知らない地域を旅する感覚

ある地域をある程度調べて旅しても、意外なことは出てくる。
旅したところで何か資料や物品を買うと、そこからまた意外なことが出てくる。

あいちトリエンナーレで多くの映像プログラムを見たが、分からない映像の方が多く、理解したという感覚は得られなかった。しかし、知らない地域を旅しているのだと考えれば、すべてを理解できないのは当然のことであり、気にすることではないと思う。

あいちトリエンナーレのパフォーミング・アーツでも、同じことは感ずる。

視覚だけでなく、聴覚などそれ以外の分野でも、知らない地域を旅する感覚は必要だろう。

文章だとそれが理解できて当然(理解できないのは、文章が悪い)と考えてきたが、ここでも知らない地域を旅する感覚は必要だろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2016年11月11日 | Permalink

アメリカン・ポップ・アート展(国立新美術館)

 ジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のコレクッションを見てきた。1960年代以降の作品とのこと。
 多くのアメリカの巨匠の作品を通覧できたが、素人のぱっと見の感想としては、アンディ・ウォーホルが、色彩として、引かれた。
 ウォーホルは、芸術家は、HERO(ヒーロー)ではなく、ZERO(ゼロ)だと言っており、芸術家の主観性を否定し、何でも写し込む、鏡のような芸術を肯定しているのだろうと、とらえている。
 これまで作品を、具象と抽象の軸において、比べていたが、HERO(ヒーロー)かZERO(ゼロ)かという軸もありうると考えを改めている。
 ウォーホルは、カタログ・レゾネの印刷で見るよりも、実際の作品の方が、はるかに美しいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年10月02日 | Permalink

白隠

 白隠の画業は、まったくの独学であり、研究者が「若描き」と呼ぶものが60歳代の作であり、画業のピークが80歳を超えてからであり、現存作品が1万点を超すのではないかと推測されるとのことである。しかるに、美術史としては、取り上げられてこなかったという。
 白隠展を見て、白隠の生涯を考えると、感銘を受けた。1つだけの作品でも分かるのかもしれないが、通しで見ることは必要だと感じた。
 また、絵とともにある「賛」(文字による記述)は、理解を助け、また、考えさせる。絵画作品が主だという考え方もあるだろうが、総合して理解すれば良いと思う。
 美術作品は、それぞれが独立したものであり、1つだけの作品でも判断できるという考え方があるだろうが、私は、作家の人となりを観ることへと向かうことになる。(このあたりは、専門的な議論があるところだろうと思うが、詳しくはない。)
 白隠が、美術史としては、取り上げられてこなかったのは、作家の人となりに対して眼が向かわなかったからだろう。しかし、白隠は、宗教家としては、その人となりに対して大きな共感があるようなので、大きな評価を受け、親しみも込められているようだ。美術を、美術としてだけ切り取ることには、注意を要すると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年01月28日 | Permalink

美術品は、いつまで価値があるか。

 壊れたり、傷ついたりすれば、それだけ価値が下がるのだろう。保存状態は、査定の対象となるようだ。
 このような問題は除外して、美術品は、いつまでも価値が変らないものだろうか。価値を、売却できる金額とするならば、市場の評価で常に変ることになる。金額ではないのだと考えるのであれば、その人の考える価値で良いのだろう。この2つの立場は、いつもせめぎあうことになるのではないかと思う。
 しかし、保管スペースの問題があるから、すべての美術品が完全に残ることは難しいだろう。新しい美術家は、次から次へと登場するから、作品も増え続ける。美術館の数は、限界があると考えるので、どこかで作品は埋もれていくことになる。
 このように考えると、美術品の価値についても限界があると考えざるを得ないだろう。多くの人の目に触れることにより、その人の作品と直ちに認知されるくらいになれば、作品は残る。美術家は、そこを考えざるを得ないだろう。きわめて厳しい道というしかない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年12月21日 | Permalink

コレクションを売却するとき

 コレクターは、どのような場合、所有している作品を売却するのだろうか。
 お金が必要になり、換価する場合が一番多いのだろう。それ以外には、どのような場合だろうか。
 コレクションのためには、それなりの保管スペースが必要である。そのための費用もかかる。したがって、保管スペースの確保が、経済的に合わない場合、売却することになるだろう。
 コレクションを、投資と割り切るならば、株式と同じく、安く買えて、高くなったならば、売却することになるだろう。
 自分のコレクションの組み立て方ができてきて、それから外れるものは、売却することになるだろう。好みの変化も、ここに含めてよいだろう。

