金融機関との交渉

 複数の金融機関と取引(借入)をすることは、メリットがある。
 資金手当については、複数の金融機関に同じ話をすると、見方の違いに気がつく。融資が得られるかどうかという差異は大きなものであるが、それ以外にも、何を重視するかという見方の違いが自分にとって役立つことがあるだろう。
 不動産を購入する場合でも、不動産の評価の仕方が大きく異なることがある。このとき、いつから差が生じたのか、なぜ差が生じたのかについて当たっていくと、自分が把握していなかった経済の状況について気がつくことがあるだろう。すると、新しく気がついたことに基づいて、取引の交渉相手ともっと詰めるべき点が出てくるだろう。これは大きなメリットを生み出す契機である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年11月17日 | Permalink

ファミリーとして、事業(職業)を選択する力

 ファミリーのうちの誰もが、自分たちの事業(職業)は何なのかを考える必要があり、そうなるように意識して協議の場をもつべきだろう。
 ただし、正面から形式ばって協議の場をもつのが良いのかどうかは、注意する必要があるだろう。
 ファミリーのうちの誰もが、自分たちの事業(職業)を考えた上で、将来に向けて事業(職業)を選択していく必要がある。
 これまで行なってきた事業(職業)を継承してくことこそが重要だとする考え方もあるだろうが、時代の変化に対応していくことの方が重要である。
 事業(職業)を選択する力というのは、高度な能力・経験を必要とすると考えるので、単純な多数決になじまないと思う。どこかで誰かに委ねるもののように思う。しかし、ベースとしてファミリーのうち誰もが事業(職業)を選択することについて考えていることが必要である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年06月08日 | Permalink

収入を得る道(お金儲け)は、常に考えられなければならない。

親の仕事を継いでいれば良いということはない。自分が選んだ仕事ですら、今のままで良いということはない。常に時代の動きをとらえ、収入を得る道を探さなければならない。

収入を得る道として良いものを見つけたならば、それを徹底して繰り返し、自己のものとするべきである。

投資は、それに投入する時間との兼ね合いで、何をするか決めるべきである。時間が多くかかれば、それは家業になっていく。頭脳のみで完結するならば、それは有利な点だろう。

一族のリーダーは、常に以上のことを考える必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年03月25日 | Permalink

仕事と趣味の一致

 仕事が趣味であり、仕事上の経費支出が趣味の実現と同じであり、利益も出ているとすれば、楽しいことだろう(趣味としての支出が仕事に結びつき、生活費を得るに至るのも同様)。
 多くの人は、仕事からの収益に課税され、その残りを生活費と趣味に充てる。仕事と趣味は一致しないと考える人も多いだろう。
 しかし、自由な立場から考えれば、仕事と趣味を一致させることは可能だと思う。
 たとえば、収益を生むことが仕事だとすれば、収益を生むものを取得すれば良い(賃料収入の不動産など)。他方、世界の建築物を見ることが趣味だとすれば、収益不動産の調査として本格的に展開すれば良いだろう。収益不動産の展開を仕事として、趣味も同時に実現することは可能だろうと思う。
 自由な立場から考え、実行すれば良いのではないかと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年02月15日 | Permalink

企業をどこまで大きくするべきか

 自らが選んだ事業に専念し、成功させ、ある程度の規模になった。すると、自分の年齢と相談し、いつまでこの仕事をやるのだろうかと考える時期がくるだろう。
 飲食店を経営するよりも客として行く方が楽であるように、事業を維持するよりも、どこかの時点で事業は後進に譲って、自らは生活を楽しんだ方が良いという考えも生まれてくる。
 妻や子供からも「これからは生活を楽しみましょう。」と言われることも多くなる。
 「事業を大きくすることは、あなたの野望にすぎないでしょう。」と言われることもある。

 企業をどこまで大きくするべきかについて、私自身、明確な基準はもっていない。
 企業は、どこまで取り組んでも際限のない対象であって、ここまでやれば大丈夫というものはない。したがって、まだまだ足りないと考えるのは、経営者の常だろう。
 また、「あまりにも多くの人が、生きるために働き、幸せのために生きている。それもよかろう。だが、それでは高い生産性は望めない。高い生産性が欲しい?それなら、働くために生き、その副産物としての幸せを得るべきだ。簡単なことではない。働くために生きる人たちは、恵まれた少数のエリートたちだ。だがこうしたエリートは、新入りに寛容で、自ら選んだ道を生き、前向きな考え方を力説するタイプの人間だ。」(「強国」論 D・S・ランデス 三笠書房 494頁)という指摘は、大事だと考えている。
 自分の健康と能力と、よく相談して自分で決めるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年12月15日 | Permalink

癌細胞のように進む

 ここでは、癌細胞に善悪の評価をせず考えることとしたい。
 (人間からすれば、癌細胞は消失させるべきものであろうが、癌細胞からすれば、自分の存続がかかっているに過ぎない。)
 癌細胞は、人間の生命の仕組みに密接に結びついていて、容易に癌細胞のみ攻撃して消失させることはできないようだ。
 企業を癌細胞に例えることは、適当でないかもしれないが、企業が世の中に浸透していく姿は、癌細胞のようにあるべきなのかもしれない。
 どこにでも静かに進められていくこと、場合により体の維持装置の招きによっても進んでいくことなど、考えさせられることは多いと思う。
 企業は、固定的、静的にとらえるのではなく、社会全体への浸透を念頭において、種をまくように色々な局面を想定して流動的、動的にとらえるべきものであろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年12月09日 | Permalink

