街を歩いていると、外国人が多くなっていることに気がつく。

日本人と似ている外国人も多いだろうから、外国人の数は、見た目よりも多いだろう。

外国人だからというだけで何かを決められるものではない。
 日本人も、いろいろな人が増えてきたと感ずる。

こうした状況では、人を見る目が大事になってくるだろう。
 価値観のばらつきが大きくなると、その見極めが不可欠だ。
  例えば、結婚に関しては、昔は結婚相手を親が決めていた時代もあった。
  しかし、それができたのは、価値観のばらつきが少なく、実際の姿もばらつきが少なかったからだと思う。

人を見る目が大事だとなると、ある程度の期間、多くの人を見る必要があるだろう。
一人の人を判断する場合でも、価値観のばらつきが大きく、いろいろな人が増えてきた状況では、ある程度の期間が必要だろう。

今の時代は、人を見る見習い期間が、だらだらと続く時代だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月19日 | Permalink

本とどのように付き合うか?

自分が何らかを実行するために、本を読むことが大前提。
 時間つぶしなど、消費のために本を読むことを避ける。
 研究のためだけに本を読むことを避ける。

そのためには、実行することを探さなければならない。

先ず自ら問い・疑問を持つことがいいのではないかと思う。
その問い・疑問を、持っている本にぶつけてみる。

本を持つ範囲は、各人の境遇により様々だが、自ずから限度があると思う。
 多くの本を持つ人がいるが、使えない本を持っていても仕方がない。

本は、最初から読むのではなく、全体の構成を知り、必要なところを探すことができるようになれば、それでばよい考える。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年09月12日 | Permalink

ドラマで流れる交渉シーンは、あまりにも情緒的で、現実離れしている。

NHKの「西郷どん!」で流れていた薩長同盟締結の場面は、ドラマだと言われればそのとおりだが、交渉のあり方について誤解を与えるのではないかと危惧する。
 あまりにも情緒的で、現実離れしている。

 日本人が、交渉事を誤解する原因が、ドラマにあると思う。

 頭を下げることが交渉だと勘違いしないか心配になる。
 逆に、頭を下げれば、交渉はまとまるもので、こちらが頭を下げているのに、まとめようとしないのは、相手方がおかしいと考えないかと心配になる。

現実の交渉は、いろいろな条件を調整する作業で、多くの事実と見通しの積み上げ作業だ。
 どちらが先に頭を下げるかという単純なものではない。
 感情を抑えて、先に頭を下げることが、感情問題を乗り越えて解決するために、大人の態度といえるものでもない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年08月31日 | Permalink

何を見て考えるか?

考えるときに、何かを見ているものではないという人もいるだろう。
しかし、多くの場合、何かを見て考え始め、そこから目を離しても考え続けるというものだろう。

数字でとらえることは大事であり、それを表やグラフにして、それを見て考えることは多いだろう。

しかし、これ以外にも定点観測するものはあるだろう。それを見つけることは重要だと思う。

見るものは、経済的な事柄だけでなく、それをもっと広げたい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月26日 | Permalink

本は、厚すぎるのではないか?

自分が読んできた本が棚に並んでいるが、その背表紙を眺めながら考えていると、いろいろなものが頭を横切るものだ。

読んだ本の背表紙を見れば、その本の印象は思い起こすことができる。
しかし、細かいところは、あらかた忘れてしまっていることも多い。

それぞれの本で学んだことが、手短に語ることができれば、それで十分なのかもしれないが、語ることができる内容は本当に短いものだ。
語る内容よりも、その本をきっかけとして自分で行ったことの方が重要だろう。

本は、ある程度の量がないと、自分での行動に移せないのだろうか?そんなことはないだろう。
むしろ量が多すぎると、自分での行動に移せないだろう。
 本を読むこと自体を楽しむのであれば、本の分量が多い方が、楽しめる時間も多いのかもしれない。私の読み方とは異なるが。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年07月17日 | Permalink

不満・不安はどこから出てくるか?

