出店先をどのように選ぶか?

仕事によって、その市場性を判断する方法はあると思う。
大手企業であれば、これまでの出店先の成績から、人口、世帯数、事業者数、所得階層などで基準を作り判断できるだろう。その上で出店して、効果が出なければ撤退する。その結果を経験として積んでいくということが可能だ。

しかし、中小事業者は、そのようなことは難しい。これまでの多少の経験があれば、それに基づく判断をしたり、場合により、勘だけということもあるだろう。
この点は、素人の私には分からないところだ。

しかし、新しい賃貸物件ができたり、新しい店舗ができたとき、それを継続して観察していると、ある程度のことが、いろいろと分かってくるのではないかと思う。
自分なりによく観察をし、その結果について原因を考えてみることは、他の場所で何かを行なうときに有効だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月25日 | Permalink

仕事をどのように選ぶか?

誰しも、すべての仕事を知って、仕事を選べるものではない。
いろいろな職業紹介の本はあるが、本に書かれているところと実際の経験とは、異なる。

結局、好きなことを仕事として選びなさいという話になってしまう。

しかし、現実的には、時代をよく見て、収入の得られる仕事を見つけなければならないだろう。

大部分の人は、現在の状況で判断して、蓄積のある会社を選ぶ。
しかし、本来は、その会社の仕事内容が、これからの時流に合っているのかを考えなければいけない。
そのような判断は、誰でもできるものではないから、現在の状況・蓄積で判断するしかないと言う人もいるだろう。
しかし、時代をよく見ることを、最初からやめてしまうことは、我が身にとって困った結果となるだろう。

多くの経営者を見て思うことは、お金の儲かる仕事を見つけた人が、努力(だけ)の人に勝るということだ。
これは、価値の判断としては、受け入れがたいことかもしれないが、現実だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月24日 | Permalink

自分の変化を、どのように知るか?

自分の変化を知ることは、重要なことであると思うが、本来、おもしろいことだ。

スポーツ選手のように、自分の成績を記録していると、成長を知ることができるし、逆に、衰えも知ることができる。
普通の仕事をしている人は、どうしたらこうした変化を知ることができるだろうか。

多くの場合、すべてが数値で把握されているものではない。

この点については、経験的には、過去に自分が書いた文章や、過去に自分が撮った写真だろう。
こうしたものを、ある程度定期的に見直すと、自分の変化に気がつく。キーワード検索でピックアップしてもよい。
変化に気がつくことで、反省もするし、考え方をさらに展開することもできる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月21日 | Permalink

アニマルスピリット

イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズが述べた言葉といわれる。血気や野心と訳されるようだが、人間の動物としての心くらいにとらえている。

電車の中などで、多くの人がスマホに向き合っている姿を眼にすると、アニマルスピリットとどのように関係付けるか考えてしまう。(アニマルは、スマホを見ないのか、スマホを見るアニマルもいるのか。)

あまり観念的に考えるのではなく、自分のアニマルスピリットを考えるべきなのだろう。
自分は世の中に対してどのように取り組むか、ということ。

口にできないことも出てくるだろう。自分の内心にとどめることは多い。

探すということは必要だ。スマホで探しているのだともいえる。
しかし、スマホに飼いならされているようにも見える。

自分の眼で現実の空間を見つめるべきだと考えることもできるだろう。現実世界の方が、情報の密度は高いともいえる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月19日 | Permalink

自分のビジネスの新しい場所・形

自分のビジネスについては、皆、いろいろと努力しているところであるが、同時に、どこで行なうかも考える必要があり、また、その形をどうするかも考える必要がある。

これまで展開してきた場所だけでなく、もっと顧客が集まる場所で展開しようと考えることはよくあることだろう。
たとえば、東京に出店することなど。

東京に出店すると、顧客が多くなるだろうと期待するだろうが、競争者も多いことにすぐ気がつく。

しかし、見ていて感ずるのは、違う地域に出たとき、顧客の数の問題よりも、顧客の性格をどのようにとらえて対応するかだと思う。

物販でもサービス業でも、顧客の性格の違いに驚くことがある。自分にあった顧客を見つけようと、もっと努力しても良いと思う。仕事のやり易さは、いろいろだ。
自分がよく知った地域の顧客のことを考えていれば良いという意見も聞くが、自分のビジネスの展開は、もう少し広く考えてよいと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月18日 | Permalink

その日暮らし

ビジネスを、その日の自分が暮らせればよいと考えて進める人が多いと思う。生業(なりわい)なので、それでも良いという考え方もあるとは思う。人口減少の社会では、ビジネスは、そもそも誰がやっても難しい面があるのは確かだ。
 しかし、「生活ができていれば良い。」で終わらせないことを、やはり考えるべきだと思う。そうしないと、必死さに結びつかないだろう。必死さがないと、じり貧になる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月17日 | Permalink

評判は、どこまでのものか?