 そもそも美術作品は、買ったり売ったりして、楽しめばよいだけかもしれない。ポートフォリオの感覚は、必要だと思う。そうしないと、美術館を作ることになってしまうか、美術館に寄贈することになるのではないか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年12月06日 | Permalink

ジェニファー・バートレットと森山大道

 ジェニファー・バートレットのIn the Garden♯190を見てから、森山大道のstray dog,Misawaを見ると、黒色が作る構造に思い至る。
 ともに具象作品なのだが、黒色の構造に眼がいくと、抽象化が始まる。
 抽象作品は、作家がどのように、その作品に至ったのか不明であることが多く、自分自身の一方的な考えで見方を展開していくしかない。自分自身の一方的なものだけに、正解を求めると、自信が持てず、抽象作品を敬遠することにもなってしまう。
 これに対して、具象作品の中に抽象を見つけると、まだあやふや感が少なく感ずる。
 しかし、抽象作品でも具象作品でも、抽象の世界に至る道筋はあるのだと思う。スタートが抽象作品か具象作品かで違える必要はないのだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年11月12日 | Permalink

奈良美智

奈良は、自分に素直に、自分を記録し続けた作家である。
しかし、その過程では、それをゆがめる作用を持つ出来事も次々と発生した。

奈良が描く子供たちは、奈良自身の自画像だった(美術手帖2012/09 26頁)。
したがって、奈良の作品は、そのときどきの自分の記録といって良い。

自分も作品を通じてファンとはパーソナルな関係でつながっていると見ていたのに、メジャーになるとその関係は崩れて、自分対個人だったのが自分対多数に変ってしまう(30頁)。

01年の頃に、作品のテーマとしていた子ども時代の感性というのが、集団作業によるコラボレーションを経て、作品の質が次第に変化していった(薄れていった)(31頁)。
コラボレーションは、メジャーになることと同義とも思える。

2012横浜美術館での「君や僕にちょっと似ている」展は、題材は全て女の子であった。(横浜美術館の別の会場には、奈良の以前の作品もいくつかあり、また、2012年の男の子を題材とした作品もあった。)
観ている人たちは、「かわいい」と口に出している人もいたし、そう思っているのだろう。小学生くらいの子どもたちが、クラス単位で観ていた。

奈良の作品は、女の子を題材としたものに収斂していくようにすら感じる。これは、多数の人に分かり易いし(本当にわかってもらえるかどうかは別にして)、観てもらいやすいからだろう。少なくとも展示する側の人は、そう判断していると思われる。
奈良の思いは別として、多くの人から観てもらえるということは、美術の世界では重要なことであり、作家と観る人との思いのずれがあっても、どこかつながる線があり、その線が太くなって、一致に近づけば、良いことだろう。

奈良自身は、図録の巻頭言でこう述べている。
「もはや好むと好まざるとにかかわらず、自分が作るものは、僕自身の自画像ではなく、鑑賞者本人や誰かの子どもや友達だと感じるオーディエンスのものであり、欲を言えば美術の歴史の中に残っていくものになっていくと思っている。(中略)
そういう意味も込めて、もはや自画像ではなく「自分にちょっと似ている」自立したもの、かといって100パーセント、オーディエンスに委ねられるものでもない。僕の絵を見て「これは私だ!」と自己投影する話はよく聞く。それはヴィジュアル的な表面にではなく、内面で重なり合うレイヤーを感じての自己投影。僕は、そういう時は、もうそれでいいと思うようになった。でも、、やはり自分が作り出したという親心は残っている。それで「僕にちょっと似ている」であり「君にちょっと似ている」となったわけなのだ。そして、それらはあくまで「僕や君にちょっと似ている」のであって、作品自体は僕やオーディエンスのように、ひとつひとつが自我を持つ「作品という名の本人」であるのだ。」
奈良のとまどい、反発、あきらめ、確信などなどが混ざった気持ちが感じられる。

