子供の社会化

 日本の乳幼児は、欧米との比較で、母親と共に過ごす時間が多いことが指摘されている。
 ところが、最近の日本では、必ずしも、そうでない母子がいて、乳幼児期に、本当に密な情緒交流がなされないことが問題となって現れていると考える人がいる。密な情緒交流があることによって、攻撃性や不安の点で、日本の幼児は、怒りっぽくもなく、こわがりでもなく、非常に周囲とうまくやっていくと指摘されている(正高信男著「ケータイを持ったサル ?『人間らしさ』の崩壊?」20頁)。
 しかし、母子密着型の子育てにも弊害があることが指摘されている(同26頁)。日本では居心地のよい母子密着状態が延々と継続するため、子供は、社会的な交渉が少なくなり、子供の社会化に悪影響を及ぼすというものである。
 たしかに、アメリカ社会を経験した人の話をきくと、アメリカでは、大学生になれば、子供は、男女を問わず、両親から独立して生活するのが当然という感覚がある。学費も、子供が自らアルバイトをして稼ぐのが当然という感覚もある。
 これに対して、日本では、親元から通学できる大学の場合、親元から通うことも多い。アルバイトの点は、大学の授業よりもアルバイトをしたいという学生も多く、アメリカとの差はあまりないようにも思われるが、その精神は大きく異なるのかもしれない。
 乳幼児期から大学生の時期まで、親子の距離をどのように持つかは、改めて考えてみるべき問題であり、実行が伴う必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年02月20日 | Permalink

人生移行の停滞

正高信男著「ケータイを持ったサル ?『人間らしさ』の崩壊?」中公新書30頁

 自分のこれまでをふりかえってみて、交遊関係が移行することは気がつく。
 これまで交遊のあった人全てと交遊を続けることは、まず、できないことだろうと思う。進学、就職、起業の中で、付き合う人は変化していく。この変化は、人との別れでもあり、さみしい一面もあって、昔からの仲良しは、いつまでも続いてほしいという願いにもなる。
 しかし、自分の活動範囲が変化することにより、自分は成長していくと考えられるし、また、自分が成長するためには、自分の活動範囲を変えていかなければならない。
 正高信男氏は、久保田万太郎の句である「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」を示し、「ともにいろはを学んだ竹馬の友も、やがてはちりぢりになっていく、さみしいけれどそれが人間の『健気』(けなげ)というものだ。」ととらえている。
 この『健気』(けなげ)という点こそが、人の生き方としてポイントだろうと感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2009年02月12日 | Permalink

家族の心情

ファミリーのことを考えるとき、家族の心情にあった判断をすることは、必要だと思う。

ご先祖様に「よくやった」と言われて、ゴールしたい。
子孫の活躍ほど、うれしいものはない。
こういった気持ちは、大事にしたい。

しかし、「兄弟は、公平に扱いたい。」「兄弟は、公平に扱われるべきだ。」という考え方は、検討が必要だろう。
昔、相続で、兄弟が田を分けることを、「たわけ」といって、たわけ者のすることと警戒していたと聞く。

家族の心情は、尊重するものの、誰かが、合理的な判断をしなければいけない場合があると考えるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年10月16日 | Permalink

ファミリーの歴史の編纂

人生の後半になったら、自分の歴史を含めて、ファミリーの歴史を編纂してほしいと思う。

自分の歴史資料は、余分なものまで残してしまうし、逆に、自分以外のファミリーの資料は、なかなか集められないが、ある物は捨てられない。
しかし、このような傾向があることを踏まえ、大胆に、取捨選択してほしい。

時間の経過とともに、何が残すべき資料か、判明すると思う。時間の経過の中で、徐々に判断してほしいと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年08月28日 | Permalink

