ポートフォリオ・ワーカー

異なる種類の活動を同時に行なうステージとして、「LIFE SHIFT」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)で紹介されている言葉である。
 「LIFE SHIFT」は、人生を100年近くあるものとしてとらえ、働き方の3形態の1つとして示している。

しかし、個人事業主として生きてきた人にとっては、異なる種類の活動を同時に行なうということは、あたりまえのことのように思われる。
私にとっても、自分のこれまでの働き方は、ポートフォリオ・ワーカーのステージなんだ!と、呼び方を知れば、それはそれで気付かされるものではあったが、あたりまえのことのように感じた。
 会社に勤める人にとっても、あたりまえのことのようにも思うが、多くの人にとっては、新鮮な指摘だったのかもしれない。

個人事業主は、先ずは、自分の仕事で家族が生活していくことを考えなければならないし、それだけではなく、知的な刺激も必要であり、より豊かになるために、信用・評判を獲得することも考える。
幾つもの動機に突き動かされて生きるというのは、個人事業主であれば、あたりまえに経験していることだと思う。

「LIFE SHIFT」の指摘を読んだとき、個人事業主は、あたりまえと感じていることに改めて気付き、個人事業主の特徴を明確にとらえるべきだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月26日 | Permalink

インターネットの一番の効用は、無人で対応できることだと思う。

もちろん、メールなどの対応も必要であり、すべてを無人とするためには、それなりの工夫が必要だ。
しかし、人を通じた営業を中心とする企業と比べれば、人を省いているといえるだろう。

今の時代は、「人づて」と「省人」の組み合わせが大事だと思う。

ところが、人間関係づくりにだけ注力する営業活動が多いように感ずる。
また、直接の企業活動ではないが、現実に会合を持つ異業種交流、SNSによる評価なども同じだと思う。

しかし、本来は、仕組を作り、人がその仕組を利用できるようにして何らかの利益・便利さを得られるようにするものの、その仕組自体は省人化して、コストをかけないことが望ましい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月20日 | Permalink

生活を1から考えると。

立って半畳、寝て1畳、の住まい
 効率を追求すれば、負担はある程度押さえ込める。

 見栄ではなく、自分の希望を実現すればよい。

働く場所
 働かなくてもいい人はどうするかという問題もあるが。

 自営業であれば、選べるが、勤務者は、選べないことがある。

 住まいから働く場所までは、電車か自動車を利用することになる。
  電車であれば、住まいと働く場所の近くに駅があるかの問題となる。
  自動車であれば、駐車場の問題となる。

生きる楽しみ
 食事は、ピンキリだろうが、食べられる量は限度があるので、費用にも自ずから限度がある。

 着るものは、ピンキリであり、所有の限界はない。しかし、実際に着るとなったら、機会は限度があるだろう。

 自然に触れることは、公園でもできる。自分の庭との違いは、自由に手を入れることができないこと。
 自分の庭は、自分が手をかけなければ荒れ放題となる。自分の所有だと考えれば、草木の名前も覚える。

 ゴルフ、テニスなどのスポーツは、他の人と共有する施設で行うことになる。自分でそのような施設を持つことは、通常は無駄だろう。

 旅行は、特別な場所でなければ、費用はそれほどでもない。
 むしろ、現役で働いている人は、時間をどのように確保するかが問題だろう。しかし、休みをまとめて取ることができる時代になりつつある。

 交際には、食事など経費もかかるが、それほどのものでもない。税務上、経費化できれば負担感はそれほどない。

 ギャンブルは、私はしないし、多くの人はしないと考えている。余裕の範囲で、するかどうかの問題。

 名誉は、欲しい人は、欲しい人に任せればよい。


こうして考えていくと、多くの人は、実現しているのではないか?
不満・不安があるとすれば、別のところから出てくる問題だろう。

このような時代に、企業家は何を提供するかは、難しい問題があると思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月11日 | Permalink

この世の中は、自分で創り上げる人と、相続などにより与えられた人との競争で成り立っている。

自分で創り上げた人も、創り上げたものをどうするかにより、与えられた人が出てくる。

相続などにより与えられただけなのに、自分の力だと感ずるのか、偉そうな人も多い。
自分で創り上げる人も、プライドが妙に高い人もいる。

事業主は、自分の立場をきちんととらえて、進め方を考えるべきだ。

与えられた人は、そこまでのプロセスを知らないことが多い。
いや、自分は親のそばで苦労を見てきたから、プロセスも知っていると思うことがあるかもしれないが、発想や判断は、そのすべてをとらえられるものではない。
与えられた人は、謙虚に、多くのことを学ばなければならないだろう。

自分で創り上げる人は、相続などにより与えられた人と比べれば、格差があるのは確かだ。したがって、プライドこそが力の源泉だとは思う。
しかし、格差を乗り越えるために無理をしたり、逆に絶望したりすることは必要ない。
なぜなら、自分一代で考える必要はないからだ。あわてずに取り組んでいけばよい。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年06月06日 | Permalink

