何によって憶えられたいか

 P.F.ドラッカー著「プロフェッショナルの条件」(ダイヤモンド社)の中に、次の記載がある(234頁)。

 「私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。『今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』
 長い年月が経って、私たちは60年ぶりの同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、初めのうちは会話もぎこちなかった。するとひとりが、『フリーグラー牧師の質問のことを憶えているか』といった。みな憶えていた。そしてみな、40代になるまで意味が分からなかったが、その後、この質問のおかげで人生が変わったといった。
 今日でも私は、この『何によって憶えられたいか』を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである。運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手によって、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる。」

 この話は、自分を見つめ直すことをスタートするにあたり、一番良いと思う。
 しかし、ドラッカーも「自らに問い続けている」と言うように、どこまでも続く問いかけである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年04月07日 | Permalink

一族(ファミリー)を設計し、形づくる

 「一族を設計する」とは、「なんと思い上がった、時代錯誤の言葉だ。」とお感じだろうか。たしかに、適当な言葉が見当らない。
 これまで私が見てきたこと、人から聞いたこと、書籍により知見したことなどを統合して、こんなことを考え、実行してみたらどうだろうかということを述べてみたい。
 これは、私にとって現在進行形の事柄であり、自分の恥をさらすことにもなりかねないが、50歳を超えて1年目は、新しいスタートの時であると考えて続けるものである。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年04月01日 | Permalink