資産観の変化

収益を生むものは、資産として認識され続けるだろう。逆のものは、資産からはずれていくだろう。

資産からはずれたものの例として、水路が、あげられている(「最後に残る智恵」ダニエル・ベルp.225)

名古屋でも、堀川沿いに昔の名家(力のあった家)は存在した。物の運搬のみならず、人の往来から情報の道でもあった。
しかし、現在では、堀川がそばにあることはマイナス要因ともなりうる。

かつて、3C(カラーテレビ、クーラー、カー)が憧れのものであった(相当古いかも)。

また、かつては、破産の際、財産目録を作成し、執行官が評価した。
しかし、現在、古い電気製品など財産評価をしなくなった。誰も資産と評価しなくなった。

居住用家屋も、資産からはずれるものとして、考えられる時代も来るのではないだろうか。
家賃をセーブできるという意味はあるけれども。

アメリカ人が、自慢顔にベッドルームがいくつで…と話をしている場面を見ることがある。
しかし、ほこりをかぶっているだけではないだろうか。
「立って半畳、寝て一畳」という言葉を思い浮かべるのは、貧乏人だからだろうか?

資産は、テクノロジーの変化が影響する。
技術革命により、資源革命が起き、一次産品の資産価値は落ちたとされる(「最後に残る智恵」ダニエル・ベルp.68)。現在は、また違った状況になっているかもしれないが。
              
金の資産価値については、私は、よく理解できない。
金には工業上の使い途を除き、何かを記念するような意味しかないと思うが、魅了される人があるということだろうか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月08日 | Permalink

なぜ私は小学校・中学校時代がおもしろかったのだろうか。

 私は、小学校1年生のときは、ともかく恥しがり屋で、手をあげて発言することができなかった。運動が苦手で、飛び箱で失敗して保健室に連れていかれたことをよく覚えているので、何か得意であるというのでもなかった。
 しかし、なぜだかわからないが、小学校2年生くらいから劇的に変わっていった。
 理由は長くわからなかったが、母が亡くなる1、2年前、私の小学校時代から、先生とのやりとりは気をつかったというような話をしていた。今でいうコミュニケーションなのだろうか。
 確かにふり返ると、先生は、私のことをよく見ていたと感じるし、「目を懸けてくれた」のかもしれない(どの先生も、えこひいきはなかったと思うけれども)。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月04日 | Permalink

職業の選択

 何が有利かではなく、自分の好きなことを選択するという生き方も、わかる。
 しかし、年を重ね、世の中の多くを、以前よりはわかるようになった自分と、昔の自分とでは大きな差があるだろう。職業は、自分の能力が不十分なうちに決めなければ、時期的に遅い場合もあり、その選択は、いつの世でも悩ましい問題だろう。
 そのようなところから、親の職業を代々継ぐのが良いという考え方も生まれてくる。
 逆に、自分の選んだ仕事がだめだと思えば、どんどん変えてゆけば良いという考え方も出てくる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月02日 | Permalink

学校の教育

 私は、岐阜大学教育学部付属小学校・中学校で育った。入学者は、くじ引きで決まったから、成績で選ばれてのものではない。教育のための実験校であり、どの先生も熱心であり、学校が楽しく、自分にとって本当に幸運だったと考えている。

 理科では、教科書に従って進むというやり方ではなく、「100ccの水と100ccのアルコールを混ぜると体積はどうなるか」というような問題が示され、生徒同士、自分の考えを説明しながら、議論して進むというやり方で、ほぼ1年間通したこともあった。
 近時、ゆとり教育の一環として試みられた総合学習に近いのかもしれないが、岐阜大学教育学部付属小学校・中学校の教育は超ユニークで、ともかくおもしろかった。それぞれの生徒が自分のもっている知識、経験を総動員して、相手が納得できる説明を行なうのである。
 幼年期は、無理強いしてでも、記憶を重視し、反復継続させることが大事であるという考え方もあるようであり、私もそれを否定するものではないが、私の受けたような教育がなぜできないのか不思議でならない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月01日 | Permalink

ご先祖様の残してくれた財産は、どのように大事にするべきか。

ご先祖様は何を価値ある財産と見たのかをよく確かめるべきだろう。

単に金銭価値があるものではなく、ご先祖様の苦労が偲ばれ、勇気づけてくれるものこそ、家宝と言っていい。それは単なる紙切れであることもあるが、歴史的価値は計りしれない。
たとえば、徳川家康は、武田信玄との三方ヶ原の合戦の中で、命からがら逃げ帰った際の疲労困憊した姿を描いた絵を子孫代代見せたという。
本来ならば、あまり見せたくない姿のように思われるが、全く別の考え方をとっていて興味深い。

何を財産として残してくれたかという問題は、自分自身がご先祖様になるとき、どうするかを考える機会になるだろう。

日常生活は忙しく、そこまで考えられないという思いの方も多いかもしれないが、今一歩踏み込んでみることで少しずつ変わってくると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月30日 | Permalink

