37 その他

ジョルジョ・モランディ(1890ー1964)は、16歳のとき、父の経営する会社で働き始めるが、絵画への関心が高まり、17歳のときボローニャの美術アカデミーに入学した(「ジョルジュ」236頁)。

草間彌生(1929ー  )は、格式高い旧家に生まれた。 広大な土地で種苗業及び採種場を営んでいた。
 祖父は、事業に政治にと活発な野心家であり、その娘が母、父はその家の婿養子であった。資産家であった家は、地元の画家のパトロンになったりもして、美術には一定の理解がある家庭ではあったが、草間自身が画家になることとは、まったく別の話であったと言う(「無限の網」55頁)。
 母は、草間が絵を描くことにものすごく反対した。
 父は、草間が絵ばかり描いていても少しも怒らなかった。
 最初に絵の道具を買ったのも父であった(同64頁)。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

終わりに

 書物は、それを読み、自分が変わるものであるべきだと考えている。書物を読むことが目的ではなく、自分にとってどうなのかが大事だと思う。したがって、この書物めいた文章も、読む人にヒントを提供するものとしたい。その内容は、石ころがごろごろ置かれたような形となっているが、石ころを1つずつ手に取り、自分で使ってみて欲しいと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C9 この世の楽しみ

 「飲む。打つ、買う」は、男の道楽の代表的なものを並べたものだろう。
 しかし、現代では、これを好まない男性も出てきていると聞く。人それぞれにこの世の楽しみはあると思う。
 私は、酒を飲むことがほとんどできないので、「人生の楽しみの3分の1を失っている」と言うこともあるが、まあ、他に楽しみがあれば良い。
 大事な点は、「この世」の楽しみであり、「あの世」の楽しみではない点である。「あの世」の楽しみに関心が行くのは、困ったことだと思う。
 多世界観など、「この世」がどのようにできていて、4次元空間がどのようになっているのか、5次元以降はどのような世界なのか、私はわからないが、今を生きることを考えるのが健全だと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C8 異業種交流

 BINという異業種交流に参加したことがある。
 JC(青年会議所)も異業種交流の一種だろう。
 異業種交流に参加することは、自分の世界を広げるためには必要なことだと思うが、期間を限定すべきだろうと思う。
 あくまでも自分のビジネスを社会に対して広く問うべきだろう。自分の人間関係のみで展開するのではなく、社会との接点の持ち方を広くする仕組みを考えるべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C7 ローマ人の物語(塩野七生)

 カエサルが弁護士として社会人のスタートを切ったという点に興味をもち、第4巻から読み始めた。4巻、5巻でおもしろさが決定的となり、第1巻から第3巻に遡って読んだ。以後、皇帝の巻を順次読んだ。
 当時、国民審査を受ける最高裁の複数の裁判官が、ローマ人の物語を印象に残る本として例示していた。無難な選択だと思ったものだが、自分としては、自分が各皇帝になったとして読むとおもしろいと考えていた。
 「人は自分が見たいものしか見えない」という点を理解させてくれた本である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C6 本を読む習慣

 「日曜日は、主婦も休み」とする妻の発言により、日曜日の夜は、家族で外食であった。そして外食が済むと決まって本屋さんへ行った。私自身、本が好きであったし、新しい本を見ることに興味があった。妻も本屋さんは好きだと思う。
 このような我家の習慣の結果、子供たちは、2人共、本を読むことに抵抗はなくなったものと思う。
 私の書斎の影響もあるかもしれないが、大量の本を所持することにも抵抗はないものと思う。
 棚に多くの本を並べることにも違和感はないものと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C5 作品との付き合い

 作品は、1人の人間のようだ。近くにいれば、自然に語り合うことになる。その語り合いは、尽きるということはないだろう。
 作品を購入し、手元に置くことの意味は、そこからいろいろな探究が始まるということだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink

C3 アートと生活

 ハーブ&ドロシーは、自分たちのサラリーで購入することができ、自分たちのアパートに納まる作品を集めた、普通の勤務生活者の夫婦である。
 そのコレクションは、自分たちの審美眼によるものであり、コレクションとしての価値も高く、最終的には美術館に納められたとのことである。
 しかし、映画で見た2人のアパートの様子は、作品を無理に詰め込んだものであり、それはコレクションの数からしてやむをえないものであるにしても、アートと共に生活しているというには無理があるように思えた。
 作家を支援することに結びついたコレクションであることを評価したいと思うが、アートをどのように生活の場に置くかという観点からは、別の道があるように思う。
 私としては、もう少し作品を大事にする意味で、生活できる空間であってほしいと思う。そのためには、コレクターとしてではなく、生活の場を創るという立場で進めたい。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年12月01日 | Permalink