与える人になろう。

 多くの人に評価される人は、結局のところ、与える人だ。
 敬意を表され、大事にされる人を見ていると、与える人であり、ビジネスの面で力を得た人も、与えてきた人だ。 
 与えるにあたっては、何らかの見返りを期待することはあるだろうが、まず自分のできる範囲のことで、人に与えることが先だろう。自分が容易にできることならば、与えることは苦にならないだろう。
 与えることが積み重なり、また広がる社会が想定されて良いだろう。
 私個人としては、社会という大きなものを先に考えるべきではなく、自分とのかかわりの中で身近なところから考えていけば良いと考えている。弁護士であれ、同じことだと思う。個人が与える人となることで、社会は違った見え方をするだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月06日 | Permalink

「文人の愛した温泉」

 上記のような特集や本を目にする。「なぜ文人は温泉に惹かれるのか」というような論考もある。
 しかし、温泉は、文人にだけ愛されたものではなく、多くの人に愛されている。
 文人が、多くの人と異なるのは、小説などで取り上げ、記録に残した点である。記録に残されたことにより、後の多くの人が、文人の経験や意見を知ることができるため、文人が温泉を愛したとなるにすぎない。
 温泉を愛した人は多いと思われるが、記録に残っていないと、その事実も残らないということである。
 記録の意味を改めて感ずるところである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月28日 | Permalink

自分が持っている本と自分のコメント

 読んだ本は古書店に売却する人が多くなったと思う。本は売りたくないという人でも、収納スペースがなくなれば処分するしかない。また、本人は売らなくとも、遺族は処分してしまうこともある。
 私の方針は次のとおりだ。
1 自分以外の人にも読んでほしい本は区分して残す。
 ただし、最初から最後まで読む必要はない。読んでほしい所に付箋をつけて、できればどこかでコメントしておこうと考えている。そうすることによって少しはガイドになることを望んでいる。全体を読まなければわからない本もあるかもしれないが、そこまで厳格である必要はない。
2 残された本について、私は全て読んでいるものではない。
 残された本は、ある世界を感じさせてくれる本であり、その中を冒険してみたらどうかと考えている。本の内容に賛成しているものではない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年08月05日 | Permalink

息子(娘)にまかせることができるということ

 息子(娘)にまかせることができるということは、幸わせなことである。世間では、そうできないことも多く、それと比べたとき、息子(娘)にまかせることができるということは、なんと幸わせなことかと思う。
 世の中には、息子(娘)にまかせることに抵抗感を示される人も多いが、私は、まかせることができるならば、幸わせを感じ、どしどしまかせていけば良いと思う。
 息子(娘)にまかせると、自分が慣れ親しんできた物を捨てることにもなる。たとえば家の建替などがある。確かに、それはさみしさを伴う面もあるが、人生の先達(せんだつ)としては、どこかで決断すべきことのように思う。それは子孫を思えばできることのように思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年07月14日 | Permalink

自宅

 人間誰しも立派な家(豪邸)に住みたいと思うだろう。
 自分の収入が増え、役職も付いてくると、それに合った「格」が必要となるのかもしれない。また、お金を稼ぐこと(ビジネス)のみに専念し、それを貫いていても、その価値に限界を感じることもあるだろう。
 しかし、自宅は収益を生まないことは確かだと思う。
 豪邸を持つ人が、自分のビジネスがうまくいかなくなり、豪邸を処分しても、そのビジネスを救うことができなかったことは、数多く見てきた。自宅(特に建物)は、大きくすれば大きくしただけ処分価額も比例して大きくなるものではない。世の中には売りやすい大きさがある。
 したがって、自宅の大きさ・形を考えるときは、賢い判断をする必要がある。しかし、人は、一生のうちにそう何回も自宅を作ることはないだろうから、自宅を作るときに本当に考えておくべきことに気がつかないように思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年04月19日 | Permalink

自分の取り組んでいることの体系

 私が何に取り組んできたか、今、何に取り組んでいるかは、私の席に座り、パソコンを立ち上げ、机のまわりの状況を見てもらえば、概要がわかるだろう。 これ以外の現場も見てもらわないと理解されないかもしれないが、私の席に座れば、概要を知ることができるだろう。 

パソコンを立ち上げ、?作成した文書をどのように位置づけ、保管しているか、?インターネットで何を継続して見ていたか、を見るならば、自分の取り組みの内容がつかめてくる。