親子の豚さんの木彫り

以前、上海の国立美術工芸館で購入したことがある。

ガラスケースに、1つだけ置かれていた。売値は、付いていなかった。
ガイドさんを通じて、女性店員に、買えるものかと聞くと、女性店員は、わからず、責任者らしき男性が出てきた。
その男性は、開口一番、「これは、高いよ!」と言う。
いくらだとガイドさんを通じて尋ねると、「8万円」とのこと。瞬間、安い!と思うものの、「いくらに値引きしてもらえますか。」と尋ねる。こちらは、仲間を待たせているため、あまり時間がない。
その男性は、「ここは、国立の機関で、そんなに値引きはできない。でも、ラッキー7で、7万円!」とのこと。
即座に、購入を決定した。この交渉が良かったかどうかはわからない。

沈香木でできていると聞いた。たしかに独特な香りがある。

親豚は、自分の腰のあたりに子豚を乗せて、持ち上げている。親豚の顔よりも高い位置に、子豚の顔はある。
子豚は、自分の腰を持ち上げることに、まだ気がついていないが、いずれ気がつく。

親子は、共に、にこやか。

この姿こそ、代々続いてほしい気がした。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月27日 | Permalink

資産とは何か。

弁護士が経済や歴史の話をしても、どこまで信用してもらえるだろうとの思いはある。
しかし、弁護士は、現場、臨床から得られる経験(観察やインタビュー)が資産となっていると考えており、その観点からお話したい。

資産について考察することの意味があると考えている。
意外に、世の中では、資産に対する見方すら確定しておらず、その結果失敗することが多い。

資産とは、「外界へ対応する力」だと思われる。
資産は、当面の形として、生存を支えるものとして存在する。
       
一番の資産は、その人の中にある「考え方」である。
いかなる災害、悲運に遭遇し、損害を受けようとも「考え方」が大丈夫であるならば嘆く必要はない。

松下幸之助の話を読んだり、戦後立ち上がった経営者と話をしたときに気がついたことは、敗戦時にこれからの社会をどうとらえたかが全てを決定しているということである。
 
「考え方」以外の従来、資産と呼ばれてきたもの(たとえば、金銭、不動産、株式、自動車、家財道具)は、「考え方」の表現方法ではあるものの、それだけでその人を豊かにするものではない。

物があふれる今日の時代になると、家財道具は、その転売価額がほとんどないことに気づく。すると家財道具をもっていても資産とは感じなくなる。
それは単に自分の生活を構成する1つの道具にすぎない。
このことは家財道具だけでなく、「考え方」以外の全ての資産に該当することである。
 
今まで資産だと考えていたものが、実は道具にすぎないということ、そして、問題はその道具でもって何をするかということ、こういった感覚をもつことが次のレベルへのステップとして必要である。

腕力(原始時代)、奴隷(国家形成期)、土地(農耕期)、資本(産業革命以後)と財産は変遷してきたが、根底には、「考え方」というソフトがあった。これからは、「考え方」というソフトが、より前面に出てくる時代である。

個の自立は、この「考え方」を持つことだと考える。

先人の書物という大海を自分の力で泳ぎ、吸収し、考え、まとめ、発表する。その仕方も個性的で自由である。そこに、個の自立が、具体的に現われる。



投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月25日 | Permalink

承継

 承継は、スリーサークル・モデルの中では、「オーナーシップ」をどのように配分するべきかという問題である。
 この配分にあたっては、「ファミリー」の観点からは、公平であることが求められるのが一般である。公平という言葉は、評価という面が強いため数量的な同一を必ずしも意味しないが、数量的な同一を端的に示すものとして平等という言葉を使うならば、平等を求める考え方が一般的に強い。
 しかし、「経営」の観点からは、有能さが求められると言ってよい。
 「ファミリー」と「経営」とをいかに調整するかは大きな問題である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月25日 | Permalink

紛争管理システム

 紛争を未然に防止したり、紛争を解決するためには、コミュニケーションの役割が重要である。
 このため、コミュニケーションの能力を高めることは、常に考えなければならず、実行される必要がある。
 しかしながら、個々人の能力に期待するというだけでは、永続性が保証されない。
 したがって、システム(仕組み)として考えなければならない。この際、「紛争を解決するよりも、紛争を管理する方法を考える」というやり方が重要である。

紛争が生じると、解決しなければならないし、根本的な解決を目指すことが必要であるが、いつでも、すぐに、それができるものではないと思われる。紛争を「おもりする」という感覚が必要だと考える。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月24日 | Permalink

偉大な人は、突然生まれるものではない。

偉大な人というと、大げさな感じがするかもしれない。それぞれの立場でとらえていただければよい。

偉大な人が生まれるにあたっては、そのファミリーに多くの蓄積があったからである。

いろいろな蓄積(土壌)の上に、偉大な人(花)が登場することを理解するべきである。
いろいろな蓄積とは、経済的なものだけでなく、人脈、価値観、育ちなど、ファミリーの全てが含まれる。

しかし、ファミリーの内輪まで見ることは、通常、難しいし、紹介されることも少ない。したがって、偉大な人が生まれた背景について、その全体を理解することは、至難のわざだと思う。

注意深く検証し、洞察力を働かせるしかない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年06月23日 | Permalink