学校の選択

 我が家では、中学受験、大学受験を経験した。
 幼稚園から始まって小学校、中学校、高校、大学、大学院と受験の連続である。難関の学校への入学実績が大きな判断材料となっているようである。もちろん、そうでない基準で学校を選んでいる人もいるだろう。
 しかし、自分自身や子の受験を通じて感じるのは、学校を選ぶのは本人(子)であるという点である。
親が子を、その気にさせたならば、子は自らの意思として進むのかもしれないが、どんな形であれ、出願するのは本人である。
 幼稚園や小学校は、親が決めるしかないではないかと言われるかもしれない。確かに子にとって良い環境を考えられるのは、幼稚園や小学校では親かもしれないが、それでも本人の自覚は重要だろう。
 今でもよく覚えているが、私が幼稚園に初めて行ったとき、近所の子と一緒に、タクシーか誰かの車で出かけた。幼稚園バスではなく、最初は、親と一緒に行ったのである。そのとき、これから「勉強」というものをするのだと随分緊張っして行ったことを覚えている。すぐに「勉強」などというものはないことが分かり、問題児として自由に振舞ったのであるが、最初は、幼稚園という新しい場所について、すごく自覚していたのだから不思議である。
 学校は、本人が選んだのであれば、納得するであろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年08月01日 | Permalink

ファミリーの歴史をいかに記録に残すか。

 「若いうちは、自分の歴史などまとめなくても良いから、もっと前に進め。」と自分に言いきかせてやってきた。
 確かに、若いうちは、自分の可能性も未知であるし、自分の果たすべき役割もわかっていない。自分の関心もどんどん変化する。
 したがって、自分の歴史をまとめてみても、見当違いとなることが多いだろう。
 しかし、年齢を重ねるにしたがって、自分はまず何を果たすべきかを選択し、それに集中しなければいけなくなると、そのために自分の歴史をふりかえってみることは悪くないと思う。
 さらに、自分の人生だけでなくファミリー全体の歴史を考えると、自分にしか記録できないことも多いことに気づく。老親がいるならば、少なくともいろいろと尋ね、記録しておくことは必要だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月24日 | Permalink

祖父と孫の関係 時代認識

2005/11/2 かんべえの不規則発言(吉崎達彦)より引用

●外務大臣会見記録(平成17年10月31日(月曜日)23時10分?於:本省・会見室)

(問)外相として靖国神社に参拝されるお考えがあるのかどうか。

(麻生外務大臣)そういう質問は必ず出るだろうと思ってましたが、やっぱり出ましたね。どちらですか。

(問)朝日新聞です。

(麻生外務大臣)やっぱりね。基本的には個人的な信条というものと、国としてのというものは必ずしも一致するということは限らないとことも往々にしてあるというのは解りますので、適切に判断をしたいという総理の考えとほぼ同じことを申し上げなければいけないと思っています。

〇そうかと思うと、こんな風に答えていたりする。

(問)日中関係は政冷経熱といわれている中で、日中外相会談もキャンセルされましたが、今の状況をどのような場でどのように打開し、どのように中国に呼びかけるお考えですか。

(麻生外務大臣)今年1月に中国に行ったときに似たような質問を受け、歴史認識について問われたことがあります。正確ではないが、多分こんな具合に答えたと思います。

昨年重慶でサッカーの試合が行われているときに、極めてアンフェアな応援を行ったのが中国人、しかしほぼ同じ時期に谷村新司の野外コンサートで、コンサートの最後に谷村新司が歌った「昴」という歌を観客の9割がスタンディング・オーべーションで応えてほとんど日本語で「昴」を歌ったというのも中国人、ということが存在していることを我々は知っている。

昨年、中国の海軍の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯したのも軍人ならば、戦前帝国陸軍が天皇陛下の意向を無視して中国でいろいろ不届きな行為があったのも軍人、軍人というのは政治家にとって常に扱いにくいというのが似たような話ではないかと。

歴史認識というけれども、なかなか歴史認識というのは難しい。南北戦争のことを、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ミズーリ、いわゆる南部の地域においてはノーザン・インベージョン、北部の侵略と学校では教えている。英国では米国の独立戦争を植民地の反乱といっている。同じ国内、同じアングロサクソンであっても歴史認識はなかなか一致しないということを前提にして、日中の歴史認識を考えていかなければならないのではないかと、正確な一言一句全部は憶えてはいませんが、大体似たようなことを言ったと思いますが。

それ以降向こうから反論はなく、第3世代、3G、携帯電話の新しい機種のことですが、その話に戻ってという話になったので、なかなか歴史認識というのは一致しないものだということを知った上で、やはり今中国で日本語を歌ったり話したりする若い人が多い。ジャパン・アニメーション、Jファッション、J?POPの「3 J」がアジアのサブカルチャーを席巻しているというのが、2年か3年前のタイムの中で書かれた社説です。日本はハードだと思っているけれど、実はソフトでアジアの中でこれだけ日本のサブカルチャーが浸透していると、タイムマガジンという月刊誌に出ていたとおりです。現実問題として日中関係は多くの人たちが色んな形で深く交わって相互交流、経済交流はもちろんのこと観光、文化でいろいろ交わり合っているのが現実だと思います。

