孫の養育

 人は誰しも孫はかわいいと思うようだ。
 これは、孫の養育について、一番の責任者は、その親(子)であるからだろう。祖父母は、自分たちのできる範囲で(もっと言えば好きな範囲で)孫とかかわれば良いから、気が楽なのだろうと思う。気が楽だから、余裕もあって、かわいいと思うのだろう。
 しかし、経験も余裕もある祖父母になったならば、ファミリー(一族)の一員として、どのようにふるまうのか考える必要がある。
 祖父母の経験は、ファミリーの文化という点で重要であることは、別に述べた。ただし、自分の経験(成功体験)にしばられるのではなく、現在を自分(祖父母)なりに理解して、その現在に合ったものにしなければならない。伝統なのか因習なのか、その判断は、かなり高度なものだろうと思う。
 また、逆に、新しい提案をするにしても、単なる思いつきではなく、相当な調査が必要だろう。
 このように考えてみると、年をとっても、それなりにやるべきことは多いように感ずる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月27日 | Permalink

祖父母、父母、子(孫)の関係

 縄文時代は、大変な文化力を認めることができる。
 これは、定住してムラを営むことができるようになり、老人が動き回るような生活をしなくてもすむようになったことから、「おじいさん、おばあさんから孫へというメカニズム、仕組みができあがった結果」であるとされる(「縄文人の世界」梅原猛編、角川書店 28頁から32頁)。
 働き盛りの若い時は、一生懸命、外で頑張っていて子どもの面倒はなかなか見きれないため、親から子どもへというのは、文化はあまり伝わらない。親は、子どもの育て方について、初めての経験の場合、必ずしもうまくできるものではない。これに対して祖父母の場合、どのようなやり方をすれば良いかわかっていることが多い。
 この点については、自分の経験に照らしてみても、子どもが1人で生活するようになった現在の自分の年齢・立場になってみると、実感として理解できるところである。
 したがって、祖父母の役割は、人間社会の成り立ちに根ざしたものであり、現代においても、その必要性は認められると思う。
 ただし、自分が親(父母)として子を育てているときは、祖父母の役割をそれほど認識していたものではないため、祖父母として口をはさむときは注意が必要だろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月21日 | Permalink

帝政(皇帝)と共和政(元老院)

 塩野七生さんのローマ人の物語の中で展開されるテーマの1つとして、皇帝と元老院の関係がある。独裁と民主主義も同様の問題と言って良いと思う。
 平常時と緊急時の場合分けをして、その是非が議論されるところである。
 しかし、この問題は、正解のないものだろう。
 客観的に、この場合はこうするのが最善であるという特効薬のようなものはないと思われる。
 自分が、能力のある心情の良い人間であると考えるならば、秘かに自分の目標に向けて努力するべきであるというくらいしか言いようがない。このような人々が、「テーブルを囲むような協議もなく進められる『たくらみ』」(アクエリアン革命、マリリン・ファーガソン著2頁、堺屋太一氏の序文)によって連携することにより、事が実現するのだと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月13日 | Permalink

規制と自由

 「三井財閥の人びと」(安岡重明編著、同文館出版)120頁に紹介されている江戸英雄氏の発言は興味深い。
 「同族会は家憲による三井家のつながりです。家憲によって全財産を共有して、病気とか結婚とか相続とかの資金は共通の積立金から出していました。(中略)その家憲を廃止された。これは財閥解体の一環です。そこで各家は自由になりました。三井同族はむしろ喜びました。(中略)結局、三井さんは清算分配金を霧消してしまいました。」
 三井財閥の人びとは、同族会にしばられずフリーになったことで非常に喜んだが、戦後の経済変動の時期を乗り越えられず、財産をなくしたということである。
 三井財閥の人びとの判断と実行は、自己責任において行われたのであるから、やむをえないのだろうが、そのご先祖様の立場から見たとき、残念であろう。規制と自由を、どのようにバランスをとって良い結果を出すべきか、現代の我々も考えなければいけないテーマだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年12月03日 | Permalink

金融機関との交渉

 複数の金融機関と取引(借入)をすることは、メリットがある。
 資金手当については、複数の金融機関に同じ話をすると、見方の違いに気がつく。融資が得られるかどうかという差異は大きなものであるが、それ以外にも、何を重視するかという見方の違いが自分にとって役立つことがあるだろう。
 不動産を購入する場合でも、不動産の評価の仕方が大きく異なることがある。このとき、いつから差が生じたのか、なぜ差が生じたのかについて当たっていくと、自分が把握していなかった経済の状況について気がつくことがあるだろう。すると、新しく気がついたことに基づいて、取引の交渉相手ともっと詰めるべき点が出てくるだろう。これは大きなメリットを生み出す契機である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年11月17日 | Permalink

