全体をコンパクトにまとめることで、振り返りがしやすくなる。

小室哲也のグループから離れた(?)ことで、CD売上枚数が減ったことがはっきりしている。
CDの時代が変化していったという面もある。

安室奈美恵は、若い頃の大成功を足場に、努力を続けた人であることがわかる。引退という判断も、その努力がいつまで続けられるかという判断によることが伺える。

マスメディアは、どうしても感傷的な取り扱いになってしまうが、それとは別に、自分自身で、安室奈美恵の歴史を数字でとらえると、違った見方ができるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月21日 | Permalink