歴史は記述できない。

歴史は、1人の人間が作っているものではなく、多人数のグループの動きが主である。
個人の名前で記述されているものも、本当は、親族、家来も含めた行動である。
黒澤明監督の「羅生門」では、話す人の立場から事実が異なってくることが描かれている。
ある一定期間の人間関係について、いろいろな人の話を聞くと、事実の全てを把握している人はいなく、それぞれが1部のみを知るだけだ。
これが人間が体験する歴史と言うものだと思う。すべての事実関係を把握して生きる事は、ほとんどできない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年01月21日 | Permalink

ボイス・パレルモ展

大阪の国立国際美術館で、ボイス・パレルモの展覧会を見た。
ボイスは、重要な作家かもしれないが、やはりよくわからない作家だと思う。
よくわからないから、避けるということはしないつもりで、わからないなりに受け止めておこうと考えている。
ボイスが、大学で教えていて、その教え子の1人がパレルモだということは知らなかった。ボイスが教師であったということは、全く意外だ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年01月14日 | Permalink

メトロポリタン美術館展

大阪市立美術館で、メトロポリタン美術館展を見た。
ビッグネームの作家の作品を多く見る機会であった。それはそれですごいことではあるが、現代の感覚とは違う面も多いと思う。
同じく大阪のルイヴィトンの展示会で、ゲルハルト・リヒターの作品を見たが、奥行き感を喪失させる作品もあり、面白いと思ったが、理解しようとすると難しい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年01月14日 | Permalink

子孫に事業家精神はあるか?

自分自身が事業家であると、自分がなぜ事業家となったかわからないことが多い。
子孫が自分と同じように事業家となるとは限らず、むしろそのきっかけがないことが多いだろう。
したがって、育成計画を意図する必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2022年01月05日 | Permalink

世の中には、人のことをとやかく言うおせっかいな文章、発言が多い。

まず自分のことを、とことん考えるべき。
今までは、自分のことを考えなさすぎた。
報道は、基本的に他人のこと。
もちろん、他人のことが自分に影響するかは考える必要がある。
しかし、あまり関係ないと言える。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年12月20日 | Permalink

会報誌

いろいろな会社や組織では、会報誌を定期的に配布している。
しかし、紙ベースで配布される資料は、簡単に検索できない。
また、印刷や配送のコストがかかる。
こうした資料についても、これからの時代に合った形に見直していく必要があるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年12月13日 | Permalink

作成日時の記録

スマホやパソコンで利用できるソフト・アプリを使って文章を作成しているときに、1番感じるところは、作成日時が記録されるということである。
それは自分にとっての歴史であり、将来的には1族の歴史となっていくものだろう。
この歴史を考えたとき、作成日時の記録は重いものだと思う。
しかし、多くの人は、その重みに気がついていないと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年12月06日 | Permalink

人は皆、あまりに社会的になりすぎている。

人は皆、あまりに社会的になりすぎている。
社会を理解することは、知的な面がある。このため社会的に考えることが良いとされる面がある。
しかし、自由と権利の枠組みをきっちりとすれば、政治なんかどうなっても構わない。人のことなんか構わない。
格差社会になろうが、自分はその中で登っていくだけだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2021年11月30日 | Permalink