何かをどこかに仕舞い込むのは、穴に埋めたタイムカプセルをもつことと同じだ。

後にタイムカプセルを開けて、時間の経過に驚くことを楽しむのであれば、それも良いかもしれない。

しかし、常に観察を続け、その時々に役立てようと考えるのであれば、仕舞い込む(封をする)のではなく、すぐに見ることができるようにしておくべきだ。

特に、大事なもの、自分では完成されたと考えるもの、の場合、仕舞い込む(封をする)ことをしがちだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年11月07日 | Permalink

コレクションした物の運命

相続した人の間で、亡くなった人のコレクションした物をどうするかは問題となる。
亡くなった人が、大事にしていた物や気に入って集めた物でも、相続した人には困るものも多い。結果的に処分されることも多い。

相続した人は、整理する立場であり、どれを残し、どれを捨てるかの区分は、時間がかかって仕方がなく、とてもやりきれないだろう。

また、次に建物を利用する人にとっては、残されても仕方がない物は、処分するべきだという考えは十分ありうるだろう。

亡くなった人が集めたものも、お金にあかして買いまくっただけで、一度も使ったこともないもの、古くなり使いようがないものばかりだということもある。

相続した人が、亡くなった人が集めたものを時間をかけて1つずつ見て、ゆっくり、捨てるものは捨てていくという方法もあるが、整理する立場に立てば、まず大胆に処分しなければ、後が使いにくいのは、もっともだと思う。

結局、自分が集めたものは、次の世代には、このような感覚で対応されるのだろうと思う。
物の運命は、その人限りという面がある。

コレクションした物を、一家の共通基盤とするためには、本人が元気なうちから、子孫にも利用してもらって、楽しんでもらうしかない。
物は、共有で利用するしか、引き継がれない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2017年10月20日 | Permalink

自分が持つものの体系

ハードからソフトまで、自分が持つものをいつでも取り出せるように、整理し、体系化しておく。
そのためには、不定期で良いから、時間があるときに、自分が持つもののすべてについて、その題目に眼を通し、整理・体系化をやり直してみることだ。
自分が持つものの保管場所を、どこかに集約することも考えるべきだろう。

その上で、何かに対峙するとき、自分の全体を総動員して対応する。

これが私の考える統合された自分のイメージだ。

整理・体系化されたものの内容は、理解し、記憶されているに越したことはないが、糸口をつかんでおいて、何か感じたときに、資料から引き出せればよい。

自分が持つものは、通読しても良いし、関係個所だけを拾い読みしても良い。
大事なことは、対峙するものも含めて、自分が持つもの同士が響きあって、さらに統合させていくことだ。

自分が持つものの全体をイメージできれば、個々のものについて、どれだけ時間をかけられるかもある程度判断できる。時間を浪費できなくなるだろう。個々のものについて、一言で説明することも考えるべきだろう。
ただし、時間をかけられないことから、個々のものについての取組みが、息の短いものになってしまうことは注意する必要がある。じっくり取り組む場合も考えるべきだ。

自分が持つものを必要最小限に抑えるミニマリストの考え方は、すべてを自分の中に記憶できれば良いが、それは困難であるから、何かに対峙するとき、出たとこ勝負になってしまうのではないかと思われる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年11月28日 | Permalink

バブルの教訓

量的緩和をしても、マイナス金利を採用しても、デフレから脱却できない。2パーセントの物価上昇を実現できない。

これは、経済の主要な参加者(プレイヤー)が、バブルに無理やり持ち込んでも、バブルは所詮バブルだという教訓を得ているからである。
多くのプレイヤーは、上がる見込みがあるからといって、それを追いかけても、どこかで破綻すると感じている。
したがって、あまり追いかけない。

これは健全な感覚だと思う。

同じように、人件費を上げることも、労働問題で苦労した経験がある経営者は、簡単には応じないだろう。
従業員の給与を上げても、またどこかで苦労すると感じている。

歴史は繰り返すというが、教訓は、かなり影響が残ると思われる。
世の中が教訓を忘れた人だけになったり、教訓が残っているときでも、さらにその上にまた新しい教訓を得る事態にならない限り、簡単には歴史は繰り返さないだろうと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年11月18日 | Permalink

豊かになることは、先延ばしにもつながる。

 一番顕著だと感ずるのは、結婚年齢が遅くなってきたことだろう。
親世代に経済的な余裕があると、子世代は、結婚の決断を遅らせる傾向が顕著だと思う。
子世代の感覚からすると、結婚に関して慎重に見極めているというところかもしれない。
 しかし、このことにより、社会的には多くの影響があり、各家庭にもひずみをもたらしていると思われる。
 結婚だけでなく、職業を持つことに関しても先延ばしが目立つ。
 豊かになったのだから仕方がないと考えれば良いのかもしれないが、感覚の違いをうめる工夫が必要だと感ずる。タイミングをはずすことなく進めている家庭もあるのだから、何がしかの工夫があるのだろう。
 仲良しのチームワークだけではなく、強い発言も必要だ。おせっかいと思われようと言うべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2014年06月18日 | Permalink

