給料や家賃を払うことに汲々としている自分に対して

このようなときに気をつけなければならないことは、重要な改善に眼が行かなくなることだろう。
給料や家賃を払い、その月が越せれば安心してしまう。全く払えなければ、重要な改善も考えるだろうが、何とか払えているうちは、重要な改善に眼が行かないものだ。

しかし、給料や家賃を払うことに、いつも不安があるならば、重要な改善を考えるべきだ。

空想でもいいから、何かをやめることを考えてもいい。支払の限度を、自分で決めた基準内に収めることも考えるべきだ。
こうしたことをどんどん考えていくと、経済のあり方や資本主義のあり方まで思考が進む。
このとき、大きなテーマを直接考えるのではなく、大きなテーマを自分の立場から、目の前の自分のこととしてとらえ直す。

たとえば、労働者の保護についてであれば、人を使っている人は、その保護の程度について実感として是非を問えるだろう。その保護の程度を前提とすると、自分はどのように人を使えるのか、使えないのかを考えることができる。社会が何を志向しているかを問うのではなく、自分がどう対応するかを問うことになる。

その行き着く先は、人を使うことを極力減らす企業かもしれない。
人に依存するのではなく、企業の仕組に対して人の方が依存する形かもしれない。
できることはできる限り行うけれども、人は人として割り切る人事政策かもしれない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年09月13日 | Permalink