C3(1) 現代美術は、ある言語で展開されている世界のようだ。

 現代美術は、現在生きている芸術家が中心となって展開されている世界であり、その評価がある程度確定してる古典(現代美術の前くらいの意味)と異なり、評価は様々である。
 このため、登場してくる現代美術の作家の数は非常に多く、その考え方、評価も多様となっている。これに対して、古典の世界は、もっと多くの作家が存在していたことはまちがいないが、大部分は忘れさられて、紹介されることも少ないため、名前の通った作家の世界となっている。
 したがって、現代美術の世界を見て歩こうとすると、その歴史だけでも、様々なアート・○○イズム(考え方)が展開され、ある言語(英語圏とか日本語圏とか)の世界に放り込まれたような印象を受ける。
 現代美術の作品も、作品をそのまま楽しめば良いという考え方もあるのだろうが、現代美術の作品が理解しにくいと感じるのは、それがある言語の世界だからではないかと思われる。
 このように考えると、現代美術を理解し、楽しむためには、語学の習得に近いところがあると思う。言葉を覚え、ボキャブラリーを増やし、ある程度の文法に基づいて組み立て、実際に声に出して使い、文章を書き、相手方の様子を見る、コミュニケーションを行う、というような手順を踏むことになるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C2(14) クラシック音楽

 「クラシックの名曲・名盤」(宇野功芳著)の中で、交響曲ベスト・ナインが紹介されている(77頁)。
1 モーツァルト「ジュピター」
2 モーツァルト「第40番」
3 ベートーヴェン「エロイカ」
4 ベートーヴェン「第9」
5 ブルックナー「第8」
6 ブルックナー「第9」
7 マーラー「大地の歌」
8 ベートーヴェン「田園」
9 モーツァルト「プラハ」
 野球の打順にならっているので、野球チームの打順についての理解がないと十分な理解はできないかもしれないが、ある程度、「なるほどね!」と思う。(私は、小学生時代はプロ野球が好きであったので、その頃の理解である程度のイメージをもつことができるが、現在は、サッカーの方がおもしろいと思っているので、物事を例えるときはサッカーを用いている。しかし、順に1つずつ並べようとするときは、野球でないと説明がむつかしい。)
 それでは、アートについても、ベスト・ナインを組むとすればどうなるか。人それぞれにベスト・ナインを組むことはできるとは思うが、クラシック音楽のように、ある程度「なるほどね!」とはいかない。
 これは、クラシック音楽が、時間の経過の中で順に演奏されるものであるため、多くの人にとっても共通したイメージができ上がるのに対し、アートは、一瞬で見ることができる反面、能動性を求められるため、共通したイメージができにくいからだと思われる。
 このような制約はあるものの、アートについてもベスト・ナインを構成してみるのも、1つの試みとしておもしろいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C2(8) 抽象画の宿命

 写真のなかった時代の絵を見るとき、当時の習俗を知る参考資料としての意味合いがある。作家の創造性を見るよりも、参考資料として見るという面が強いと思われる。これは、作家の意図するところとは違うかもしれないが、作家は、見る人にわかってもらうために、現実にある物を材料として絵を描いていることから、可能となる。
 写真のなかった時代に抽象画があったのかどうか、私は詳しくない。しかし、美術館や画集で見る限り、大部分は具象画なのではないか。(もちろん具象画でも、部分的に抽象化されたところは多数あると思うが、それが何かは、ある程度わかるものだと思う。)抽象画では、参考資料として利用することはむつかしいのではないかと思われる。
 抽象画も、作家は無目的に描いているものではないだろうから、1つの言語の世界が展開されていると言っても良いだろう。そして、その言語は、未知の世界のものだろう。
 こうして考えてくると、抽象画は宿命的に難解さがあり、大きなハンデがあることを感じざるをえない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C2(6) 美術作品への愛着は、その作品のみにあるのだろうか?

 愛着があるという場合、その作品を入手したり、作品そのものを入手しなくとも、その絵葉書を購入したりするだろう。
 美術作品を購入すると、気がつくことがいくつかある。
 その中で大きな点としては、その作品を通してその作家を理解しようと大いに遊ぶ(努力する)ことである。
 美術作品を購入するのは、その作品に何かを感じてであろうが、その作品のみで判断するものでもないだろう。
 また、何かの縁で入手してから、その作家について調べてみるということはあるだろう。そこから愛着が生まれ、深まるということはある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C2(5) 美術作品の理解の前に、その作家を理解することがあって良いと思う。

 美術作品は、数も多く、変化に富んでいて(富みすぎていて)、作品の分析は確たる答えがなく、作品のみから入ることは困難を伴うと思われる。
 逆に、作家から見ると、作家も同じ人間であって、理解のきっかけがつかめると思われる。もちろん、作家の伝記とか発言とかを先に読んで判断するものではなく、それも利用していこうという考え方である。また、作品も当然に見るのであるが、それを制作した作家にまず着目しようとする考え方である。
 そんなことはあたり前と言われる方があるかもしれないが、これまでの美術の提供の仕方は、必ずしもそうなっていないと思う。展覧会は、まず作品を並べ、その作品の解説が添えられる。そのような中で、作家の姿やそのアトリエの写真があることにより、少しは作家を意識できると違ってくるのである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C2(4) 資料を徹底して集めて検討すること

 インターネットで検索すれば、何事も調査のきっかけをつかむことができる。また、書籍も、中古本も含めて購入しやすい。
 現地に出向くにしても、地図を容易に入手できるし、交通機関も時刻表を含めて容易に調査できるため、計画を立てやすい。
 したがって、データ、資料を入手することに関しては、昔の賢人に比べても、劣ることはないものと思われる。問題は、データ、資料から何に気がつくかということだろう。この点は、才能、能力による差がつくところであろうが、少なくともデータ、資料を集めることにおいて劣ってはならないと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink