「家族に迷惑をかけたくない。」と言っていた人でも、いざとなると身勝手になることがあるだろう。
 家族に見捨てられた老後は哀れであるから、日頃から迷惑をかけられる良好な関係を築いておくべきだという考え方の方が現実的なのだろうと思う。
 しかし、具体的にどうしたらそのような良好な関係を築けるのだろう。
 その人のこれまでの経済的・精神的貢献。家族に対する態度。家族の経済的・精神的余裕。家族の育ち方。などなどだろうか。


 75歳は、要介護発生率が高くなる後期高齢者としてのスタートである。人によっては、もっと早い段階で考えなければならない。
 後期高齢者の数は、2025年まで大都市部で急増するという。
 自宅をもっている人は多いだろうが、段差による転倒事故が多いと聞くし、寒暖差による入浴中の心筋梗塞や脳出血も多いだろう。したがって、高齢となった自分にとって適当な住居を考えなければならないだろうと思う。
 特に認知症が進んだ場合、周囲の人に迷惑をかけることになる。夫婦が健在なときでも、2人共認知症に近い場合もあるので、注意が必要だと思う。
 結局、自分の頭がまだしっかりしているうちに、自分で決めた年齢がきたときに、しかるべき場所へ移るという計画を明確に立てる必要があると思う。


 老人ホームの個室の大きさは、1人の場合、15から20平方メートルくらいで標準化されているようだ。
 これだと、現在自分が持っている物は、相当に手放さないと、置けない。介護が必要なときは、多くの私物は必要ないのだろうが、このギャップが、老人ホームに入ることを現実に考えられない理由だろう。
 また、老人ホームのパンフレットを見ると、若いスタッフに介護される老人の写真を多く見かけるが、自分が、その老人のポジションに入ることは、すぐにはイメージできない。こうした写真は、老人の介護がしんどいと感じるようになった家族向けのものだろう。
 しかし、自分は、いつか家族に迷惑をかけることになるだろうから、自分のそのときのイメージをもつことは必要だと思う。


 老人ホームで最期を迎えられる人は少ないと聞く。終末期は、医療行為が伴い、ホームではできないし、看護師だけではできないものもある。
 また、現在の介護保険法では、入院すると介護報酬がホームに払われなくなるため、いつまでも部屋をあけて退院を待つことができないようだ。
 入院しなければいけない状態の場合、自分では自分のことを決められない状態であることが多いだろう。したがって、元気なうちに自分の意思を明確にする必要がある。これは一般的に、リビング・ウィル(生前の意思)として論じられているが、延命治療の打切りという尊厳死の問題に限定されているように思われる。遺言書・信託などを利用して、もう少し広く自分の最期について決める必要があるように思われる。


 入居者の約70パーセントは、ホームから3キロメートル圏内に居住していた人だと聞いた。
 これは、家族の立場からは会いに行きやすいという判断があるからであろう。また、本人の立場から住み慣れたエリアの方が生活しやすいし、家族も来てもらいやすいという判断があるからだろう。
 やはり、現状維持的な考え方が必要なのだろうかと思う。


 成年後見人には、本人のために財産管理権と代理権が与えられ、また本人が行った行為についての取消権と追認権が与えられています。
 財産管理権とは、保存行為と管理行為の権限であり、処分権限までは含まれません。成年後見人が本人の居住用不動産を処分するには、家庭裁判所の許可が必要です。
 取消権とは、本人が相手方とした法律行為を初めからなかったことにして無効とさせる権限です。
 自分に成年後見人が付いている状態というのは、自分自身でできる行為がかなり限定されていることがわかります。
 自分がそのような状態になったときは、人にお任せするしかないのだから、あまり気にしないという方もあるでしょうが、それでいいのかと考えられる方もあるでしょう。
 このあたりの問題意識をもつことが、まず必要だと思います。


 老人ホームの中だけの生活は、どう考えてみても退屈だろう。自分が認知症となれば、退屈も感じないのかもしれないが、現在の自分の意識を前提とすると、退屈だと思う。
 したがって、動けるうちは、ぎりぎりまで、自分の関心のあることを追求する自由がある生活を送る必要がある。このためには、自分にとってどのような設備・備品が必要かを考え、それを確保できるスペースが必要になる。自前が原則として良いのだと思うが、自分の健康状態、施設の費用とのかね合いで、住まいを選択する必要があるだろう。