理屈を一概に否定するつもりはない。
 しかし、自分の望むところを実現しようとするときに、理屈でそれをしようとしてもできないことがある。
 それは、理屈そのものが一般に受け入れられていない場合もあるし、「理屈はそうかもしれないけれど、このケースには当てはめられない。」という場合もある。
 ところが、理屈を述べる人は、その理屈が正しい(自分が正しい)と考えているため、それが受け入れられないことを不当と考え、憤る。このような進め方は、正解を求める生き方と言っても良いだろう。
 これに対して、理屈も考え、それを使うこともあるけれども、世間で(自分の望むところを実現したい場所で)受け入れられるためにどうすれば良いかを考え、相手を見ながら修正していく進め方もある。このような進め方は、現実解を求める生き方である。藤原和博さんが、「35歳の教科書」102頁で「納得解」と表現されるのも、これと同じだと思う。


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