C2 神の啓示

「神の啓示」ということがよく言われる。
 しかし、多くの人にとって、それは現実の話とは思えないのかもしれない。多くの人は、その経験上、「神の啓示」といえるような劇的なことは少ないと思われるからである。
 したがって、多くの人にとって、親鸞の「夢告」の話を読んでも、それは宗教上の話としか受けとめられないだろう。
 私も「神の啓示」については、現実の話ではなく、単なる思い込みか妄想だと考えていた。しかし、私自身のある体験から、「神の啓示」というものはあるのではないかと思うに至り、そう思うに至ってから、親鸞の「夢告」の話を知るに至ったため、「夢告」が単なる作り話とは思っていない。


投稿者名 管理者 投稿日時 2011年11月30日 | Permalink