組織の課題は簡明であるべきである。

組織は、その得意技で社会に対して貢献するべきである。

もちろん、いつまでもひとつの得意技が通用すると考えてはならないが、あまり多くの得意技が必要であると考えてもいけない。

いろいろな分野を担当しようとしないで、ひとつの分野を決め、繰り返し案件を処理する方法を確立するべきである。

この「繰り返し」ということが、人生では大事である。


経済的不安が有るとき従業員のささいなミスにも怒れてくる。不安がなければ注意するだけで済ませられることでも、不安があると心にこたえるからである。

自分の心をどのようにコントロールするかを考えなければならない。
弁護士が、このようなときにお役に立てればうれしいと思います。


これからの人生で、ある事柄をするかしないか迷うことがある。

ある本を買うかどうか、ある人に会いに行くかどうか、ある人との共同事業に加わるかどうかなどなど。
 
人生は選択の連続である。
 
その選択に迷ったとき、どうするか。

私のルールも参考になるかもしれない。
 
迷ったときは、その事柄が人生を決定するような大きなもの(結婚、就職、新分野への進出など)でないかぎり、「積極的に進め」の選択をする。
積極的に進んで失敗しても後悔はしない。


消極的になり、後から「あのとき進めていたらどうだっただろう」と考えるより、よほどすっきりしている。

失敗を恐れることはなく、失敗しても成功までの距離が見えたならば、それは成功に等しい。


相手方から、どう考えても納得できない、理不尽な要求が出てくることがあります。

紛争状態というのは、通常、合理的な話し合いができない状況になっており、こちらが納得できる話など、ほとんどないのが、あたり前なのです。

理不尽な要求がでてくると、「そっちがそう言うなら、こっちはこう言ってやる。」という話になってきて、協議が必要な問題がどんどん増えていきます。こうしてストレスがどんどん大きくなっていくのです。

こうした場合、相手方の言うことに反応しないという道も考えるべきなのです。「言われたら言い返さないと相手方の言うことが通ってしまう。」と心配になる方もみえます。もちろん、反論しなければならない場合であれば、十分に反論すべきです。
しかし、紛争を長引かせることが目的であれば別ですが、解決に向けて、どのように進めるかを冷静に考え、成果を獲得するべきです。


消費者からクレームがきたときに、どのように対応するべきでしょうか。
たとえば、企業の立場として、「申し訳ありません。」と言うことは、後々、問題を生ずるのでしょうか。

このような相談はよくありますが、これが正解だというものがあると言うよりは、その時々の判断で的確に対応すべきと言うしかないところです。

クレームを受けた担当者の立場としては、「申し訳ありません」、「すみません」という言葉など、何らかのお詫びの言葉を、全く使わずに対応することはできないでしょう。どこに原因があるかはともかくとして、まず柔らかい対応をとるのが良いと思います。
最初の対応の仕方で、話がまとまることは、いくらでもあるでしょう。

しかし、相手方に問題がある場合、いつまでも「申し訳ありません。」を繰り返すことは、かえって解決に至りません。
相手方をよく見て判断する必要があります。

相手方に問題がある場合、その対応を担当する従業員の方のストレスは、相当なものがあります。
早い段階で、対応を弁護士にお任せ下さい。


がんばって今日を築いてきた人は、何事に対しても前向きで、問題が生じても、常に工夫をして解決をしてきている。
 そんな人にとって、「あまり反応しない」という対応は歯がゆく、また、やられっぱなしの印象を受けるかもしれない。
 しかし、そんな人であれば、わかってもらえることと思うが、決着をなかなか見ない紛争は、世の中ごまんとある。
 しかも時期が悪いと、そのような紛争があっちでもこっちでも発生することがある。
 こうしたとき、「あまり反応しない」という対応を考えてみるべきだろう。全て自分で解決しようとせず、いろいろな仕組みを使って決着に持ち込むことがあって良いと思う。
 もちろん、現状についての判断を誤ってはいけないが、自分でがんばろうとして疲れてしまってはいけない。がまん比べになってくると、疲れないようにすることも大事だと思われる。