「そんなことをすると、評判を落としてしまうぞ。」というアドバイスは、よく聞く。
特に、年配者から聞かされる。

私は、評判は大事だと考えているので、そのように生きてきた。
しかし、還暦を迎えてみると、評判の限界も感ずる。

良い(悪い)から評判になるのか、広告でも何でも、単によく聞くから評判になるのか、その区別はあいまいだ。
また、年齢とともに忘却も甚だしくなる。

評判を大事にしているというメッセージは重要だが、それだけでなく、強いアピールが必要だ。

中小事業者の中には、どこまでも「良さ」にこだわりを持つ人たちがいる。それは大事だと思う。
しかし、方法は考える必要があるが、強いアピールを意識するべきだ。

商品・サービスは、それほどでもないのに、拡大・成長しているところがあるのは、事実だ。
プロから見れば、それほどでもない商品・サービスは、分かるであろう。しかし、「それほどでもない商品・サービス」だと言ってみたところで、影響はほとんどないことが多い。

強いアピールが先で、良さは後から付いて来ていることもある。

このような社会であることが、良いか悪いかについては、言いたいことがある人は多いだろうが、そのような社会を前提にするしかないだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月14日 | Permalink

チャレンジャーの気持ち

私は、いつも自分の力で築き上げることを考えてきた。したがって、いつもチャレンジャーの気持ちでいる。
世の中には、生まれたときから豊かであり、守るべきものを持つ人たちも多い。こうした人たちの気持ちは、チャレンジャーとは別のものであることも多い。

この両者については、どちらも、それぞれにあるのであり、優劣を付ける問題ではない。

世の中では、親がチャレンジャーであるのに、子や孫は全く別ということは、よくあることであり、そこからいろいろな軋轢が生じてくることを見てきた。
親は、どうしても自分の感覚でものを言う。チャレンジャーとして成功した親ほど、こうした傾向がある。

しかし、豊かになったのであれば、どのように豊かに暮らすかを考えなければいけないと思う。親が、子や孫に対して、自分と同じように苦労してみろと言ってはいけないと思う。

もちろん、親は、子や孫が没落してほしくないから、いろいろ言いたくなるのだが、時代の変化は無視できないものだ。

自分がチャレンジャーだと考えている人は、自分の境遇の変化に応じて、考え方・行動を変えていかなければならない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月13日 | Permalink

お金の管理

いくつかの会社を持っていたり、いくつかの部門で働いていると、お金の動きは、多数になってくる。
人件費は、定期的に払わなければならないが、税金は、形を変え、支払時期も分散し、支払も、銀行口座引落しだけでなく、納付書によることも多い。水道光熱費も、活動の場所が複数になれば、どこの支払か混乱するだろう。

このような中で、家計簿のようなスタイルでは、管理は大変ではないかと思われる。手書きだと尚更だろう。
しかし、世の中で、多く紹介されているのは、家計簿のような帳面スタイルだろう。いろいろなアプリもあるだろう思うが、お金の動きが拡張していくと、使い勝手は悪いのではないかと思う。

表計算ソフトは、多くの人が使っていると思われるので、どこかでこれを利用することになるだろう。
毎年、昨年の実績表に、今年の数値を入れていくと、昨年との対比ができて、異常な数値かどうかも確認できる。

単純に、自分で表計算ソフトに記入していくと、お金の動きが拡張しても、表が大きくなるだけのことだ。
この方法の場合、お金の動きが拡張したとき、これまでの表計算ソフト上の記入の、どの部分を拡張するかを考えることになり、自分の体系を理解することにも通じる。

ただ、自分のこの単純な方法は、他の人と話していると、あまり採用されていない。このことは、私にとっては、驚きなのだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月12日 | Permalink

自分にとっての意味を、どのように認識するか?

商品にとっては、「物語」が必要という指摘がある。
 「物語」が分かれば、各自が、自分にとっての意味をとらえられるからだと思う。
 ものだけでは、かなり抽象的・寡黙で、自分にとっての意味をとらえにくい。

自分にとっての意味から、どのようなもの・ことが必要かを考えることはできる。

この考え方をすると、必要なもの・ことは、あまり世間にはないということが起きるだろう。
 欲しいものは一杯あり、必要なものはいくらでも思い浮かぶという人もいるかもしれないが、おそらく自分をとらえきれていないだけではないかと思う。

自分にとっての意味をとらえるとき、頑なに考えてしまうことが多いものだ。
 自分にとっての意味を、柔軟に認識することは難しい。
 自分と異なった人の意見を聞くことも必要だろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年04月11日 | Permalink