27 エコール・ド・パリ

(1)アメデオ・モディリアーニ(1884ー1920)は、裕福ではなかったが、由緒あるユダヤの家計に生まれた。母方には知識人が多い。

(2)マリー・ローランサン(1883ー1956)は、母がラテン語ができる教養豊かな人で、縫い物をして生計を立てていた。父は後に代議士になったが、父の名前は母の死の直前まで伏せられていた。

(3)マルク・シャガール(1887ー1985)
特になし

(4)モーリス・ユトリロ(1883ー1955)は、父を知らない。母は、もっぱらモンマルトルに住み、ユトリロは、祖母とパリ郊外のモンマニーで孤独に過ごした。

(5)レオナール・フジタ(1886ー1968)は、父が軍医で転任が多く、母を5歳のとき亡くしている。13歳のとき、父の許しを得て画家への道を歩みはじめる。


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26 メキシコ壁画運動

(1)ディエゴ・リベラ(1886ー1957)は、画才にめぐまれ、わずか10歳でメキシコ・シライのサン・カルロス美術学校に入学。

(2)フリーダ・カーロ(1907ー1954)は、初めて国立予科高等学校に女子の入学が許可された年に入学。生涯に2度、大きな事故に遭った。ひとつは交通事故、もうひとつは、ディエゴとの結婚。


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25 シュルレアリスム

(1)マックス・エルンスト(1891ー1976)は、幼いころから学業も課外活動も器用にこなし、大学で哲学と心理学を専攻し、フロイトの精神分析に興味をもち、精神科医を志した。そのとき出会った精神病患者たちの絵が、絵画の約束から自由で、論理的な思考が排除されていることから、エルンストは、様々な技法へと至る思考を促された。

(2)サルバドール・ダリ(1904ー1989)は、金持ちの子であり、最初の学校は貧しい家庭の子が多く、孤立していた。

(3)ジョアン・ミロ(1893ー1983)は、仕事のストレスからひどい鬱病になり、体調まで崩して入院した。しかし、このおかげで両親に無理やりやらされてきた会社勤めから解放され、カタルーニャにある小村モンロッチでの静養ができた。ミロは、美しい村の風景に触れるうちに、画家になる決意を強くした。

(4)ルネ・マグリット(1898ー1967)は、13歳の冬、母が自殺する事件があった。


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24 ダダ

(1)マルセル・デュシャン(1887ー1968)は、長兄が画家、次兄が彫刻家であり、2人の兄を慕ってノルマンディーからパリに出た。

(2)マン・レイ(1890ー1976)は、働きながら絵を描いていた。


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23 新造形主義

ピート・モンドリアン(1872ー1944)は、父が小学校の校長で絵を趣味とし、叔父が画家であった。父は経済的理由でモンドリアンが画家になることを許さず、モンドリアンは、小学校の図画教師の免状をとり、父の学校でデッサンを教えたが、20歳で志を貫き、美術学校に入学した。


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21 青騎士   バウハウス

(1)ワシリー・カンディンスキー(1866ー1944)は、幼い頃から水彩絵具で色そのものを扱うことに喜びを感じており、また、9歳でピアノとチェロを習いはじめ、美術と音楽は、生活の大きな部分であった。大学で法学と経済学を学び、国家試験に合格するが、自分に芸術家になる才能がないと悩んでいた。30歳のころ、印刷工場で働いていたカンディンスキーのもとに、大学講師の誘いが来てから、決心するに至る。

(2)パウル・クレー(1879ー1940)は、7歳で最初にヴァイオリンを手にしたといわれ、ギムナジウム(高校)を卒業するころには、州立オーケストラに籍を置いてヴァイオリンを弾いていた。また、絵においては、幼少時からおのを現実的に正確に描くより、想像力をもって自由に形を生み出すことに興味をもっており、時にグロテスクなものも描いたが、祖母をはじめとする周囲は、それを止めることはなかった。


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20 キュビスム

(1)パブロ・ピカソ(1881ー1973)は、父が美術教師であったが、父がよく描いていた鳩や、好きな闘牛など、描くものすべてが大人顔負けの技量を見せていた。

(2)ジョルジュ・ブラック(1882ー1963)は、父が塗装業者であり、17歳のときバカロレア試験を受けず、まず父のもとで、次に父の友人の装飾画家ロネのところで見習いとなった。20歳のとき、兵役解除になるや、両親の承諾を得て、いわゆる絵画に全面的に没頭した。


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19 フォーヴィスム

(1)アンリ・マティス(1869ー1954)は、父がフランス北部の小さな町で商店を営み、母がそれを手伝う家庭に生まれた。父母は、マティスに堅実な仕事に就いて勤勉に働くことを望み、マティスは、パリの法律学校を出た後、地元の法律事務所に勤めていた。21歳のとき、病気で長く療養中に、母から気晴らしに油絵の道具一式が送られ、それが契機となって、22歳、絵を学ぶため、両親の反対を振り切って再びパリに出た。

(2)ラウル・デュフィ(1877ー1953)は、父が金属工場の会計係を務めながら、聖歌隊を指揮し、オルガンを弾く音楽好きであった。9人兄弟のうち、2人が音楽家に、ラウルと弟のジャンが画家になった。ラウルは、家計を支えるために14歳から輸入業者の事務所で働き、夜は、市立美術学校に通った。


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18 ウィーン分離派

(1)グスタフ・クリムト(1862ー1918)は、貧しい家庭の7人兄弟の長男に生まれ、若くして美術工芸の仕事を始め、家庭を支えた。10代で弟や友人と建物装飾の会社「芸術家カンパニー」を設立し、当時活躍していた画家たちと同じような絵をブルク劇場の天井や美術史美術館の壁に描いて、成功をおさめ、貧しさから抜けることができた。

(2)エゴン・シーレ(1890ー1918)は、鉄道駅長の息子として生まれた。父は、梅毒で精神異常をおこし、シーレが15歳のころに死んだ。


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