「商店街はなぜ滅びるのか」 新雅史

 この本の分析が良いかどうかは、いろいろ議論があるだろう。
 私が一番印象的だったのは、「あとがき」で、執筆動機が、自分の親が酒屋の仕事をしており、その姿を見て、どう考えていたかにあった点である。
 子は、親を良く見ている。親が気がつかない点をよく見ている。子にも世間体があり、葛藤がある。こうしたことは、私にもあったことを、思い起こさせてくれた。

 作者は、
「わたしは、両親の酒屋を疎んじた。いつも家のなかがうるさかったし、一家団欒の食事をまともに取ることもできなかった。(中略)わたしの家がいつも酔っ払いに囲まれていることを許せなかった。」
「我が家が、友だちの家と比べて、古く、汚く、狭かったことに、とても恥ずかしい思いをしていた。」
「当時の状況をふりかえれば、住居だけが問題だった。それ以外の面では何不自由なく育ててもらった。」
「わたしはサラリーマンと主婦の家庭にあこがれていた。」
両親は、酒屋を廃業し、コンビニに転業したが、「還暦をとうに過ぎた現在も、コンビニの店頭とバックヤードをかけずり回って、深夜まで働く姿を見るとせつなくなる。」
と記述する一方、わが身の現状のふがいなさも記述する。
作者は、すでに気がついているだろうが、これらのとらえ方は、人生経験がこれからの人のものだ。

しかし、作者の感覚は、わかる。私の祖父母は、家で小さな金物店を営んでいたし、私は、お手伝いで、近くの酒屋に買い物に行ったこともあったので、多少は、このあたりを実感として理解できる。私も弁護士になり、作者と同じく、家の仕事の後を継いでいない。

親は、子の思いを、どこまでつかむことができるかは、簡単ではない。私もこの年齢になり、自分に対して指摘しておかなければならないことは、この点である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2012年09月07日 | Permalink