瀧山寺の鬼まつり

2016/2/13、雨の中、瀧山寺の鬼まつりを見た。
 概要を引用すると、
「国重要文化財である瀧山寺本堂に巨大な松明を30数本を持ち込み、半鐘・双盤・太鼓を乱打し、ほら貝が吹き鳴らされる中で鬼が乱舞する様は圧巻で、観ている観客が延焼の心配をしてしまうほど勇壮な祭りとなっています。」
「祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が、燃え盛る炎の中から鏡餅を持って登場し、天下泰平・五穀豊穣を約束するといわれている。 」
「鬼面はもとは父面・母面もあったが、二人の旅僧が斎戒沐浴せずに父面・母面をつけて祭りを行い、面がついて離れず息絶えてしまった。この二人を薬師堂の前に葬り鬼塚として供養したため父面・母面は残っていないといわれています。」

 巨大な松明の扱い方は、激しく見えるが、きわめて抑制されたものだと感じたが、一番感じたのは、孫面をつけた子(小学生)を、本堂の欄干に取り付けられた擬宝珠(ぎぼし)に、大人たちが支えて立たせることの意味だ。孫面でもかなり重いと思われる。
 父面・母面がない中で、回りの大人たちが、孫面をつけた子を擬宝珠に立たせることは、子育ての強い意識を感ずる。まつりの準備段階から、子が参加しており、未来を志向するものだと思う。鎌倉時代から800年続くことも、その大事さが意識されていると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年02月15日 | Permalink

家ではなく、仕事場で子供と話すと、また違った感覚がある。

 家族としての親子と、仕事の上での親子とは、違う面があると思う。
 親子が、それぞれ違う仕事をしていても、それぞれの仕事場で話をすることはできるだろう。したがって、仕事の承継が必要な家族だけでなく、広く一般的に考えてよいと思う。
 家族としての親子の場合は、気持ちの問題が関係してくることや、どちらかが経験が長いという立場でもないことから、互いに難しい。子も初めての体験であり、親も初めての体験であることが多いだろう。
 これに対して、仕事の上での親子としては、経験が長い立場にある親は、ある程度確信をもって話ができるだろうし、話しやすいだろう。
 しかし、ある程度確信をもって話しているつもりでも、実は、的が外れていることもある。親が話しやすいと感じている分だけ、始末に負えないことがある。
 こうしたことは、親子で、互いによく理解しておく必要がある。同族会社では、家族(ファミリー)と仕事(ビジネス)の調整に、難しさと妙味がある。
 


投稿者名 管理者 投稿日時 2015年01月15日 | Permalink

子孫は、自分がしてきたと同じように競争していけるだろうか?

 リスクをとったり、努力によって、大きな成果を上げた人と、その子とは、同じということは少ないのではないかと思う。そもそも育ち方、育てられ方が違う。
 また、大きな成果を上げた人は、部下など仕事上の関係者に対しては、客観的にふるまえても、自分の子となると、そうではないことがある。自分の子は、自分と同じにできるはずと考えたり、自分と同じようにする義務があると考えたりする。
 このため、親子関係が、ギクシャクする。
 親の立場から考えると、どこかの時点で、あるがままを受け入れる必要がある。
 子の立場から考えると、親に対して、あるがままを受け入れてもらう必要がある。
 こうした努力は、意識して行うべきだろうし、必要だと思う。その中で、それぞれの進み方を決めていく必要がある。あきらめとしてではなく、新しい可能性を探るべきだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2014年10月28日 | Permalink

子供への承継

 子供が親の事業を承継しようと考えるかどうかについては、いろいろなパターンがある。
 子供が自分なりに親の仕事ぶりを見て、継ごうと決意するのが、理想的だろうが、必ずしもそうなるものではないから、工夫が必要だろう。
 その工夫を考えるときに、意外に効果があるのは、親以外の口添えだ。
 たとえば、親の事業が周りの人にわかりやすく、近所であるとか、何らかの接点があると、子は、周りの人から、「○○○○(家業の内容)の家の子だ」と言われる。すると、子は、家業を強く意識する。周りの人からの言われ方が、悪くなければ、子の自覚は、強く促される。
 こうした周りの人からの評価をうまく使えるならば、それに勝る承継の方法はないのではないかと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2014年05月28日 | Permalink

男をどこまで自由にさせることができるか。

 私は、男性なので、その立場から見てきたり聞いてきたりして、考えるところを述べたい。
 女性(妻)の中には、男性(夫)に対して、ルールによって縛りをかける人がいる。女性(妻)は、いろいろと考えるところがあって、そうするのであり、それを否定するつもりはない。必要なルールはあると思う。
 しかし、そこまで縛るかなと思うケースも多いと思う。時間の使い方、お金の使い方の縛りが多いが、優先順位のとらえ方の違いが根本にある。
 多くの縛りをかけられた男性を見ていると、善人ほど悩んでいると思う。悩んだ結果として、優先順位の高いことについての実行が遅れる。この遅れは、成果について大きな差をもたらすことが多い。
 女性も、成果を期待するのであれば、現場を知る男性の判断に信頼を寄せ、自由にさせた方が良いと感ずる。
 ただし、このような発言をすることは、なかなか難しいのが現実だ。男女の力関係が、年齢によって大きな差があることを実感する。女性の賢明な判断を期待します。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年11月27日 | Permalink

