D2(6) マーケットの評価と自分の評価

 自分の評価で良いと考える作品を持ち、楽しめば良いのか。こうした楽しみ方でも別にかまわないだろう。と言うよりも、こうした楽しみ方こそ正道だと言う考え方が強いのかもしれない。
 これに対して、投資と言う観点からは、マーケットの評価を重視するべきだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D2(5) ランキングサイト

 世界中の作家のプロフィール、作品、オークション情報(年月日、タイトル、技法、金額)などを集め、展示会の持たれ方を基準としてランキングしてあるサイトがある(ART FACTS NET)。
 アートこそ世界統一基準で並べかえができるということだと思う。このことは、世界的に活躍できるということでもあり、また、数字で評価されることの怖ろしさでもある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D2(4) セカンダリーマーケット

 美術の世界は、昔からランキングをしてきたと言えるだろう。プライマリーの値決めは、昔からのランキング手法による。
 しかし、セカンダリーマーケットにおける評価が明確になると、プライマリーも当然に影響を受ける。
 オークションサイト(クリスティーズ、サザビーズなど)を見ると、その情報は脅威であると思われる。
 展覧会での取り上げられ方(頻度)を基準とするランキングもある。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D2(3) オークション

 クリスティーズ、サザビーズは、ネット上に充実したオークション情報を開示している。
 日本のオークションサイトもいくつかあるが、上記2社に比べると情報量は大きく落ちる。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D2(2) コレクター

 コレクターは、それをすることが楽しくてしているのだから、他人がコレクションの内容をあれこれ言っても、意味がないと思う。
 作品を見るとき、大きく言えば、次のやり方にまとめうるだろう。
(1)自分の感性で見て評価する。
(2)何らかの客観的価値(それが主観的なものであることもありうるが)を基準として見て、評価する。
(3)市場性のみを基準として見て、評価する。
 しかし、コレクターは、誰でも、基本として(1)によっていると言うだろう。その上で、自分の考える何らかの客観的価値についてコメントするのではないか((2)の道)。
 また、コレクターが作品を購入した時期とそのときの作家の評価状況を合わせ考えると、将来を含めた市場性も考えていることが推察されることだろう。
 したがって、上記の(1)ないし(3)は、重なりあっているといえるだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D2(1) 芸術作品の値段は何か。

(1) 芸術作品を購入するということは、その作家の世界に入るためのチケットを入手するということである。
 芸術作品を身近に置くことにより、その作家の考えるところを日常的に考えてみることが可能になる。その作品をきっかけとして、その作家を調べることも始まり、作家をより深く理解することに繋がるだろう。
 逆に、購入することができなくとも、美術展などで見ることができれば、それだけでもその作家の世界に踏み込むことは可能であるから、それで十分だと考える人もいるだろう。それが可能であるならば購入する必要はないだろう。
(2) 芸術作品を購入することは、その作家をサポートすることに繋がる。その作家の更なる研鑽を可能とする面がある。
 芸術作品は、記録であると思う。
 現代美術になるほど、その作品のみで全てを評価することは困難である。作者がどのような考えであるか、どのような履歴であるかなどを知らないと理解できないのではないかと思われる。したがって、作品と作者の結びつきは強くなっていると考えられる。
 デイト・ペインティングなどはその例である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D1(4) 安定した収入

 安定した収入は、その人の成長にとって是か非か。
 安定した収入をもたらすものこそ美田だと思われる。「子孫のために美田を買わず」という言葉があるように安定した収入は子孫にとって為にならないとも考えられる。
 しかし、安定した収入がないことによる悲劇は、よく見ることでもある。また、安定した収入により、生活が安定することにより、そこから新しいものが生まれることも実感として知るところである。
 この問題は、観念的に結論を出すのではなく、実例の中で具体的に検討されるべきだろうと思う。
 歴史に名前を残した人は、基本的に裕福なファミリーから生まれていることは否定できない。
 食べることだけで精一杯の人生からは、歴史的な成果が出ることは、きわめて困難である。歴史的な成果は、ファミリーの蓄積の上に咲いた花である。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink

D1(3) アーティストが何らかの賞を目指すことをどう見るか。

 何らかの賞を獲得することは、アーティストにとって箔付けとなるだろう。その結果として、大学での教職の道が開けることはあると思われる。こうなることにより経済的に安定し、画業に専念できるならば、賞に意味があったといえるだろう。
 賞を目指すのではなく、本来自分の考える作品を目指すべきであるという意見もあるだろう。この場合、自分の考える作品を目指すことができる基盤は必要だろう。このような基盤がないのに、自分の考える作品を目指せば良いと考えるのは、ロジスティックス(兵站)を無視して戦争するのに等しいだろう。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink