組織の悪弊(ある人から聞いた日本の軍隊)

話の概要
 三八式歩兵銃は、後で知ったが、明治38年に作られた銃であり、アメリカの兵器と比べるまでもなく、それで勝てるはずはない。
 何かミスを見つけられると、三八式歩兵銃を自分の前で掲げるよう言われた。三八式歩兵銃は、結構重く、大変だった。すると、「三八式歩兵銃は、もう許してくれたか?」と聞かれた。「まだであります。」と答えると、そのままか掲げさせられた。しばらくして、また「三八式歩兵銃は、もう許してくれたか?」と聞かれたので、もう力の限界で、「はい、許していただきました。」と答えると、「ばかやろう。銃が言葉をしゃべるか!」と言われ、叩かれた。

 軍隊では、それぞれの隊で保管する品が、きちんとあるかどうかを検査される。もしも欠けていると、その隊は革のベルトでたたかれる。げんこつや平手で叩くことは、叩く者も痛いため、このようにする。
 検査の前など、他の隊の保管品を盗みに入る輩が出てくる。それは自分の隊の保管品をそろえるためでもあるだろうし、他の隊に対する意地悪でもあるのだろう。
 兵の宿舎の真ん中に通路があり、通路の近くが下の兵隊が使い、上官は奥を使っている。侵入されやすいところには、詰めて寝るようにして、侵入を防いでいた。
 ところが、検査になると、保管品はそろっていた。
 後に、上官になったとき、前の上官から、壁の一部をはずすことができ、そこに備品を保管していることを聞かされ、引継ぎを受けた。これで補充をしていたということだ。
 軍隊では、このようなことが行なわれていた。

 日本が敗戦を受け入れてからも、備品の管理をしていたところ、砂糖や食料などがたくさん出てきて、あるところにはあるものだと感じていた。ところが、兵隊の中にはそれを盗み去るものが出てきた。このため、管理が悪いと言うことで、戦争が終わってからも叩かれてしまった。
 これに対して、自分が隊を離れるときは、大正7年製造の乾麺が少し渡されただけだった。

コメント
 日本の軍隊の行動は、滑稽とさえ映る。これでよく戦争ができたものだとさえ思う。
 しかし、組織が大きくなったとき、こうしたことはいくらでも起こりうると考え、対応するべきだと思う。組織を当てにせず、また、期待せず、自ら行なうべき事を行なうという生き方をとるべきだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2013年01月25日 | Permalink