多くの人は、自分の理想との間で格闘・葛藤している。

何もすることがなくて、不満・不安が生じる。

多くを獲得した人を羨み、自分にそれがないことから、不満・不安が生じる。
 しかし、例えば、コレクターのように美術品を多くを獲得したとき、それを見せることに満足感が生じるのかも知れないが、1つ1つの美術品の意味をしっかり理解していなければ、単なる見栄でしかない。
しっかりした理解が、本来の満足だと思う。

このことは、書籍に切り替えると、もっと分かりやすい。
現時点で流通・販売されている世界中の書籍を集めても、特別な本でない限り、その金額は、知れているだろう。
その金額を出して、世界中の書籍を集めてみましたよと、陳列してみても、おそらく意味はないだろう。
その人が書籍の中身を理解しているのか、他の人が書籍を見ることができて役立てることができるのか、などが問われるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月13日 | Permalink

楽しみを掘り出す感覚が必要だと思う。

楽しみは、すぐに見つかることだと考えていた。すぐに見つからなければ、楽しみとはいえないと考えていた。
しかし、自分の知らない楽しみを考えると、掘り出していかなければ見つからないだろう。

それでは、楽しみをどのように掘り出せるのだろう?
人の話、何かの記事が、きっかけということは多いだろう。

しかし、こうしたきっかけは、単発で終わる可能性が高い。
やはり、きっかけを集積していく方法を自分なりに見つけるといいのではないかと思う。
簡単な方法としては、ノートでも何でも、そこに記録しておくこと。そのノートを読み返してみると、何か気がついたり、他のどこかとつながることがあることに気がつく。こうしたことも記録する。
蓄積は、徐々に増殖するだろう。

そのうちに、気がついたことの全体をまとめてみようとすると、抜けている部分があることに気がつく(部分解から全体解へ)。

少し抽象的とお感じかもかもしれないが、部分と全体を行き来すると、大きな楽しみが見つかる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月10日 | Permalink

上場会社の役員報酬は、同業会社で比較してみても、ずいぶん差がある。

各人別の金額までは分からなくとも、人数割で平均を出すことはできる。
コーポレートガバナンスコードでは、取締役会が経営陣幹部・取締役の報酬を決定するに当たっての方針と手続の開示・公表が求められている。
報酬を決定するに当たっての方針と手続は、デリケートな問題であり、各会社は腐心するところだろうと思う。

同業会社で比較して差があることは、今後どうとらえられていくのだろうか?
報酬をどのように決定するかは、株主が判断する問題だとは思うが、いろいろな開示が進む中で、株主でなくとも、すべての会社について、少なくとも平均では知ることができる。そこで判明する差について、どのようにとらえられることになるのだろうかは、気になるところである。

平均報酬の一覧は、すでにどこかにあるのかもしれないが、その影響は大きいと思う。

いわゆるサラリーマン経営者とオーナー的経営者とで比較することができ、そこには差が見つかるだろう。

すでに歴史もあり、蓄積が大きな会社と、そうでない会社とで、どのように考えるべきかは問題だろう。

アメリカ等の海外の経営者との比較は、新聞でも報じられているが、日本人経営者の中での比較は、あまり論じられていないように感ずる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月05日 | Permalink

整理のできない人の利用スペースを見ていると。

物の量が保管スペースを上回ると、雑然とする。
多くのアイテムを利用しなければならない場合、スペースは十分必要だということはある。

しかし、多くの雑然とした状況は、同じものがあちらこちらに散らばっているだけということが多いと思われる。
同じものを集めてみると、種類の数は、それほどでもないことに気がつく。
むしろ、なぜ、同じものを、狭い範囲に、いくつも散らばらせないといけないのかと、不思議に思う。多くの場合、同じものを散らばらせることは、無駄だ。

整理のできていないスペースは、共同作業ができない。ここが一番の問題だ。
何らかの作業を、自分一人で抱え込むということは、よくあることだが、その人は、忙しいことに満足?して、無駄に同じものを集めてしまうことには注意するべきだ。
いつでも共同作業ができるように、気をつける必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月03日 | Permalink

近時、根をつめて作業をすることが、少なくなった。

若い頃は、根をつめて作業をする必要があると考えていた。
しかし、根をつめて作業をしても、何か自分に残るかと考えると、必ずしも良いものが残るものでもない。

根をつめる作業は、網羅的に何かをしたいときに出てくる。
たとえば、場合分けをして考えるとき、分ける場合は、網羅的にする必要があると考えるので、根をつめることになる。

しかし、何かを1つ実行しようと考えるときは、楽に考えて実行に移す必要があるだろう。
最初から根をつめていては進まない。

何かを進めるとき、その全体をとらえ、手順を追って進めることを否定はしない。
しかし、論理的には、手順として最初に出てくるものが、これだからといって、それから始めなければいけないと考える必要はないと思う。それが魅力的なテーマでなければ、最初にそれを持ってくることは、疲れてしまうことにもなる。
 特に、相手がある仕事の場合、相手に興味を持ってもらえないことになる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月27日 | Permalink