楽しい人生であったと言って死ねたらいいという意見がある。おおよそはそうであろうが、では何が楽しい人生でなのか、今、分かるだろうか。
おいしいものを食べて、楽に暮らすことが人生の目的であると明言している人がいる。
それは、結果として、そうなることがあるだろうが、人生の目的ということはできない。

人生の目的は、どこまでも行っても、社会との関係で考えられるものである。人々の役に立つこと、有用な人材を数多く育てたことなどである。
楽しい人生も、社会との関係の中で考えられるべきである。

近時、この点が曖昧になっているため、個人主義的な幸福が前面に出過ぎている。そのため、経済的な規模で判断し過ぎている。お金があれば、それに比例して幸福になれるという考え方が強い。
しかし、お金だけでは、味わえない境地があることをもっと知らせなければならないと思う。

お金があれば大概のものは手に入るという意見があるが、この点は、もっと正確に教えるべきである。
人間の考える力、理解する力、伝える力など、その人が後天的に獲得した人間の中にある要素こそ大事である。もちろん先天的な要素も大きいであろうが、なぜ獲得できたかが分からなければ、それは真に自分のものとなったとはいえないだろう。

お金があれば幸福になれるという人は、お金があれば、おいしいものを食べて、楽に暮らすことができると考えるかもしれない。
しかし、お金がほとんどない時と比較すればそうかもしれないが、ある程度のお金があると、必ずしもそうでないことは、分かるのではないか。お金で簡単に手に入るものは、飽きも早いのである。お金だけでは、その先に進めないのである。
その先に進むために、人間の考える力、理解する力、伝える力などが必要になるのである。
人間の考える力、理解する力、伝える力などを使い、さらに新しい境地に踏み込むことこそが、楽しい人生であったと言えるために必要である。


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