親心

 この言葉は良い言葉だと、いつも感ずる。
 親である立場の人に対しても使えるし、子である立場の人に対しても使える。親子の情愛が分からない人に対しては、使えないのかもしれないが、それがいくばくかある人に対しては、分かってもらえることになる。
 単純な合理性ではなく、奥にねらいがある場合は、よくあることであり、そこを理解してもらうことは必要なことが多いと思う。そのとき「親心」という言葉がぴったりする。
 逆に、「親心」という言葉が、親子の間で生きている関係が必要なのだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年05月07日 | Permalink

「これからがんばると言っているんだから、がんばろうという気持ちを失くさせないで欲しい。」

 このような精神論は、扱いにくい。特に、勉強に関してはそうだろう。
 がんばろうという気持ちを失くさせたくはない。しかし、その方法は甘すぎると思われる。このようなとき、どうしたら良いのだろうか?
 先ず、精神論だけでは、身の破滅に至ることを説明するべきだろう。第2次世界大戦の日本の敗戦など、このような例は多いだろう。
 次に、精神論に代わる考え方を示すべきだ。戦争は、基本的に人員数・物量により決まる。(性能の良い武器は、対応量の高いものとしてカウントする。)織田信長も、桶狭間の戦いは特別なケースで、多くの戦は、人員数・物量で優位に立つものであったと聞く。精神論ではなく、物量をチェックするべきだろう。
 常日頃は、怠けていて、肝心のときだけ、幸運を祈っても、有利な展開は望めない。常日頃の努力で、圧倒的優位を作り出し、その上で、油断することなく、勝つべくして勝つことを目指すべきだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年04月12日 | Permalink

遺品の管理

 亡くなった人が使っていたものをどうするか悩ましいことがある。
 自分では捨てられないとき、保管することになる。捨てられないのは、亡くなった人の思い出があるからだろう。
 1つの方法として、透明なボックスを購入し、そこに保管することは、どうだろうか。透明度の高い、ほこりが入らない密閉性があり、積上げられるボックスならば、棚に置くことができる。
 ボックスの中での並べ方は、その人の感覚に任せる。また、ボックスに入りきらないものは、処分する。
 こうして出来上がるボックスは、また格別なものとなる。
 ただし、こうしたボックスを遺された、自分の相続人がどうするかという問題は残る。そこは、ボックスの意味合いにより決まるのだろう。何か意味を見つけられれば、残してくれるだろう。自分の相続人が、保管スペースとの兼ね合いで処分することは自由だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年02月25日 | Permalink

「子どもには子どもの考えがある。」

 カリール・ジブラン「預言者」の中に、「子どもについて」の記述がある。
「子どもの魂はあしたの家に住んでいて、あなた達は夢のなかでさえ、その家へは行けない。」ともある。
詩的な表現だが、厳しい言葉でもある。
 成功している人は、どうしても子どもに同等を期待する。期待に反すると気落ちすることもある。
 しかし、「子どもには子どもの考えがある。」ことを明確に意識しよう。その上で、親としてできることを考えよう。これは見返りを求めることとは対極にある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年01月30日 | Permalink

納経帳(朱印帳)

 お遍路や札所めぐりは、自分には、まだまだ先だと考えてきたが、最近、90歳を超える方とお話をしていて、考え方が違ってきた。
 「納経帳は、2つ作っておきなさいよ。」という話が、一番印象に残る。奥さんといろいろなお遍路や札所めぐりをしてきたが、奥さんが先に亡くなったとき、納経帳をお棺に入れてあげたので、1つしか作らなかった所は、残っていないのだった。
 その方は、お遍路や札所めぐりを若いときから行なっていたが、白装束を着て行なったものでもないし、信心があったものでもないとのことだった。歩いて回った所もあるし、タクシーで回った所もあるし、自分で運転して行った所もあった。そうすることによって、日本には良いところがたくさんあることに気がついた。じっくり見れば、見るべき所はいくらでもあるとのことだった。気持ちも変ってきたのだろうと思う。
 こうした気持ちは、少し分かる気がする。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年11月13日 | Permalink

「おばあちゃんとして生きたかった。」

 弁護士として、離婚に関連した紛争の中で対応しているとき、相手方の女性から、「離婚などしないで、おばあちゃんとして生きたかった。」と言われたことがあり、「はっ」としたことがある。ただし、その女性は、自ら離婚手続を始めているので、無理やり離婚を求められたものではない。

 「喜びも悲しみも幾歳月」のように、人生で色々あったが、最後は、おじいちゃん、おばあちゃんとして残ったというのは良いことだと、年を経て感ずる。相手方の女性も、このことを感じていたのかもしれない。私は、そのことに「はっ」としたのである。しかし、同時に、それならば、もっと別の道を考えた方が良かったのではないかとも思った。

 人生の全体を頭において物事を決めることは、誰にとっても難しいことだろう。また、そのようなアドバイスは、昨今、受けにくい。我慢することを最初から求めるものではないが、我慢も大事だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年11月01日 | Permalink

本を持っていることに意味があるか?

