A4 よく見た絵は、印象的である。

 絵は瞬時に見ることができる反面、瞬時で見たと終わらせられる面がある。
 絵を見て、何か「はっ」とさせられる点があるとよく見ることになる。
 絵を見る前に、この絵には何かあるという予備知識があったり、単に有名であるという場合にもよく見ることになる。
 よく見れば、その絵がどんなものでも(と思うが)、何かしら印象に残るものである。したがって、作家は、よく見てもらえるような工夫が必要だろう。
 直島においても、多数の絵画を見てきたが、ジェニファー・バートレットの「黄色と黒のボート」が印象に残っている。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

A3 美術品の保管

 2011/7/3、ハラミュージアムアークで、開架式収蔵庫を見た。
 美術品の保管には、かなりのスペースが必要であることを実感した。研究者用に開架式としているとのことであったが、贅沢な作りだと思う。
 しかし、布でおおい、段ボール箱に収納すると、見るだけでも多くの時間を要するから、開架式は意味があると思う。
 また、現代美術作品は大型化し、額装も困難なのだろうと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

A1 美術へのきっかけ

 アートサイト直島が、現代美術に入るきっかけであった。
印象派の絵が前の時代のものと見えてしまう。
 美術館の中に泊まることにより、時間を気にせず観ることができた。
 ブルース・ナウマンの「100生きて死ね」は、観客のいなくなった夜に、1人で時間をかけてじっと見ると、また別の感覚が生まれてくる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

0 美術の地図

 美術に関する文章を読むとき、美術の地図があると理解を深められると思う。
 美術作品を見るときにも利用して良いと考えているが、美術の地図は、あくまで仮説かもしれない。
 高階秀爾監修「西洋美術史」に基づき、ロマネスク以降をサブノート形式でまとめた(0(1))。
 また、暮沢剛巳の「現代美術のキーワード100」に基づき19世紀ヨーロッパのモダニズム以降をまとめた(0(2))。
 さらに、松井みどりの「アート:“美術”が終わった後の“アート”」に基づき、ポストモダニズムを追加した(0(3))。
 これだけでも、美術に関する文章を読んだときに、距離の方向を計る基点(燈台)となるだろう。
 しかし、その後にさらに多くの文献を読み、記述されていない地域があることに気がつくだろう。美術の地図は、さらに展開していかなければいけない。
 こう考えてきたが、あるとき、この進め方は、きわめて頭でっかちな方法なのかもしれないと気がつかされた。それがアペル展にあったアペルとの対話である(0(4))。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

道具、手法

0 基本(美術史)
A 空間・距離
B 時間・歴史
C 知識間
   作家から C1
   コレクターから C2
   社会 C3
D 経済
   作家から D1
   コレクターから D2
   社会 D3


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

A3 疑問をもったまま進む生き方

 あるものを理解すれば、それで全てがまかなわれるということはない。
 現実を観察しても、本を読んでも、疑問はどこからでも出てくる。
 疑問は必ず決着をつけなければならないものでもない。必要に応じて調べ、一応の解決をしながら進めば良い。
 しかし、そうは言っても、それだけでは混乱しか残らないかもしれない。そこで、1つの仮説として、私なりの整理、位置づけをまとめてみようと思う。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C1 神の存在

 自分は自然の摂理の中で生きていると思う。この自然の摂理こそが神だと感ずる。
 ただし、神が自分の外にいると考えるのではなく、自然の一部である自分も自然の摂理が及んでいるのであって、自分の中にも神は存すると考えている。つまり、自分の内も外も神の領域だと思っている。
 自然の摂理というと、自然は科学の法則に従って統一的に定められた動きをしているのだから、全ては法則通りと考えてしまう。
 しかし、私は、そのようには感じていない。自然の中にも何か意図を感ずるからである。
 このように感ずるに至った経緯はC3のとおりだ。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

A4 評価を受けるということ

 中学1年生のときだったと思うが、学校の書道の授業で漢字1字を半紙に書き、表装する課題が出た。書道の先生は、当時の学校の校長先生にあたるポジションにあり、高名な方であり、現代書道家でもあったと思う。私は自宅で何十枚も書き(ひょっとしたら百枚以上)、1枚だけ、「これは!」というものができたのでそれを学校へ持参した。
 私が選らんだ字は「耐」。自分でも普通は選ばない字だと思いながら、しかし、いろいろな字を書いてみた中で、墨のボリュームが出て、それでいて勢いもあり、字画のバランスがぎりぎりのところでとれた唯一のものだった。
 私は、小学校の低学年から中学年にかけて、毎週日曜日、3年程、書道塾に通っており、それなりの訓練は受けていたので「耐」は自信作だった。
 学校では、少人数のグループごとに、まず1点を選び、全体で10点ほどが教室の前に掲げられた記憶である。
 私の自信作も選ばれ、選べられた後、皆がいろいろと意見を言った。
 ところが意外なことに、私の自信作について評価する声は皆無であり、「道」だったと記憶しているが、同級生の書いた、少し大人っぽい作品に評価が集まり、それ以外に何点か評価された作品も私のものではなかった。私は、自分の意見を言えないままとなってしまった。
 先生は、自分の意見は出されないまま授業は過ぎ、最後になって、私の作品「耐」は、なかなか良い旨をコメントされた。
 自慢めいたことを書くのは私の意とするところではないが、先生は、本当に淡々と私の作品についてコメントされた。この結果、授業が終わってから、同級生も、「へー、そうなんだ。」と私の作品にコメントしてくれた。
 この一連の流れは、私には衝撃だった。「評価を受けるということは、こういうことだ。」と感じとった。
 世の中の素直で率直な評価、自分の信念、自分のサポーターなどが織りなす、硬直そうでいて、流動的な状況を身にしみて感じた。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

C18 知見は実行に結びつけよう。

 本を読んだり、人の話を聞いて知見を得られたならば、すぐに実行しよう。
 そのためには、知見が道具として利用できるように、どこかにまとめておく必要があるかもしれない。
 実行することによって、世の中の理解が深められるだろう。そこからは、仮説が浮かび上がるかもしれない。
 仮説は、それだけで十分に楽しめるものであるが、仮説からは、また別の知見が得られるだろう。
 人生は、このように循環するものだと思う。
本書も、自分の生活の中で考えさせられたことがどこに関連するかを確認し、そこに戻り、補充しながら成長させる必要がある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink