13 写実主義

(1)カミーユ・コロー(1796ー1875)は、帽子店を経営する親の計らいで織物商に見習いに出たが、商売には興味がもてず、風景画家を志していた。コローが織物商で働きだして8年目の1822年、ついに両親もあきらめたのか、前年に亡くなった末娘に用意した年金1500フランをコローにまわし、好きにさせることにした。コロー26歳、遅まきながら生活費の心配なしという、幸福な画家としての出発だった。

(2)オノレ・ドーミエ(1808ー1879)は、12歳のときから働かなければならなかった。

(3)ジャン・フランソワ・ミレー(1814ー1875)は、ノルマンディー地方のイギリス海峡に面した辺境の農家に生まれたが、家には本があふれ、ミレーも12歳からラテン語を学び、聖書やローマの田園話を愛読し、大好きな写生に没頭した。父は、跡継ぎ息子にもかかわらず、絵の修行に送り出した。

(4)ギュスターヴ・クールベ(1819ー1877)は、スイス国境近くのフランスの田舎町、オルナンとその近郊に広大な農園をもつ地主の息子として生まれた。近隣の高等学校を卒業すると、父の希望で法律を学ぶためパリに出た。この時代のフランスで富と名声を得る一番の近道を、父は息子に歩ませたかった。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink