9 バロック

(1)カラヴァッジョ(1571ー1610)は、父がカラヴァッジョ侯爵に使える従者集団の頭領のような存在だったらしい。

(2)ペーター・パウル・ルーベンス(1577ー1640)は、父が現在のベルギーの商業都市アントウェルペンの司法行政官であったが、宗教上の理由から祖国を離れドイツのジーゲンにいた。

(3)ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593ー1652)は、パン屋の家に生まれ、町の名士に属する家柄であったらしく、24歳のとき、新興貴族階級のディアンヌール・ネルフと結婚した。

(4)ディエゴ・ベラエケス(1599ー1660)は、11歳でフランシスコ・パチェーコに弟子入りした。パチェーコは画家としては凡庸だが、古典の素養のある知識人だった。パチェーコは、この若い弟子の才能を見抜き、独立後に娘のファナを嫁がせた。

(5)レンブラント・ファン・レイン(1606ー1669)は、ライン川沿いの裕福な製粉業者の9番目の子だった。

(6)ヤン・フェルメール(1632ー1675)は、父が宿屋を営むかたわら、画商として聖ルカ組合に登録していた。フェルメールも21歳で組合に加入している。


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8 その他

ジュゼッペ・アルチンボルド(1527ー1593)は、家は代々宗教美術にかかわる職人であったと思われる。


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7 北方ルネサンス

(1)マティアス・グリューネヴァルト(1470頃ー1528)
特になし

(2)アルブレヒト・デューラー(1471ー1528)は、金細工職人の家に生まれた。デューラー家は、名門ピルクハイマー家の借家に暮らしていたが、家主の息子ヴィリバルトとデューラーは幼なじみとして育った。デューラーは、ヴィリバルトを通じて多くの知識を学び、後には人文主義者のサークルと交流することができたが、この親友との貧富の差は、デューラーに複雑なコンプレックスと強烈な成り上がり願望を植えつけた。

(3)ルーカス・クラーナハ(父)(1472ー1553)は、画家の父のもとで修行した。

(4)ピーラル・ブリューゲル(父)(1526頃ー1569)
特になし


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6 北方(15世紀)

(1)ヤン・ファン・エイク(1390頃ー1441)
特になし

(2)ヒエロニムス・ボス(1450頃ー1516)は、画家の家系に生まれ、幼くして母を亡くした。かなり年上の裕福な女性と結婚し、以後は生活に困らず、注文に左右されずに自由に制作できたらしい。


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5 マ二エリスム

(1)ヤコポ・ティントレット(1519頃ー1594)は、父が染物屋(ティントーレ)だった。ティツィアーノの工房で短期間修行したといわれる。

(2)エル・グレコ(1541ー1614)は、クレタ島のカンディア(現イラクリオン)に生まれ、宗教改革の嵐が吹き荒れるスペインに渡り、古都トレドで人気画家となった。


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4 ルネサンス盛期

(1)レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452ー1519)は、父が公証人、母の詳細についてはわからず、私生児であった。14歳ころ、フィレンツェの画家、彫刻家アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りし、20歳で画家組合に登録したが、弟子入りの年齢も遅ければ、成年に達しても独立しないなど、当時の習慣から考えるとよくわからないことが多い。

(2)ミケランジェロ・ブオナローティ(1475ー1564)は、生まれてすぐに石工の家へ里子に出された。6歳のときに母が死去。父の反対を押し切って画家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入門し、メディチ家当主ロレンツォ・マニフィユ(1449ー1492)の所有する古代彫刻に触れ、彫刻家として頭角を現した。

(3)ラファエロ・サンツィオ(1483ー1520)は、8歳のときに母が、11歳のときに宮廷画家だった父が死去し、ペルージャの画家ペルジーノの工房へ弟子入りし、師の画風を完璧にマスターした。

(4)ティツィアーノ・ヴェチェリオ(1490頃ー1576)は、アルプス山麓の小村の地方名士の家に生まれた。ベッリーニ兄弟の工房で修行し、10歳あまり年上の天才画家ジョルジョーネ(1478頃ー1510)の助手として共同制作した。ジョルジョーネが30代の若さで急逝したとき、ティツィアーノはまだ20歳を超えたばかり。以後、半世紀以上にわたってヴェネツィア美術界の頂点に位置し、内外の有力者をパトロンにつけ、大量の注文をさばいていくことになる。


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3 ルネサンス初期

(1)フラ・アンジェリコ(1400頃ー1455)は、20歳ころ、修道士としてフィレンツェ近郊フィエーゾレのサン・ドメニコ修道院に入り、その後フィレンツェのサン・マルコ修道院に移り、助手とともに祭壇画の制作や、僧房や廊下の壁画を手掛けた。

(2)サンドロ・ボッティチェリ(1444頃ー1510)は、フィリッポ・リッピの工房で修行した後、ヴェロッチオの助手として働いた。
弱冠20歳でメディチ家の当主におさまったロレンツォ・イル・マンフィコをはじめとするメディチ家の庇護を受けた。


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画家がどのようにして社会で生活を始めたかについて、以下に資料(小学館ウィークリーブック「週刊美術館」の記述を中心)から抜粋する。 
 本人の資質、家庭環境などによる特徴から分類すると次のようになる。

 優等生(アート以外も)
 ひょんなことから
 家族(父)が安定した収入を与えた(与えたと思われる)ケース
 父が美術関係
 愛情
 親の反対を乗り越えて
 不幸としか言いようがない

 ここからわかることは次のとおり。
(1)画家として社会生活を始めるためには、ベースとして、経済的安定があること。
(2)絵画との何らかの接点があること。
(3)不幸は何らかの形で画家に強く影響していること。


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