資産観の変化

収益を生むものは、資産として認識され続けるだろう。逆のものは、資産からはずれていくだろう。

資産からはずれたものの例として、水路が、あげられている(「最後に残る智恵」ダニエル・ベルp.225)

名古屋でも、堀川沿いに昔の名家(力のあった家)は存在した。物の運搬のみならず、人の往来から情報の道でもあった。
しかし、現在では、堀川がそばにあることはマイナス要因ともなりうる。

かつて、3C(カラーテレビ、クーラー、カー)が憧れのものであった(相当古いかも)。

また、かつては、破産の際、財産目録を作成し、執行官が評価した。
しかし、現在、古い電気製品など財産評価をしなくなった。誰も資産と評価しなくなった。

居住用家屋も、資産からはずれるものとして、考えられる時代も来るのではないだろうか。
家賃をセーブできるという意味はあるけれども。

アメリカ人が、自慢顔にベッドルームがいくつで…と話をしている場面を見ることがある。
しかし、ほこりをかぶっているだけではないだろうか。
「立って半畳、寝て一畳」という言葉を思い浮かべるのは、貧乏人だからだろうか?

資産は、テクノロジーの変化が影響する。
技術革命により、資源革命が起き、一次産品の資産価値は落ちたとされる(「最後に残る智恵」ダニエル・ベルp.68)。現在は、また違った状況になっているかもしれないが。
              
金の資産価値については、私は、よく理解できない。
金には工業上の使い途を除き、何かを記念するような意味しかないと思うが、魅了される人があるということだろうか。


投稿者名 管理者 投稿日時 2008年07月08日 | Permalink