三井家同族会

 三井家の一員は、不動産や何か財産を現実に持っていたとしても、同族会が全部を管理しており、財産の処分についても同族会の承認を得なければならなかったという。
 この点について、「戦前の三井家同族会によるマネジメントは、資本主義経済の基本である財産権の侵害にあたる面があるため、現代では運営できません。」とのコメントもある(「お金持ちのお金はなぜなくらならないの?」宮本弘之 135頁)。
 たしかに、法律上、所有者であればその処分権があるため、同族会が何を言おうと処分はできてしまう。税務上も、所有者に財産は帰属するものとして、課税関係は決められる。
 しかし、法制度とは別に、一族の中で、三井家同族会と同じように、財産の名義人は、その財産からの収益を一部得るものの、あくまでも預かっているにすぎず、一番良き管理人の判断に委ねるというあり方は、考えられて良いと思われる。法制度上、このような管理方法を、どのように実現するかは問題があると思われるが、所有者の任意の判断の中で、三井家同族会と同じ規約をもつことは、何ら問題ないと考えている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年11月05日 | Permalink

日本の未来

1 日本に悲観的見方がある。
(1) 日本は、人口減のため需要は減り、成長できない。
(2) 国の借金が多く、日本国の財政は、いずれ破綻し、そうなれば円の価値は暴落する。
(3) 日本は勝ち組と負け組に2極化し、中間層が失われ、美徳も崩壊している。

2 しかし、他方、日本の良さを認める見方もある。
(1) 治安が悪くなっているという見方もあるが、依然として安全な国である。
(2) 食品、環境の面でも、世界的に見れば、日本はクリーンな国である。
(3) 日本は、文字の記録が残るものでも、2000年近く歴史のある国であり、すぐに滅亡するものでもない。

3 日本の未来をどのように見るかにより、今どうするのかについても意見が分かれる。
「日本の成長には限界があるのだから、日本以外の成長国へ出て行き、ビジネスを確保すべきだ。円高ならば、なおさら出て行くチャンスだ。」という意見もあるだろう。
「若者は、留学を希望せず、内向きだと言うが、大部分の日本人は日本での生活を望んでいる。阿倍仲麻呂(奈良時代)の歌を見ればわかるように、皆、昔から日本に戻ることを望んでいる。」という反論もあるだろう。

4 私が日本の未来をどのように考えているかについて、ここでは述べない。
 しかし、ビジネスが国際的な展開をし、人の移動も広くなった現在、ファミリーとして日本だけで生きていくことはできないだろう。世界は、豊かさを求めており、これまで発展途上国と言われた国も成長をめざしている。
 この結果、均一化はさらに進んでいるように思われる。その中で、日本の良さをどこに見い出し、それを広めるのかが求められるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年10月26日 | Permalink

将来を考えるきっかけ

 後継者(子・後輩)が、働き始めたり、結婚して家族を作ったとき、人は、自分は先達(せんだつ)としてどうあるべきかを考えると思う。
 こうしたことを体系的に行うことが大事であると考える。そのためには、過去から将来に向けて年毎に区分した時間軸をとった年表を作り、各年ごとの家族の年齢や行事などを記入してみると、各年ごとの家族の状況がイメージできるだろう。
 そして、基本的事項を、この年表に記入することにより、将来を考える資料となっていくだろうと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年10月01日 | Permalink

子は親の言うことは聞かないものだ。

 子が親の言うことを聞かないならば、聞くように断固とした方法をとるべきだと考える人もいるかもしれないが、私なりに見たところ、あまりうまくいかない。
 よく、子供の勉強を親が見て教えるということがある。我が家では、これはうまくいかず、第三者に任せるしかなかった。その方が親子関係は良かった。
 逆に「うちでは、子は親の言うことをよく聞きますよ。」と言う人もいるかもしれないが、なぜ言うことを聞くのか、注意してよく観察するべきだと思う。

 自分自身、親のやり方を批判的に見て、自分のやり方で今日に至っていると感じているので、子も自分と同様に進んでいっても不思議はないと思う。
 したがって、子は親の言うことは聞かないという前提で、親はいろいろ考える必要がある。親のねらい通りに子がなれば、それは親がうまいということだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月16日 | Permalink

中高一貫教育の是非

 中高一貫教育は、大学受験に向けた体制として評価されてきたものと思う。
 ある程度の能力のある生徒を集め、6年間のカリキュラムを前倒しで進め、最終年は受験に向けた万全な準備をすれば、相当な成果は出るだろうと思う。
 
しかし、日本の一流大学と呼ばれる大学に入学することの意味は、各家庭ごとに考え直してみるべきだろう。
 大学に入学すること自体ではなく、そのプロセスで身についたガッツの方が意味があるのではないかと思う。また、大学受験で身につけた能力は、本当に使えるものなのかも検証されるべきだろう。自分の経験で振り返ると、文章作法やノートのとり方といったものは役立っていると思うが、コミュニケーションのための英語という点では課題が大きいように思う。

 逆に、中高一貫教育の難点は、中学受験があるということである。
 小学校高学年から中学受験のために夜遅くまで塾に通うのは、子供の健康面で弊害が大きいように思う。
 


投稿者名 管理者 投稿日時 2010年09月07日 | Permalink