この世の中は、物権と債権でできていることを、改めて確認するべきだろう。

マネーという場合、基本的には、債権としての評価だろう。
株式は、所有権の割合的単位であり、物権の変形だと考えているが、細分化している点で特殊だ。

集積されたデータにこそ価値があるという考え方があるが、その活かし方に確立した手法があるならば、それは物権に準ずるものといって良いだろう。

日本の場合、福祉国家を維持するために、多額の国債を発行して、マネーを膨れ上がらせた。
この結果、国債の評価損リスクは、大きくなった。

経営者の報酬が高額化しているが、マネーが膨れ上がっているため、それは当然のことだろう。
美術品に、これまでの感覚では信じがたい値段が付くのも、マネーが膨れ上がっていることの帰結だ。

企業の時価総額を上げることが求められているが、マネーが膨れ上がっている以上、当然の要請だろう。

企業の内部留保が大きくなっていることが問題とされているが、内部留保をどのような形で持つかは、それぞれの会社の判断であり、それは自由だろう。

債権が膨れ上がれば、どこかで物権とバランスをとる必要が出てくるだろう。
このように考えると、物権に投資していくという考え方も出てくるだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2019年05月08日 | Permalink