自分の外は、汚辱に満ちた世界だと、とらえるべきだろう。

自分の外にまで、自分の延長した世界があると考えると、間違えるだろう。
 自分の外で何か損害を与えれば、思わぬ賠償責任が出てくる。
 自分の外で何か気軽に話をしたところ、録音されていて、外部に出てしまうこともある。

自分の外は、汚辱に満ちた世界だと、とらえるくらいが必要ではないかと思う。

それは余りに自分中心の感覚だと思われるかもしれないが、油断を生じさせないためには必要な感覚だと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月31日 | Permalink

仕事の仕方や生活の仕方で、華やかさを示すことで、ビジネスにつなげる進み方があるようだ。

費用を使うことについて、しぶくする(ケチを貫く)ことで進む道がある。

これに対して、華やかさを示すことで信用を得て展開する道もある。
 こちらの道は、節約を美徳とする世代には理解しがたいところがあるかもしれない。

 華やかさを示すことは、運が必要で、いつまでも続かないと考える人も多い。

華やかさを示す道とは、あいまいな表現かもしれないが、テレビコマーシャルを流すことと同根だ。
 テレビコマーシャルの位置づけは、ネットの時代が進む中、変化してきているだろうが、いまでも影響力はあるだろう。

 広告だけで発展する事業もあると思われる。

時代の変化をとらえれば、華やかさを示す道は、成長が速いだろう。

自分では華やかさを楽しんでいるだけで、そのことがビジネスにつながることはある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月24日 | Permalink

時間の節約

定番の商品は、実際の店舗ではなく、ネットで購入する。
 買い物時間が不要になる。

テレビは、録画して、コマーシャルを飛ばしながら見る。倍速で見る。

本は、新規も古本も、ネットで検索して購入する。
 特に、参考文献として紹介されている本を、実際の店舗で探しても、まず簡単には見つからない。
 古本であれば、闇雲に実際の店舗に入っても、まず見つからない。
 実際の店舗は、立ち読みや書店の雰囲気を見るためにだけ行く。

顔を見合わせて行う必要がある会議は、実際に出席するが、そうでなければ電話会議で済ませる。
 テレビ会議であれば、実際に出席する会議に、より近いが、五感を動員できる会議とは違いもある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月22日 | Permalink

旧弊に引きずられる性格

日本人は、良いところが多いと思うが、問題もある。

基本的に、旧弊に引きずられる性格がある。保守的だ。

国の財政健全化が、いつまでたってもできない。

効率を簡単に犠牲にする。
 ただし、効率を一番として重視しないことにより、神業的な職人仕事が生れるのではないかとも思う。

ドグマで判断しすぎる。
 安全重視だとなると、可能性のきわめて低いリスクまでとってはならないと考える。
 高齢者福祉となると、金科玉条のように優先する。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月18日 | Permalink

自分のことを考える。

自分と他人を比較することは、自分を高めるために必要であるが、妬みや羨望に結びつくこともあり、取り扱いが難しい。

しかし、自分の好きなこと、得意なことを見つけたら、そのことを突き詰めていくと、妬みや羨望と無関係でいられる。この道が、自分のことを考えるということだ。

こうした道を歩んでくると、年齢とともに、自分は世の中の大半の人と違ってきてしまったと感ずるだろう。
それは群れを作ることとは無縁であり、孤独だと感ずるのかもしれないが、気持ちの良いものだ。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月15日 | Permalink

自分でしゃにむに働いて収入を得る形から、脱出しよう。

はじめの一歩は、自分でしゃにむに働いて収入を得る道だろう。
しかし、いつまでもその形であってはならない。
 なぜならば、生きていくことは、いつでも人との関係で評価される。したがって、人との関係を作っていくべきだ。
 人が働いて、自分に収入をもたらす仕組は、搾取ではなく、機会を作ることだ。

人が働く機会を作ることで、事業主となる。(もちろん、資産だけが働いて収入をもたらす仕組もあるだろうが。)

誰かに雇われて働く場合、事業主ではないのだろうか?
 誰かに雇われて働く場合、働く先に依存せず、雇われ先を変えていくことができるならば、事業主と同等に考えてよいだろう。

事業主となったとき、自分を支えるものは何だろう?

事業主は、思想、表現、行動の自由権が基本として必要だ。この自由権を、気持ちの面で感じさせてくれものが大事だ。

自由であるためには、自分の所有物(ここでは、人を所有物とは考えていない)を持つ必要がある。
 すべて借りたものでも、ある程度の自由は楽しめるだろうが、制約も多いと思う。
  例えば、本は、自分の所有物であれば、書き込みができる。
  庭木は、自分の所有物であれば、剪定することができる。

 所有することは、大きな影響を受けることにつながる。

 しかし、自分の所有物は、多ければ多いほど良いというものではない。

そこで、自分の所有物として何を持つかが問われる。
 自分に影響を与える本、作品、食事など、選択はいろいろある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年05月11日 | Permalink