経済力

 「渋沢栄一 近代の創造」(山本七平著 祥伝社)25頁に、幕末に渋沢栄一が、領主の御用金の上納をめぐり、代官から嘲弄された話がある。
 渋沢家は、「農」であり、「百姓は死なぬよう、生きぬように収納申付ける」対象であった百姓である。しかし、渋沢家は、「天下の豪商」ではなく、また栄一の家は、「村第一の富裕な家」ですらなかったが、藍と養蚕により経営型豪農としての基盤を築いていたのである。

 これに対して、経済的にもうどうにもならなくなったらしい領主が、「その方の身代で500両くらいはなんでもないはずだ。」と、渋沢家(父)の名代(みょうだい)として出向いた渋沢栄一に対して、申入れているのである。

 ありときりぎりすの話に近いところもあるが、現代の官と民との関係に通ずるところもあって、おもしろい。
 士農工商の身分制度の中で、経済力がどのように育つのか、これまでの画一的な認識をいったん解除して考えているのが、山本七平の著書である。
 経済力がついた層が生まれたときに、その層がどのように経済力を使ったのかを、次に考えてみるべきだろう。ここに武士と農民の逆転が生じたといえる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年11月09日 | Permalink

富豪と世捨て

 日本経済新聞2009年9月6日に、島田雅彦氏の「富豪と世捨て」が掲載されていた。
(この記事を巡っては、何人かの人がインターネット上に感想を述べておられる。)

 「ヒトが一生を通じて味わえる快楽の分量も決まっていて、金持ちがより多くの快楽を味わえるというものでもない。快楽は金で買うものというより、脳で作り出すものだからだ。誰しも左右一対の脳を持つ。それを使うのに金は要らない。」という点は、同意できる。

 しかし、富や富豪のイメージは、画一的で、浅いのではないかと感ずる。

 「資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させ、その罪を償う義務がある。罪滅ぼしにこそ金を使え。」との点は、「富豪になるにはかなり利己的に、他人を蹴落としたり、人倫にもとることもしてきただろうが、十分な財産を蓄えたら、あとは世のため人のためにそれを使い、魂の平安を得るのが無難だ。」との点を前提とした記述なのだろう。しかし、この記述が当てはまるケースもあるとは思うが、多数ではないだろう。
 私は、富(マネー)は、一つのパワーではあると思うが、脳(考え方)も、それ以上のパワーであると考えている。こうしたパワーを、人に迷惑をかけず、自分なりに使うことは人それぞれであると思う。

 「その価値を理解しようがすまいが、富豪たちが投資目的で美術品を買いあさった時代があった。その流れで現代美術のゴミが高値取引されたけれども、田舎の野山を歩けば、そんなものよりはるかに高い価値を持つ石や木がいくらでもある。」との点も、正確な理解に基づく記述とは思えない。
 ゴミである現代美術もあるのかもしれないが、現代美術をいくらで買うかは自由であるだろうし、人それぞれである。私は現代美術がわかったとは思っていないが、作家が作り出した世界は十分に理解されるべきだと思っている。
 富や富豪のイメージを、もっと深めていく必要があると、改めて感じた次第だ。 




投稿者名 管理者 投稿日時 2009年09月14日 | Permalink

事業戦略

 弁護士は、職人であって、自分で聞きとり、調べ、文書化して裁判手続などの業務を行なっている。そのような業務方法をとっていない弁護士もいるだろうが、少なくとも弁護士としてのスタートは、職人だったと思う。したがって、努力の意味を自分の体で把握している。
 しかし、いろいろな企業の相談を受け、取締役会や種々の会議に参加し、企業の様子を見ていると、日常の業務とは別の判断業務があることに気がつく。これは、弁護士だけでなく、職人であった人がどこかで気がづく問題なのだと思う。
 この日常業務とは別の判断業務が事業戦略なのだと思う(戦略と戦術の違いとか、いろいろあるかもしれないが、ここではあまりむつかしくとり上げていない)。
 世の中では「額(ひたい)に汗する」ことを尊ぶところがあるが、日常業務に忙殺されているときは、事業戦略を考えなければいけない時期なのだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年08月18日 | Permalink

金融機関との付き合い方

 経営発表会として、何社(行)かの金融機関に集まってもらい、経営者が会社の状況を説明し、今後の見通しや決意について語ることは有効だと感ずる。
 ただし、金融機関だけが集まると、互いに牽制があるため、固い雰囲気になるようである。銘酒の飲み較べ会のような楽しい状況を作ったりして工夫している会社もある。
 どのようなやり方を選ぶかは、各経営者の個性により、自分の得意なやり方で良いと思うが、継続して経営発表会を行なうことが大事である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年08月04日 | Permalink