大須観音展

 大須観音は、国宝の「古事記」をはじめ、古典籍の宝庫であることは、知らなかった。「古事記」の写本の中で一番古く、最善本と評価されている。

 このことが実現したのは、多くのことが積み重ねられた結果である。
1 大須観音(真福寺)初代の能信(伊勢出身)が、多くの弟子を率いて書写を始めたこと
2 真福寺は、木曽川・長良川のデルタ地帯にあったが、徳川家康は、洪水の被害を心配して、文庫をお寺ごと、現在の場所に移転させたこと
3 東大教授の黒板勝美が、本格的調査・整理を行い、詳細な目録を完成させ、耐火性の高い鉄筋コンクリート造の建物に文庫を保管したこと(名古屋大空襲により、大須観音の伽藍が街もろとも焼失した中で、文庫は残った。)
などなど。

 文庫を宝とした考え方に感銘を受ける。また、承継のための努力・判断にも感銘を受ける。

 これに対して、現在は、「文庫」として残すものが何かを考えなければならないだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年12月25日 | Permalink

キャッシュフローの重みをいつ知るか?

 10億円資産があったとしても、1万円が払えなければ、債務不履行となる。このことは、頭では分かっていても、骨身にしみて分かるためには、経験が必要だろう。
 キャッシュフローのひっ迫は、徐々に来るというよりは、あるとき突然気がつくという感じだろう。多くの経理責任者は、日頃から、資金の余裕を持つように考えているだろうが、金融機関と条件を詰めるとき、余裕があると甘くなるものだと思う。こうした詰めの甘さは、将来、どこかで気がつく。しかし、後では、それを簡単には変えられない。
 こうした気付き・経験は、貴重であり、後継者に伝える必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年11月28日 | Permalink

方丈記(鴨長明)

 方丈記の終わりは、概要、次のとおりだ。
 自分は、執心するなという仏の教えに従い、人里離れた山の中でがんばってきたけれども、静かな明け方に自問してみるに、心は、欲にまみれたままだ。インドの高僧もささやかな庵で修行したが、自分はその跡を汚している。これは報いなのか、心が迷いすぎて狂ったのか。このように自問したが心は答えない。念仏を2、3遍唱えて終わった。

 この終わり方はあいまいで、物足りないと感じる人もあるかもしれないが、生身の人間らしくておもしろいというとらえ方ができるだろう。

 人里離れた山の中でがんばってきたこと自体が、執心するなという仏の教えに反するということに気づき、自らをも無常にシフトしたというとらえ方もあるようだ。無常を、単にはかないものととらえるのではなく、積極的に「無常力」という力のあるものとしてとらえるようだ。

 私は、宗教的な教えもあるけれども、現世に生きる人として生きていこうというメッセージだと思う。このような現実主義は、日本人に昔から受け入れられてきたのではないかと思う。
また、次の世代の人に、どのように自分の考えたこと・行なったことを伝えるかに関しても、考えさせてくれると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年10月25日 | Permalink

与える人になろう。

 多くの人に評価される人は、結局のところ、与える人だ。
 敬意を表され、大事にされる人を見ていると、与える人であり、ビジネスの面で力を得た人も、与えてきた人だ。 
 与えるにあたっては、何らかの見返りを期待することはあるだろうが、まず自分のできる範囲のことで、人に与えることが先だろう。自分が容易にできることならば、与えることは苦にならないだろう。
 与えることが積み重なり、また広がる社会が想定されて良いだろう。
 私個人としては、社会という大きなものを先に考えるべきではなく、自分とのかかわりの中で身近なところから考えていけば良いと考えている。弁護士であれ、同じことだと思う。個人が与える人となることで、社会は違った見え方をするだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年02月06日 | Permalink

「文人の愛した温泉」

 上記のような特集や本を目にする。「なぜ文人は温泉に惹かれるのか」というような論考もある。
 しかし、温泉は、文人にだけ愛されたものではなく、多くの人に愛されている。
 文人が、多くの人と異なるのは、小説などで取り上げ、記録に残した点である。記録に残されたことにより、後の多くの人が、文人の経験や意見を知ることができるため、文人が温泉を愛したとなるにすぎない。
 温泉を愛した人は多いと思われるが、記録に残っていないと、その事実も残らないということである。
 記録の意味を改めて感ずるところである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月28日 | Permalink

自分が持っている本と自分のコメント

 読んだ本は古書店に売却する人が多くなったと思う。本は売りたくないという人でも、収納スペースがなくなれば処分するしかない。また、本人は売らなくとも、遺族は処分してしまうこともある。
 私の方針は次のとおりだ。
1 自分以外の人にも読んでほしい本は区分して残す。
 ただし、最初から最後まで読む必要はない。読んでほしい所に付箋をつけて、できればどこかでコメントしておこうと考えている。そうすることによって少しはガイドになることを望んでいる。全体を読まなければわからない本もあるかもしれないが、そこまで厳格である必要はない。
2 残された本について、私は全て読んでいるものではない。
 残された本は、ある世界を感じさせてくれる本であり、その中を冒険してみたらどうかと考えている。本の内容に賛成しているものではない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年08月05日 | Permalink

