美術に関する論考
美術に関する文章が難しいのは次の点にある。
繰り返しが多い。
繰り返しであるならば、繰り返しであることかわかるように書くべきである。繰り返しが多いと論理が読めなくなる。
テーマの全体を書き出し、自分が今書こうとしていることは、その全体の中でどのような位置関係であるのかということを明確にするべきであるのに、それをしない文章が多い。
全体を描ききれていないにもかかわらず、繰り返しが多いため、何を言ってるのかわからなくなる。
美術に関する文章が難しいのは次の点にある。
繰り返しが多い。
繰り返しであるならば、繰り返しであることかわかるように書くべきである。繰り返しが多いと論理が読めなくなる。
テーマの全体を書き出し、自分が今書こうとしていることは、その全体の中でどのような位置関係であるのかということを明確にするべきであるのに、それをしない文章が多い。
全体を描ききれていないにもかかわらず、繰り返しが多いため、何を言ってるのかわからなくなる。
私は、学習の方法として、学生時代からテキストを自分のノートに新しくメモし、体系立てて、それを覚える方法を中心としてきた。
しかし、テキストに記述されたものをノートに写すことなく、テキストの位置で覚え、頭の中で組み立てるという方法もあると考えている。
試験勉強としては、キーワードを明確にし、それを漏らさないようにするためには、前者の方法が優れていると思われるが、多くの文献を読みこなすためには、まずはテキストそのものの位置でポイントを押さえる方法を取る必要がある。
日本国内を各地旅行し、その地域を楽しみ、気に入ったものを購入し、家に帰ってから、ふるさと納税でその地の産品を探して、納税する。
神様は、味わう存在である。
自分の周りが神様の作られた世界ととらえるならば、それを先ず味わうべきだ。
神様を願う対象にするべきではない。
抽象絵画は、どこまでいっても完全に理解したとはいえない世界だろうと思う。
しかし、抽象は、人類が発見した1つの形であって、そこには重要な意味があると思われる。
抽象作品を自分なりにいろいろ見る中で、自分なりに感じるところをまとめて、できれば文章化しておくといいと思う。
AIは、画像の認識が得意だと聞くが、抽象絵画を見てどう理解するのだろうか?
外形的な共通点などを理解することはあるだろうが、それを作り出した人間の本音までは分からないのではないかと思う。
自分が持っているものを、改めて思い浮かべ、十分に味わってみるべきだろう。
自分が持っているということは、そのものを自由にして良いということだ。
自分が集めてきた美術品も忘れていることがあるものだ。美術品だけでなく、ご先祖様から伝わってきたものもある。
ガラス越しにしか見ることができないものと違って、自分で手に取って眺めることができる。
ものだけでなく、自らの経験や知識を見直すことも良いと思う。
本を持っていれば、年を経過してから、もう一度見直してみることもいいと思う。
奄美大島での歌を歌う食事会で、私の向かいに高齢の女性が座り、その両脇にその娘さん2人が座っていた。
娘さんの話では、お母さんが「大蔵省」で、お金の出し手という話だった。
お母さんは、娘2人のために、大島紬の着物を作ってあげたそうだが、娘2人はあまり着なかったと、少し嘆いていた。
こうしたいろいろな家族の話を聞いたり見たりすることで、自分自身の経験が深まるようにも感じた。
奄美大島への旅行で、歌に接する機会が多かった。
夕食の会場が、島唄の店で、小さな舞台があるところで、26歳の女性が中心となり、小学校3年生、5年生の女の子が三味線を鳴らしながら歌っていた。そこでは全員参加型で、皆が自分の席で立って踊ることもあった。
バスの中でも、地元のガイドさんが、地元の歌や替え歌を歌っていた。
歌を歌って楽しむ世界というものを、最近は経験していなかったということに気がつかされた。
2025/2/5、尾鷲神社で行われるヤーヤ祭りを見学した。
グループ旅行であったため、大名行列まで見る時間的余裕がなく、その前に行われる各町ごとの奉納演技?のみを見た。
そこでは、若い人たちが自由にやっていることに驚いた。男性の若いグループが、紐で何人もくくられて、その中で飛び跳ねて騒いでいる。また4、5歳位の女の子から20歳くらいの女性が着飾り、お化粧もし、顔にはきらきら輝く小さな丸いシールを貼り付けて、踊っている。
こうした状況を見て、地元のガイドさんに、尾鷲では自由にやっていますねと尋ねたところ、若い人の人数が減ってきていて、なかなか町として奉納演技?を提供することができない状況があるため、町以外にに依頼をしているということだった。
私の感覚からすると、こうした若い人たちの発散は、地域差がかなり大きいのではないかと思う。
育ち方の違いが日本全国ではかなり差があるように思え、若い人をひとくくりで見ることはできず、それぞれの環境をよく見る必要があると感じた。