しかし、作家がいろいろな意味で成功するということは、こういうことなのだろうとも思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月06日 | Permalink

館長庵野秀明 特撮博物館

 東京都現代美術館で見てきた。
 特撮のために作られたミニチュアが、現代美術なのかどうかという問題設定は、意味があるとは思われないので、ここでは触れない。これだけミニチュアが集まり、具体的な特撮の方法が示されると、日本の技ということは実感できる。こうした日本の技が、コンピュータ時代に、どこまで続くのかという問題があることも理解できた。
 しかし、なんと言っても感ずるのは、常設展示に比べて、随分混んでいたことだ。普段接する現代美術と何が違うのだろうか?
 「縮み志向の日本人」でも指摘されていたように、日本人が好む細やかなものだからだろうか。日本美術の特色のひとつである奇想が日本人は好きであり、それが示されているからだろうか。現実世界を離れて没入することができる独自の世界に、世俗的な楽しみを見つけられるからだろうか。単に分かり易いからだろうか。こうした点を分析するだけの知見が、私にあるものではないので、仮説までまとめることができない。
 人気に大きな差があったことを、ここでは受けとめたい。アーティストもこの点は考えるべきだと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年07月30日 | Permalink

夢窓疎石

 苔寺(西芳寺)の庭園は、禅僧の夢窓疎石(鎌倉末-南北朝時代)が、作ったものである。
 西芳寺は、西方浄土から名をとった「西方寺」と、穢れた場を意味する「穢土寺」を統合して、夢窓疎石が再興したものである。「西方寺」があった平坦な土地に、池泉回遊式庭園を、「穢土寺」があった洪隠山(こういんざん)の斜面に、枯山水式庭園を作り、2つを結んで1つの庭園とした。
 ただし、池泉回遊式庭園が苔の庭になったのは、江戸時代末期とされている。
 
 夢窓疎石が意図したのは、天国と地獄だといわれる。浄土と穢土をつなぎ、往来することで、庭と向き合う者に、死生観を考えさせようとしたとされる。

 私は、こうした知識を持って、庭園をじっくり回ってみたが、上段が枯山水式であり、下段が池泉回遊式であるため、位置関係の点で、通常の天国と地獄のイメージとは合わないかもしれないと思った。
 しかし、夢窓疎石の作庭は、当時の「現代美術」だと感じた。
 もともと2つの寺があったところに、それを統合する作庭をして、過去を組み直し、そうすることによって今をとらえ直し、その結果、未来を考えさせるものだと思う。枯山水式庭園では、古墳の墓石を用いたということなので、夢窓疎石の意図をますます感じるだろう。通常の天国と地獄のイメージとは合わないことすら、夢窓疎石の意図かもしれない。

 現代美術は、日本で根付くのかという議論があるだろうが、すでに日本の庭園には、現代美術の思想があると思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年06月13日 | Permalink

ジェニファー・バートレット

In the Garden♯190(2枚の同じ構図がセットされているもの)を見ていたとき、箱型に区切られた物が、塀か何かだと思っていた。
ところが、In the Gardenの画集を見てみると、それはプールだった。
このようなことは、作品を見る場合、よくあることだろう。誤解・逸脱といったことが生じるのである。
しかし、このことが悪いとは思わない。誤解・逸脱であっても、そこから展開が生じる。それによって、新しい世界が始まるだろう。

ジェニファー・バートレットを初めて知ったのは、直島で、「黄色と黒のボート」を見たときである。
この作品は、波寄せ際を、角度、時間(季節)をずらして描いたものに、立体の黄色と黒のボートが置かれ、振り返って、窓の外には実際の波寄せ際があり、そこにも黄色と黒のボートが置かれたものである。
1枚の絵に、見る角度を違えて同じもの・場所を同居させる手法は、セザンヌやキュビスムにあるが、立体も加えて、見る人にも振り返ってもらって、表現するのは、新鮮だった。

In the Garden♯190も、時間をずらした2枚がセットされており、同じような手法が見られる。このような何枚かのものを、同時に1つのものとして認識することに努めると、4次元の存在を感ずることができる。
In the Gardenの画集にある全ての作品を、同時に1つのものとして認識することは、1つの場所であっても、非常な広がり・一体性を感ずることになる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年05月18日 | Permalink