 一通り読んだ本でも、改めて、あるポイントを決めて拾い読みをしてみると、ほとんど読んだ記憶がないということが多い。読んだ本は、知層(地層)になると言われても、実感できるかどうか心もとない。
 したがって、本を持っていても、何がどこにあるか不明のことが多い。最近では、本は売却して、スペースを取られないようにした方が良いという考え方もあるだろうと思う。
 しかし、弁護士として、普通の人よりは、本を抱えている自分の立場から言うと、本は本として持っていることの意味はあると考えている。
 本は、1つのアイコン(記号)のようなもので、中身はほとんど忘れてしまっていても、何かしら残っているものがある。本を書棚で並べ変えてみたり、グループ化してみたりすると、何か気がつくこともある。偶然でも開いて読んでみると、現在に関係することもある。自分の運を信じて、本を開いてみることは、発想の転換になることもある。
 自分の亡き後、本を残されても、遺族は迷惑かも知れないが、気になったところに付箋とメモをつけているので(決して多くはない)、のぞき見してもらっても良いかと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年10月17日 | Permalink

母親の子育て

 塩野七生、ローマ人の物語11巻21ページに、歴史家タキトゥスが書き遺した、紀元2世紀のローマの上流家庭での子育てをうかがわせる記述が紹介されている。 

「グラックス兄弟の母コルネリアヤユリウス・カエサルの母アウレリアの最大の関心事は、息子を育てあげることにあった。(中略)それが今や、母親の任務は子を産み落としたら終わりだ。(中略)幼な子は、無教養で下品な女奴隷たちに囲まれ、彼女たちの下らないおしゃべりを耳にし、なるべく怠けようとしてずるく立ちまわる様を観て育つことになる。」

タキトゥスは、何でも悲観的に見てしまう人なので相当に割引いて受けとる必要があるとも、塩野七生は指摘するが、カエサルの時代から200年が過ぎて、指導者階級の子育てが様変わりしたようだ。

ローマの指導者階級と比べる必要はないだろうが、母親の子育てが大事であることは、時代を問わないだろう。弁護士として、いろいろな家族を見てきて、そう思う。
男性の側からすると、どのように子育てをするのか、配偶者を選ぶときから考えなければならないだろう。
また、祖父母の立場からは、孫はその母(嫁)の子であることを忘れてはならないだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月20日 | Permalink

旅行の記録

 自分や妻の、祖父母、父母、子供も入れた年表を作成してみた。弁護士として、人に話をする機会は多いものの、わが身はどうかと実行してみた。
 時系列順に、年齢、主な出来事を間単に記入しただけのものである。この年表は、ある一時点の家族構成がわかり、未来の姿を想像し易くなる点でいろいろと考えさせてくれる。
 この年表に、過去の出来事を追加して記録していくと、過去をとらえなおすことができる。
 父母が旅行をしたときに、絵葉書セットを購入することが多かったが、そこに行った日が記録されているものがある。また、写真で年月日が分かる場合もある。こうして旅行の記録を年表に落とし込んでみると、これまで気がつかなかったこと(父母の心境などプライベートなことにすぎませんが)に気がつく。
 過去のとらえ方に気がつくことがあると、未来の見方も変わるように思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年07月05日 | Permalink

家族(夫婦)は、どのような年齢構成で老いていくのか。

 年齢は、誰しも1年に1つずつ進むのであるから、将来の年齢構成は、年表にすれば、一目瞭然である。
 しかし、年表にしてみたりして、将来の姿を、1年ずつ具体的にイメージする人は少ないだろう。
このため、家計の管理をしている人が、70歳くらいになったときどうなるかについて、明確に考え、対策を実行している人は少ないだろうと思う。人生に楽観的であることは、悪くないだろうが、将来発生する問題については、やはり考えるべきだろう。
 すぐにでも気がつくこととしては、男性よりも女性の方が長命だから、自分亡き後の妻の生活をどうするかという問題がある。子供がいて、きちんとしてくれるのか、夫である自分がきちんとしないといけないのか、人により状況は違う。定期的に生活費が渡る方が良いのか、妻の自由裁量を認めた方が良いのか、という判断も必要である。
 弁護士は、この点についても相談にのることができるので、念のため。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月25日 | Permalink