遺留分制度は、ファミリーの生活保障として、前向きに受けとめる必要がある。
すなわち、資産の半分は、ファミリーの生活保障に充てる。

遺留分にしばられない部分は、資産をもつ人の考え方で決めることができる。
   
資産は何のためにあるか。
客家人は、自分の財産は子供に残すのではなく一族のために残すという考え方をしているという。客家人の間では、「公嘗」と呼ばれる共有財産制度がある。この共有財産は、子弟の教育費に充てられることが多かったという(「客家の鉄則」P.130)。
 
三井家では、財産は共同所有という「身上(しんしょう)一致」の家法を定めたと聞く。
この共同所有のあり方は、民法上の「共有」ではなく、学説で議論されている「総有」や「合有」に近いと思われる。

「総有」とは、数人の1つの物に対する共同所有ではありながら、共同所有者の持分が否定されるか、あるいは不明確なものとして潜在的なものにとどまるとみられ、その結果、共同所有者は、主として物の利用権を有するのみで、持分処分の自由や分割請求の自由は否定されるところの所有形態をいうとされる。
物についての管理権も各共有者が行うのではなく、一部の者に委ねられるのが通常であるとされる。

一族の財産の管理のあり方として、合理的であると考える。

近代になり、民法が「共有」について、持分処分の自由や分割請求の自由を認めたことにより、個人主義が徹底された。このことは、個人の意識を変え、民主主義の考え方の普及となり、社会の活力となったと評価される。
しかし、個人主義・民主主義の理想とする個人のあり方を、全ての個人に期待できない状況も認められる。
ここでも、個人主義・民主主義と集団主義・独裁主義の間で、綱引きがある。

財産の管理を委ねることができる、有能で、志の高い人をいかに見つけ、団結できるかが重要である。


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