弱者を保護するのは、弱者を弱いままにする狙いもあるのではないかと、意識する。

こんなことを言うと炎上ものだろう。弱者保護の必要性を否定するものではない。
しかし、貧者の目線として、助けられるままの自分を意識することは必要だと思う。

自分自身を振り返って、保護されたと感ずる時期は、特に若いときは、単純に保護されたというよりも、成長を促された(指導された)という思いが強い。
難しいことはともかくとして、単純に保護することも必要だとは思うが、保護といってもいろいろな形がある。
自分が受けている保護が、どのような意味があるかは、考えられる人であれば、考えるべきだと思う。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2018年03月12日 | Permalink