息子(娘)にまかせることができるということ

 息子(娘)にまかせることができるということは、幸わせなことである。世間では、そうできないことも多く、それと比べたとき、息子(娘)にまかせることができるということは、なんと幸わせなことかと思う。
 世の中には、息子(娘)にまかせることに抵抗感を示される人も多いが、私は、まかせることができるならば、幸わせを感じ、どしどしまかせていけば良いと思う。
 息子(娘)にまかせると、自分が慣れ親しんできた物を捨てることにもなる。たとえば家の建替などがある。確かに、それはさみしさを伴う面もあるが、人生の先達(せんだつ)としては、どこかで決断すべきことのように思う。それは子孫を思えばできることのように思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年07月14日 | Permalink

自宅

 人間誰しも立派な家(豪邸)に住みたいと思うだろう。
 自分の収入が増え、役職も付いてくると、それに合った「格」が必要となるのかもしれない。また、お金を稼ぐこと(ビジネス)のみに専念し、それを貫いていても、その価値に限界を感じることもあるだろう。
 しかし、自宅は収益を生まないことは確かだと思う。
 豪邸を持つ人が、自分のビジネスがうまくいかなくなり、豪邸を処分しても、そのビジネスを救うことができなかったことは、数多く見てきた。自宅(特に建物)は、大きくすれば大きくしただけ処分価額も比例して大きくなるものではない。世の中には売りやすい大きさがある。
 したがって、自宅の大きさ・形を考えるときは、賢い判断をする必要がある。しかし、人は、一生のうちにそう何回も自宅を作ることはないだろうから、自宅を作るときに本当に考えておくべきことに気がつかないように思われる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年04月19日 | Permalink

自分の取り組んでいることの体系

 私が何に取り組んできたか、今、何に取り組んでいるかは、私の席に座り、パソコンを立ち上げ、机のまわりの状況を見てもらえば、概要がわかるだろう。 これ以外の現場も見てもらわないと理解されないかもしれないが、私の席に座れば、概要を知ることができるだろう。 

パソコンを立ち上げ、?作成した文書をどのように位置づけ、保管しているか、?インターネットで何を継続して見ていたか、を見るならば、自分の取り組みの内容がつかめてくる。

机のまわりの棚を見れば、?どのような書籍が、どのように並べてあるか、?書籍以外に何を保管しているか、がすぐにわかり、関心の広がりがつかめてくる。

パソコン、机のまわりは、基本的に体系がわかるように並べているが、それは自分のためである。しかし、将来、誰かが、自分の跡を見るとき、自分を理解し、関心をもってほしいためでもある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月29日 | Permalink

ロックフェラー家の信託

 ロックフェラー回顧録(デイヴィッド・ロックフェラー 1915年生 新潮社 415頁)によると、次の記載がある。

1 ジョン・D・ロックフェラー(著者の父)は、1952年、著者の子供たちが、将来必要とする資金を準備するために撤回不能信託を設立した。

2 著者の父は、1934年、著者とその兄弟たちのために信託を設立しており、著者とその兄弟たちは、その信託から収入のほとんどを得ている。

3 著者の父は、1952年信託の設立前に、信託をどういう構成にしたいか、著者に尋ねた。

4(1)著者とその妻は、子供たち1人1人に適度な年収(開始時の21歳では5000ドル)を受け取らせ、30歳になるまで毎年金額を増やしていくことにした。

 (2)30歳になったら、各自が信託から得られる収入を全額受け取ることにする。

 (3)21歳に達してからは、受託者の承認を受ければ、各自が信託の元本を最大50パーセントまで引き出せる。 

 (4)著者とその妻は、上記の備えと父の寛大さのおかげで、子供たちが、大人になったら独立した人生を歩み、自分自身で最善の資産配分を決定できるようになると、考えた。


 この記載には、興味深い点がある。 

 孫に適度な年収を受け取らせるにあたり、21歳を開始時にしたこと。 

 孫が30歳になったら、全額受け取ることにしたこと。 

 孫が21歳から29歳までは、50パーセントを引き出せるが、受託者の承認を必要としたこと。

 祖父は孫のための信託設立にあたり、父に相談していること。 

 祖父(父母)は、孫(子)に対して、30歳を超えて、その財産管理をしようとしていないのであり、孫(子)が独立した人生を歩み、資産配分も自分自身で決定できるようになることを望んでいることは興味深い。 また、信託の全体が不明なので、不確定であるが、さほど複雑な組み立てにしていないところも面白い。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年07月21日 | Permalink