 企業が海外で仕事をするようになると、その役員・従業員も日本人だけではなくなる。
 「外国人が加わるとこうなる」というように一般化すべきではないだろうし、それはできないだろう。しかし、そのやり方は、相当に違和感があると感ずることがある。それでも、「日本人の感覚では、普通はそんなことしないよね。」と言ってみても、ビジネスとしては、どんどん突き進んでしまうので、そう言っている余裕もない。
 国際化ということは、こういうことだと思うし、日本人の感覚も改められるべき点もあるのかもしれないが、日本人の感覚が日本の法制度には何らかの形で反映されていると考えているので、少なくとも日本では、そこを足場に戦いたいと思う。


 いじめが常態化しているのに放置すれば、企業の責任問題となる。
 しかし、いじめがあるかどうかは、把握が難しい場合がある。いじめられた従業員が、上司や仲間に訴えれば、早めにわかるだろうが、第三者に訴えて、そこから問題にされて、判明することも多い。
 こうした場合、被害者の求めは、金銭賠償だけでなく、いじめた従業員に対する処分や社長の謝罪などまで広がることもある。

 現代は、他人にきびしい社会になっており、被害を受けた人の求めは、エスカレートする傾向にある。しかし、気の毒な面があることは確かだが、無制限に求めが認められるものではない。被害者に認められる範囲はどこまでかを念頭に置いて、そこに話を落ち着けていく必要がある。
 こうした場合、弁護士が代理人として間に立つことは意味が出てくる。弁護士は、被害者に認められる範囲はどこまでかを説明するが、そのタイミングが重要であることは、経験的に実感として学んでいる。これを活かしてもらいたいと考えている。


 たとえば、資金繰りが大変だという場合、数字を大づかみして、その変化を見ることは、有効だと思う。大づかみの仕方は、人それぞれだと思うが、支出については、たとえば、最終的な分類として、次の数値へとまとめる。
(1)事業のための人件費
(2)事業のための人件費以外の経費
(3)税・社会保険料
(4)消費(生活費)
(5)投資(不動産取得のローンがあれば、元金返済額。金利は、(2))

 この変化を見るだけでも、自分が今苦しいのは、ここにあると理解できる。(5)投資が、大きすぎるという場合もある。ここが正確につかめれば、気持ちが楽になると思う。気持ちが楽になると、対策を考えることもできるようになる。借入金の返済が、急ピッチであるならば、がんばり続けるのか、すこし緩和してもらうのか考える必要がある。
 逆に、(5)投資にあたるものが、全くないとすれば、危機感を持つべきだと思う。何かを削減する必要がある。そもそも収益性が低いのかも見当が付く。


 自分を信用して付いてきた人は大切にしたい。人に迷惑をかけたくない。
 こうした心情は大事なことだと思う。経営者は、こうした心情に反しないように、普段から、先を考えて行動するべきなのだと思う。
 しかし、ぎりぎりの場面は、誰にでも起こりうる。自分の希望をすべて叶えることはできないという場面はいくらでもある。
 こうした場合、どうすれば良いのだろうか。危機時の前に考えておくべきだろう。
 弁護士として経験してきたことからは、次のように考えることにしている。
 先ず、法的に対応するならばどうなるかを明確にする。これを原則の対応とする。「法的には、こうなる。」というのは、割り切りでもある。「すぐに法律を持ち出す。」という批判もあるが、自分の希望をすべて叶えることはできないのであれば、割り切りの方法を見つけなければならないだろう。法は、割り切りの方法としては、合理性があると思う。
 その上で、工夫できるところを考える。自分の希望を反映できるところは、反映する。法的な割り切りをくぐらせることにより、自分のできることを分散させないようにすることができる。何か援助したいという場合など、根本から間違うことがなくなる。
 私は、このように2段に分けて考えることを推奨する。


 金融機関の立場で書かれた中小企業再生論を読んでみた。
 債務者概況表、資金繰り実績推移表、ビジネスモデル俯瞰図といった書類の作成を行なう方法が説明されている。
 金融機関は、経費の削減は提案できるが、事業の中身について有効な提案ができないことを認め、重要なことは、その事業について必死で勉強して社長が思いつかないような改善策を考えることではなく、社長に会社の事業の中身を整理して示し、自らが改善策を思いつけるような機会を提供することにあるとする。

 確かに、私も、企業の再生を進めるときには、法的な手法の選択については、アドバイスできるが、利益を生み出す仕組は、社長が判断するしかないと思う。
 思い切って単純化して言うならば、会社の中に、利益を生み出す必要最小限の仕組はあるのか、それは何か、社長はそれをどうしたいのか、ということに尽きる。
 この点だけは、明確にしていただかないと、弁護士としても、何ができるかを説明できない。