経営者・事業主の妻

 経営者・事業主の配偶者(多くは、妻)にお目にかかることは、それほどないものだが、離婚の相談を受けることも多く、弁護士として、それなりに見てきたと思う。
 自分の体験を一般化してはいけないが、経営者・事業主の多くは、何らかの形で、妻にコントロールされていることが多いと思う。すごく控えめな奥さんだと思うことも多いし、うまく夫を立てていると感ずることも多い。
 しかし、問題が多いと感ずることもある。問題は、いろいろだが、共通するところがある。
一番感ずるのは、経営者・事業主として経済的に成功している夫の場合、妻も自分の力と考える点だろう。夫婦で力を合わせているのだから、離婚の財産分与でも、原則、半々に分けられるように、成果が妻にも与えられることは当然だと思う。
 しかし、事業の能力に関しては、夫婦は別だと感じられることは多い。経済的な成功が人生のすべてではないが、基盤ではあると思われ、それを実現する力について、それなりの評価は必要だと思う。
 この点が分かっているかどうか、妻である人には、大差があると思う。離婚の場合は、これまでの清算だから、この点は、あまり問題ではないかもしれないが、これからも生活をしていく場合は、夫に能力を発揮してもらわなければならないだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年09月10日 | Permalink

親心

 この言葉は良い言葉だと、いつも感ずる。
 親である立場の人に対しても使えるし、子である立場の人に対しても使える。親子の情愛が分からない人に対しては、使えないのかもしれないが、それがいくばくかある人に対しては、分かってもらえることになる。
 単純な合理性ではなく、奥にねらいがある場合は、よくあることであり、そこを理解してもらうことは必要なことが多いと思う。そのとき「親心」という言葉がぴったりする。
 逆に、「親心」という言葉が、親子の間で生きている関係が必要なのだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年05月07日 | Permalink

「これからがんばると言っているんだから、がんばろうという気持ちを失くさせないで欲しい。」

 このような精神論は、扱いにくい。特に、勉強に関してはそうだろう。
 がんばろうという気持ちを失くさせたくはない。しかし、その方法は甘すぎると思われる。このようなとき、どうしたら良いのだろうか?
 先ず、精神論だけでは、身の破滅に至ることを説明するべきだろう。第2次世界大戦の日本の敗戦など、このような例は多いだろう。
 次に、精神論に代わる考え方を示すべきだ。戦争は、基本的に人員数・物量により決まる。(性能の良い武器は、対応量の高いものとしてカウントする。)織田信長も、桶狭間の戦いは特別なケースで、多くの戦は、人員数・物量で優位に立つものであったと聞く。精神論ではなく、物量をチェックするべきだろう。
 常日頃は、怠けていて、肝心のときだけ、幸運を祈っても、有利な展開は望めない。常日頃の努力で、圧倒的優位を作り出し、その上で、油断することなく、勝つべくして勝つことを目指すべきだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年04月12日 | Permalink

遺品の管理

 亡くなった人が使っていたものをどうするか悩ましいことがある。
 自分では捨てられないとき、保管することになる。捨てられないのは、亡くなった人の思い出があるからだろう。
 1つの方法として、透明なボックスを購入し、そこに保管することは、どうだろうか。透明度の高い、ほこりが入らない密閉性があり、積上げられるボックスならば、棚に置くことができる。
 ボックスの中での並べ方は、その人の感覚に任せる。また、ボックスに入りきらないものは、処分する。
 こうして出来上がるボックスは、また格別なものとなる。
 ただし、こうしたボックスを遺された、自分の相続人がどうするかという問題は残る。そこは、ボックスの意味合いにより決まるのだろう。何か意味を見つけられれば、残してくれるだろう。自分の相続人が、保管スペースとの兼ね合いで処分することは自由だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年02月25日 | Permalink

「子どもには子どもの考えがある。」

 カリール・ジブラン「預言者」の中に、「子どもについて」の記述がある。
「子どもの魂はあしたの家に住んでいて、あなた達は夢のなかでさえ、その家へは行けない。」ともある。
詩的な表現だが、厳しい言葉でもある。
 成功している人は、どうしても子どもに同等を期待する。期待に反すると気落ちすることもある。
 しかし、「子どもには子どもの考えがある。」ことを明確に意識しよう。その上で、親としてできることを考えよう。これは見返りを求めることとは対極にある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年01月30日 | Permalink