人材を資産として活用しようと思えば、「従業員はコスト」と考える発想からの脱却も必要になるという指摘がなされている。
企業の経営でいつも軋轢を生むのが、この点の対立である。

企業の選択は、「優秀な人は、囲い込みたい。そうでない人は、リストラしたい。」
従業員の立場からは、「優秀な人は、企業に自由でいたい。そうでない人は、ぶら下がっていたい。」
そもそも従業員の中で、自らの能力について正しく認識している人は、そう多くはないのではないか。

経営は、常にこの引っ張り合いの中でバランスをとることが求められる。

しかし、このように一般論のみ述べて、検討を終わるのは、無責任かもしれない。

優秀な人間であれば、会社を辞めて、自らが企業家になるように思われるが、優秀であっても自分だけではできないことが分かっていれば、辞めることはできない。
これまでは、資本の蓄積がないと物的設備の面で企業化ができなかったため、従業員に辞められることがなく、救われた企業が多い。
しかし、設備が過剰になり、設備を持たなくとも企業化できる時代になると、資本の蓄積の点で従業員を引き止めることはできない。

従業員の採用の際、何年間かの競業禁止の誓約書を取ることも考えられる。
しかし、そのような誓約書が有効とみなされるのは、3年間くらいである。

結論として、企業が強いのは、企業にブランドができていて、ブランドが富の源泉である場合である。そうでない場合、企業はもろいことを認識する必要がある。

自分を企業家と考えるのであれば、企業と従業員の関係について、再度冷徹に考え直してみるべきであろう。


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