自分でしゃにむに働いて収入を得る形から、脱出しよう。

はじめの一歩は、自分でしゃにむに働いて収入を得る道だろう。
しかし、いつまでもその形であってはならない。
 なぜならば、生きていくことは、いつでも人との関係で評価される。したがって、人との関係を作っていくべきだ。
 人が働いて、自分に収入をもたらす仕組は、搾取ではなく、機会を作ることだ。

人が働く機会を作ることで、事業主となる。(もちろん、資産だけが働いて収入をもたらす仕組もあるだろうが。)

誰かに雇われて働く場合、事業主ではないのだろうか?
 誰かに雇われて働く場合、働く先に依存せず、雇われ先を変えていくことができるならば、事業主と同等に考えてよいだろう。

事業主となったとき、自分を支えるものは何だろう?

事業主は、思想、表現、行動の自由権が基本として必要だ。この自由権を、気持ちの面で感じさせてくれものが大事だ。

自由であるためには、自分の所有物(ここでは、人を所有物とは考えていない)を持つ必要がある。
 すべて借りたものでも、ある程度の自由は楽しめるだろうが、制約も多いと思う。
  例えば、本は、自分の所有物であれば、書き込みができる。
  庭木は、自分の所有物であれば、剪定することができる。

 所有することは、大きな影響を受けることにつながる。

 しかし、自分の所有物は、多ければ多いほど良いというものではない。

そこで、自分の所有物として何を持つかが問われる。
 自分に影響を与える本、作品、食事など、選択はいろいろある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月11日 | Permalink

事業主として働くことの良さ

事業主が減りつつある中、事業主は、事業主であることの良さをしっかりとらえるべきだ。

仕事を選べる。
 仕事を選べないことも多いとは思うが、嫌であれば、最終の判断は自分でできる。

仕事の進め方は自分で考えられる。
 もちろんそのやり方が良いかどうかは、評価される。

出世競争はない。
 同業者との競争はあるが、成果物とは別のしがらみは、嫌ならば無視できる。

「忖度」は、不要だ。
 力がなければ、相手に合わせないといけないことはある。
 しかし、地位の差からくるおもねりは不要だ。
  もちろん下請の立場は、地位の差といえるが、同じ企業の中で地位の差が固定しているものとは違い、他の道を模索できる。

所有できる。
 勤労者は、会社・役所から備品を借りる。
 これに対して、事業主は、人から借りても良いが、所有することもできる。所有をきっかけとして展開するものは多い。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月09日 | Permalink

人を助けることが大事だと、刷り込まれすぎている。

このことが当てはまる人は、実際は少数だろうという前提で。

世の中の仕組(政治)として、不幸を和らげることが考えられている。
 生活保護、保険

全て人が、自分以外の全て人を助けることはできない。
 不幸だが助けたくない人も多い。
 現実に助けられない。

世の中の仕組(政治)が人を助ける。これを原則としている。

これだけでは不幸を無くせないため、人を助けることが大事だと教わる。しかし、これは例外的なもの。
多くの人は、この例外を実行できない。それは、それでよい。

ところが、人を助けることが大事だということが、強調される。
例外を少しでも実現するためには必要なことかもしれないが、その刷り込みはきついと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月26日 | Permalink

人を縛るもの

生まれ育った家

最初に選んだ職業

会議の仕方
 立った会議もある。

物事に対する見方
 頑なな人はいるものだ。

目的
 ある目的で手に入れたものが、実は他にも役に立つことがあるが、そのことに気がつかない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月23日 | Permalink

性善説の世界で育った人は、人間の浅ましさを痛感する必要がある。

性悪説の世界で育った人は、楽観を知る必要がある。

しかし、性善説の世界で育った人こそ、自分から1歩出た世界は、闇であると実感するべきだと思う。
自分から1歩出た世界も、自分と同じように、良き人たちの世界だと考えると、そこに甘えが生じる。その甘えは、危機を生む。

自分から1歩出た世界は、闇であると考えるならば、慎重にとらえるだろう。その方が安全であると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月16日 | Permalink

階級社会か?

格差社会から階級社会になってきているという指摘がある(新・日本の階級社会 講談社現代新書)。

しかし、格差の固定化の度合いが強固であっても、超えていく人は、行くだろう。

日本の歴史の中で、階級差があっても、農民、町人は、生き方を探り、力をつけた者もいる。
そのしたたかさを見るべきだ。

江戸時代は、士農工商だと、学校時代に刷り込まれており、その感覚で判断すると誤るだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年04月12日 | Permalink

弱者を保護するのは、弱者を弱いままにする狙いもあるのではないかと、意識する。

こんなことを言うと炎上ものだろう。弱者保護の必要性を否定するものではない。
しかし、貧者の目線として、助けられるままの自分を意識することは必要だと思う。

自分自身を振り返って、保護されたと感ずる時期は、特に若いときは、単純に保護されたというよりも、成長を促された(指導された)という思いが強い。
難しいことはともかくとして、単純に保護することも必要だとは思うが、保護といってもいろいろな形がある。
自分が受けている保護が、どのような意味があるかは、考えられる人であれば、考えるべきだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月12日 | Permalink

キャッシュフローの把握

少なくとも、個人事業主であれば、自分や自分の関係会社のキャッシュフローを把握することは必須だ。
エクセルで一覧表を作るだけだ。

ところが、それすらできていない人がいる。会計事務所に作成を任せることを考えるよりも、自分のためには必要のはずであり、すぐに作るべきだ。
税務申告など税理士に任せるものもあるだろうが、キャッシュフローの把握は、自分でするべきだろう。

メリットは多い。
昨年との比較ができる。異常な数値の把握ができる。支出の把握に漏れを出さないようにすることができる。キャッシュフローのマイナスが分かれば対応策を考えることができる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月08日 | Permalink

金儲けは、観念的では(考えているだけでは)実現しない。

金儲けと豊かな生活とは、別物だという前提で。
世の中には、金儲けは簡単だという人もいれば、金儲けは難しいという人もいる。
しかし、金儲けができているかどうかは、実績として明確に出てくるのもので、実績で判断するだけのことだ。簡単か難しいかは、人により違っているだけのことだろう。

金儲けを論ずることは、その人の実績と関係してくるので、難しい。
実績のある人は、妬まれたくないので、あまり表にしない。
実績のない人は、実績を表にしなくとも良いのであれば、どうとでも話せるが、裏づけに乏しいと思われるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月06日 | Permalink

時期を選ぶ(待つ)。

不動産を継続して購入していると、バブルに近い頃に購入した物件や経済ショックの時期に購入した物件など、様々あり、その比較ができる。
結論としては、バブルに近い頃に購入した物件は、その後も購入価格を下回っている。
もちろん、賃料収入の範囲で借入金の返済が可能であれば、それを売って処分しなければならないというものではない。賃料収入は、安定してある。
しかし、売却益を求めて成長することを考えるのであれば、購入時期を選ぶ必要がある。
不動産の売却益は、相当に大きくなることがあり、これを利用することは考えるべきだろう。

株式も、基本的な考え方は同じだ。
株式の方が影響を受ける事象は様々であり、変化も早いが。
経済ショックの時期に購入したものは、その後の経済政策で、全般的に値が上がっている。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月02日 | Permalink