そういった中で政治だけ別というように政経を分離するという考え方を中国はしますかね。私はある意味では、そういったものを考えて国民がそこまでうまく色んな形で行っているという現実に立った上で話をするべきではないかと思っています。


〇南北戦争との比較は、昨年12月に一緒に「靖国神社ツァー」をしたクリス・ネルソン氏も言っていたことです。とまあ、いろいろなやり取りがありますが、いちばん良かったのは次の部分です。

(問)吉田茂も首相になる前に外務大臣をやっていますが、そのポストになられたということでご感想は。

(麻生外務大臣)吉田茂は外務大臣にならずに総理大臣と外務大臣を兼務したと記憶していますが、感想ですか。余り予期しなかった質問ですね。吉田茂がどういう感想を持つか、「大丈夫かあ」とそんなものですよ。こんな質問なんかされてね。多分そういう態度で、今その辺で聞いていますよ。

以上引用

祖父と孫の関係は、このように意識されるものかとの感想を持った。
このような関係は、うらやましいものである。このような関係を作るためには、ファミリーの骨格を作ることが、年齢とともに大事である。



投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月10日 | Permalink

なぜ私は小学校・中学校時代がおもしろかったのだろうか。

 私は、小学校1年生のときは、ともかく恥しがり屋で、手をあげて発言することができなかった。運動が苦手で、飛び箱で失敗して保健室に連れていかれたことをよく覚えているので、何か得意であるというのでもなかった。
 しかし、なぜだかわからないが、小学校2年生くらいから劇的に変わっていった。
 理由は長くわからなかったが、母が亡くなる1、2年前、私の小学校時代から、先生とのやりとりは気をつかったというような話をしていた。今でいうコミュニケーションなのだろうか。
 確かにふり返ると、先生は、私のことをよく見ていたと感じるし、「目を懸けてくれた」のかもしれない(どの先生も、えこひいきはなかったと思うけれども)。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月04日 | Permalink

学校の教育

 私は、岐阜大学教育学部付属小学校・中学校で育った。入学者は、くじ引きで決まったから、成績で選ばれてのものではない。教育のための実験校であり、どの先生も熱心であり、学校が楽しく、自分にとって本当に幸運だったと考えている。

 理科では、教科書に従って進むというやり方ではなく、「100ccの水と100ccのアルコールを混ぜると体積はどうなるか」というような問題が示され、生徒同士、自分の考えを説明しながら、議論して進むというやり方で、ほぼ1年間通したこともあった。
 近時、ゆとり教育の一環として試みられた総合学習に近いのかもしれないが、岐阜大学教育学部付属小学校・中学校の教育は超ユニークで、ともかくおもしろかった。それぞれの生徒が自分のもっている知識、経験を総動員して、相手が納得できる説明を行なうのである。
 幼年期は、無理強いしてでも、記憶を重視し、反復継続させることが大事であるという考え方もあるようであり、私もそれを否定するものではないが、私の受けたような教育がなぜできないのか不思議でならない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月01日 | Permalink

ご先祖様の残してくれた財産は、どのように大事にするべきか。

ご先祖様は何を価値ある財産と見たのかをよく確かめるべきだろう。

単に金銭価値があるものではなく、ご先祖様の苦労が偲ばれ、勇気づけてくれるものこそ、家宝と言っていい。それは単なる紙切れであることもあるが、歴史的価値は計りしれない。
たとえば、徳川家康は、武田信玄との三方ヶ原の合戦の中で、命からがら逃げ帰った際の疲労困憊した姿を描いた絵を子孫代代見せたという。
本来ならば、あまり見せたくない姿のように思われるが、全く別の考え方をとっていて興味深い。

何を財産として残してくれたかという問題は、自分自身がご先祖様になるとき、どうするかを考える機会になるだろう。

日常生活は忙しく、そこまで考えられないという思いの方も多いかもしれないが、今一歩踏み込んでみることで少しずつ変わってくると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月30日 | Permalink