プロフィール

・昭和31年(1956年)生まれ
・昭和56年3月 東京大学法学部卒業
・昭和56年4月 司法研修所入所(第35期)
・昭和61年4月 前川法律会計事務所を開設
・平成 9年3月 セントラル法律事務所を開設
・平成 9年4月 名古屋弁護士会(現、愛知県弁護士会)副会長

自分の考える体系の中に、探しているものが収まっていないとき、どうするか?

文書、動産等の管理の体系を作り、それに基づいて、自分だけではなく何人かで管理・保管を始めたとき、自分の考える体系の中にそのものが収まっていないことがある。このことは、自分だけで管理している体系の中でも起こる。
これは自分自身の注意不足によることもあるが、体系の中で、すぐに探せないことは、ストレスでもある。
こうした場合、あくまでも探し出すことに注力するのではなく、またどこかで出てくることもあるだろう位の緩やかな感覚でいる必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年03月25日 | Permalink

本の読み方 4

本は、手に取った一瞬で読めば良いと思うようになった。
隅から隅まで読むという方法も1つの方法ではあるが、それでは実行に移すことが遅くなって、むしろ良い結果が得られない。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年03月13日 | Permalink

植物の生き方

植物は、動物と違って、すぐに移動することができないため、自分に与えられた場所を受け入れる。
しかし、ただ受け入れるだけではなく、根や、自分にあるいろいろなもので、周りを調べ、そこに対応していく。
こうした結果、地球上にある多細胞生物の重量で計算すると、植物は、99%以上を占める立場にある。
こうした植物のあり方については、もっと目を向けてもいいと思う。

植物は、動物にその1部を食べられてしまうこともある。
しかし、植物は、モジュールが集められた形で生きていて、その1部に欠損が生じても死なない。分権化された国のようなものだ。
これに対して、動物は、脳を中枢とする器官で組み立てられているため、脳や器官への損傷で生きていけなくなる。中央集権の国のようなものだ。
知性を、問題解決能力と定義すると、植物にも知性があるといえ、動物と植物を同等の位置で考えることができる。
中央集権国家か、分権国家かという国家の仕組みになぞらえて、動物や植物を考えることも面白いだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年03月04日 | Permalink

美術の作品は、自分の思った通りに作れば良いのか?

日本の美術教育は、自分で描く・作ることが中心となっている。
これに対して、世界では語ることが中心であると言う指摘がある。「世界視点で読む企業戦略とアート」上坂真人223頁
この影響があるためか、作家は自分の感性で作品を作れば良いという感覚が日本にはあるように思われる。
しかし、日本でも、気がついている作家は、世界レベルで評価を受けるためには、世界の流れを踏まえ、日本の作品の位置づけも考えているように思われる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年02月22日 | Permalink

本の読み方 3

過去に買った本を、本棚で眺めてみて、関心があるものを1冊手に取り、それを1時間か2時間位で拾い読みする。
本の全体の構造は、目次でつかむようにして、その中で関心があるところを読むという方法になる。
これをすることによって、本の内容に新しい発見をすることができる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年02月14日 | Permalink

短い文章

短歌は、短い文章であるところに意味があると思う。
短い文章であることから、意見交換ができることにつながる。
また、自分の行動に結びつけやすい面もある。
短歌は、57577の文字数にこだわるようである。その方が文の調子が良いということだろう。
しかし、字余りとか字足らずもあるようであり、絶対の制約ではないようだ。
むしろ、短文であることが重要だと考える。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年01月31日 | Permalink

やることが遅い人は、なぜ遅いのか?

やることが遅い人は、やるべきことの全体が分かっていないので、遅いと思われる。
やるべきことの全体が分かっていれば、そのための時間がどうしても不足していることに気がつく。必然的に、やることが速くなる。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年01月19日 | Permalink

のんびりしてみよう。しかし、暇つぶしはやめよう。

こう考えた時、自分は何をするだろうか?
現在の経済情勢等について、新聞やネットでいろいろと調べ、これに対応しようとすることは、変わらないようにも思う。
 新聞という言葉が出た時点で、古い人間だと思われてしまうかもしれないが。
世間では、いつもスマホを見ている人がいる。こうした人は何をしているのだろう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2024年01月11日 | Permalink

アート作家は、自分の作品について、何らかのコメントをする必要がある。

アートの評論家系の人が書いた文章は、抽象に関して言えば、形態にとらわれた表面的なもののように感じる。
 なぜ抽象なのかというところが、とらえきれていないと思われる。
このような点を踏まえると、作家は、自分の作品について、何らかのコメントをする必要がある。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年12月20日 | Permalink

本や情報の海の中から、目指すものに出会うことは、自らの幸運を信じるしかない。

本だけでなく、文章はどこにでも展開され、動画もあまりにも多い。
その全てを理解することは困難だろう。
したがって、自分に許された時間の範囲内で、情報に接して、その中から見つけられたものを味わうしかない。
AIが、こうした自分に代わり、目指すものを探してくれると考えることもある。
しかし、AIがまとめてくれるものも海のようであり、平凡で形式的にも感じられ、自分で探すことにこだわってしまう。


投稿者名 前川弘美 投稿日時 2023年12月13日 | Permalink