企業の承継にあたり、課題をどのようにつかんでいるか。

 経営のトップは、同族企業の場合、親子、兄弟の間で変更し、承継されることが多いだろう。この時、どのような時期に承継を行なうかが、問題となる。

 年齢、体力など、いろいろな判断要素があるのだろうが、私がなるほどと思ったことがあるのは、企業の課題をつかみ、自分の役割との関係で、その課題を区切り、自分なりに実現した段階で、次の世代に承継するというやり方である。この方法は、次の世代との間でも、企業の課題を共有している。

 課題のつかみ方は、いろいろだと思うが、規模の拡大を考えるのではなく、取り組むべき分野など、その企業の強みに関する理解を深めることを行なうべきだろう。
 このように課題をとらえ、共有するならば、承継は、うまくいくと思う。承継の時期は、単純に年齢などで決めるのではなく、課題の連鎖の中で、役割分担として考えることになる。
 承継させる者と承継する者との間で、課題の押し付けは、避けるべきだと思うが、役割分担のとらえ方が、互いに一致すると、強い承継となると思う。こうすると、承継させる者には、踏ん切りがつき、承継する者には、責任感・覚悟ができるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年08月21日 | Permalink

自分の子が後を継がないことを、どう受けとめるべきか?

 自分(親)が行なっている事業が、後継者(子)にとって魅力がない場合、後を継いでくれないことは、やむをえないことかもしれない。自分の事業よりも、子が起こした事業の方が、隆盛であることは、ありうることだろう。
 しかし、自分の事業の方が、子が取り組もうとしている事業よりも、収益性があり、安定している場合、親としては、気分は晴れないだろう。
 このような場合でも、「子どもには子どもの考えがある。」ということで、諦めるべきなのだろうか?多くの親のジレンマは、こんなときだと思う。
 しかし、自分(親)が行なっている事業の魅力を伝え切れなかったのは、まさしく自分である。子に無理強いしても、事業としては成功しないだろう。
 逆に、子に能力の点で問題がある場合、決断を迫られることになる。周到な準備を、人知れず行なうしかないだろうと思う。
 このように考えてくると、結局、子がどうであるかにかかわらず、自分(親)がどうするか、何ができるかの問題だと思う。自分の判断に基づき、家族・事業を組み立てていくしかない。これは極めて孤独な仕事だと思われる。どうしても子に期待をしてしまうが、そこは厳格に判断し、ありのままを受け入れるしかない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年03月06日 | Permalink

大須観音展

 大須観音は、国宝の「古事記」をはじめ、古典籍の宝庫であることは、知らなかった。「古事記」の写本の中で一番古く、最善本と評価されている。

 このことが実現したのは、多くのことが積み重ねられた結果である。
1 大須観音(真福寺)初代の能信(伊勢出身)が、多くの弟子を率いて書写を始めたこと
2 真福寺は、木曽川・長良川のデルタ地帯にあったが、徳川家康は、洪水の被害を心配して、文庫をお寺ごと、現在の場所に移転させたこと
3 東大教授の黒板勝美が、本格的調査・整理を行い、詳細な目録を完成させ、耐火性の高い鉄筋コンクリート造の建物に文庫を保管したこと(名古屋大空襲により、大須観音の伽藍が街もろとも焼失した中で、文庫は残った。)
などなど。

 文庫を宝とした考え方に感銘を受ける。また、承継のための努力・判断にも感銘を受ける。

 これに対して、現在は、「文庫」として残すものが何かを考えなければならないだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年12月25日 | Permalink

キャッシュフローの重みをいつ知るか?

 10億円資産があったとしても、1万円が払えなければ、債務不履行となる。このことは、頭では分かっていても、骨身にしみて分かるためには、経験が必要だろう。
 キャッシュフローのひっ迫は、徐々に来るというよりは、あるとき突然気がつくという感じだろう。多くの経理責任者は、日頃から、資金の余裕を持つように考えているだろうが、金融機関と条件を詰めるとき、余裕があると甘くなるものだと思う。こうした詰めの甘さは、将来、どこかで気がつく。しかし、後では、それを簡単には変えられない。
 こうした気付き・経験は、貴重であり、後継者に伝える必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年11月28日 | Permalink

方丈記(鴨長明)

 方丈記の終わりは、概要、次のとおりだ。
 自分は、執心するなという仏の教えに従い、人里離れた山の中でがんばってきたけれども、静かな明け方に自問してみるに、心は、欲にまみれたままだ。インドの高僧もささやかな庵で修行したが、自分はその跡を汚している。これは報いなのか、心が迷いすぎて狂ったのか。このように自問したが心は答えない。念仏を2、3遍唱えて終わった。

 この終わり方はあいまいで、物足りないと感じる人もあるかもしれないが、生身の人間らしくておもしろいというとらえ方ができるだろう。

 人里離れた山の中でがんばってきたこと自体が、執心するなという仏の教えに反するということに気づき、自らをも無常にシフトしたというとらえ方もあるようだ。無常を、単にはかないものととらえるのではなく、積極的に「無常力」という力のあるものとしてとらえるようだ。

 私は、宗教的な教えもあるけれども、現世に生きる人として生きていこうというメッセージだと思う。このような現実主義は、日本人に昔から受け入れられてきたのではないかと思う。
また、次の世代の人に、どのように自分の考えたこと・行なったことを伝えるかに関しても、考えさせてくれると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年10月25日 | Permalink