机のまわりの棚を見れば、?どのような書籍が、どのように並べてあるか、?書籍以外に何を保管しているか、がすぐにわかり、関心の広がりがつかめてくる。

パソコン、机のまわりは、基本的に体系がわかるように並べているが、それは自分のためである。しかし、将来、誰かが、自分の跡を見るとき、自分を理解し、関心をもってほしいためでもある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月29日 | Permalink

ロックフェラー家の信託

 ロックフェラー回顧録(デイヴィッド・ロックフェラー 1915年生 新潮社 415頁)によると、次の記載がある。

1 ジョン・D・ロックフェラー(著者の父)は、1952年、著者の子供たちが、将来必要とする資金を準備するために撤回不能信託を設立した。

2 著者の父は、1934年、著者とその兄弟たちのために信託を設立しており、著者とその兄弟たちは、その信託から収入のほとんどを得ている。

3 著者の父は、1952年信託の設立前に、信託をどういう構成にしたいか、著者に尋ねた。

4(1)著者とその妻は、子供たち1人1人に適度な年収(開始時の21歳では5000ドル)を受け取らせ、30歳になるまで毎年金額を増やしていくことにした。

 (2)30歳になったら、各自が信託から得られる収入を全額受け取ることにする。

 (3)21歳に達してからは、受託者の承認を受ければ、各自が信託の元本を最大50パーセントまで引き出せる。 

 (4)著者とその妻は、上記の備えと父の寛大さのおかげで、子供たちが、大人になったら独立した人生を歩み、自分自身で最善の資産配分を決定できるようになると、考えた。


 この記載には、興味深い点がある。 

 孫に適度な年収を受け取らせるにあたり、21歳を開始時にしたこと。 

 孫が30歳になったら、全額受け取ることにしたこと。 

 孫が21歳から29歳までは、50パーセントを引き出せるが、受託者の承認を必要としたこと。

 祖父は孫のための信託設立にあたり、父に相談していること。 

 祖父(父母)は、孫(子)に対して、30歳を超えて、その財産管理をしようとしていないのであり、孫(子)が独立した人生を歩み、資産配分も自分自身で決定できるようになることを望んでいることは興味深い。 また、信託の全体が不明なので、不確定であるが、さほど複雑な組み立てにしていないところも面白い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月21日 | Permalink

生命保険は必要か。

一般に、被保険者(一家の柱)が亡くなったときを考えて、生命保険に加入する。
しかし、加入の必要があるのか、自分の場合はどうか、よく考えるべきである。

資産収入のない家庭の場合、一家の柱の死亡は、大きな打撃であろう。したがって、生命保険の必要性はある。
逆に、資産収入のある家庭の場合、生命保険は不要であり、むしろ保険料を投資に回せない分、不利となるだろう。

借金のある場合、一家の柱の稼ぎで返済しているのであれば、一家の柱の死亡の場合に備えて、生命保険は必要だろう。
しかし、資産収入で返済ができるのであれば、生命保険は不要である。

したがって、資産収入を目指して投資をし、その投資が完成するにつれ、生命保険を少なくするべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年05月21日 | Permalink

子孫の眼

 自分のしていることは、連綿とつながるファミリー(ないし協力者グループ)の1つの行ないだと思うと、当然、子孫(後輩)の眼を意識することになる。
 子孫の眼を意識すると、自分の行動を見つめるとき、自分だけで考えていたときとは大きく異なってくる。怠惰のために途中でやめてしまうことはできなくなるし、一層良く考え、努力することになる。
 自分の歩んできた道を整理し、反省することは、子孫の眼を意識すると意外に効果のあるものだと思う。自分の思い出を整理するくらいならば、未来に向けて、現在実行する方が大事であるという考え方もあるだろうが、この考え方とても子孫の眼を意識するべきだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年02月19日 | Permalink

美術コレクター

 コレクターは、結局、誰かを応援した人だ。
 美術品が投資対象となるのかという議論は、昔からあるけれども、実際問題としては、投資として報われるかどうかは、非常にむつかしいのだと思う。
 美術品は、趣味の違いが出るし、保管も容易ではないと思われる。コレクションが増えると、その保管場所だけでも大変だと思う。
したがって美術品を収集するのであれば、自分の人生の中で位置づけを明確にしないといけないと考えている。最初に記したように、「自分として応援したい」という気持ちが必要だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年02月03日 | Permalink